チョン ソンジョ (ts)
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http://www.jungsungjo.com アルバム試聴が、 http://www.jungsungjo.com/album.htm でできます。 「All that jazz 1,2」 は 大阪のミュージシャンとのQuintetです。 「All that jazz bigband」 は スタンダード、自作曲などを含むジャズアルバムです。 他、多数歌謡、映画サウンドトラック等、があります。 |
韓国の大衆音楽を、現在も第一線で引っ張っている、チョンソンジョは、ジャズへのやまない情熱で、長くジャズ界でも 演奏を続けているトップミュージシャンです。日本のミュージシャンとの共演も多く、広く名を知られています。 |
1946年 ソウル生まれ ソウル大 音楽大学 作曲科 バークリー音楽大学 |
〈演奏経歴等〉
キルオギュン楽団員 KBS、TBC 軽音楽団員 「チョンソンジョとメッセンジャー」 リーダー 佐藤允彦、山下洋輔、日野皓正等と共演 1984年〜現在 毎週日曜 イテウォン All that jazz にてQuintet のライヴ演奏 1988〜1996 ソウル芸専 実用音楽科 教授 1995年〜現在 KBS 管弦楽団長 |
〈受賞経歴〉
ソウル演劇祭 音楽賞大鐘賞 (韓国のアカデミー賞にあたる) 音楽賞KBS歌謡大賞 音楽賞 映画評論家賞 韓国放送大賞 大韓民国演芸芸術大賞 大統領賞 |
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わが国大衆音楽の大きな柱は、米8軍舞台出身の音楽家たちが形成してきた。 そのなかでもサックス奏者たちの活躍が大きい。 キルオギュン、イボンジョ、イドンギ、そしてチョンソンジョと続く脈は、彼らが演奏家出身で、作曲もしたということとと、 もともとジャズで出発したという共通点を持っている。 チョンソンジョが一般に知られるようになったのは、1970年代初め、 当時はアメリカのポップス界へいわゆる、ブラスロックまたは、ジャズロックが流行の盛りだった時から、 グループブラッド・スエット&ティアーズとシカゴ等が人気をうけていたという雰囲気の中であった。 チョンソンジョは自分のグループ、メッセンジャーを率いり、国内でジャズロックとブラスロックを一番先に試みた。 明洞のOBキャビンと、ソゴン洞のフォーシーズンズ等で演奏する彼の、神業に近い姿をみることができた。 チョンソンジョ(1946年生)が音楽と因縁を結ぶのは、ソウル高等学校のバンド部に入って始まった。 普段、ベニーグッドマン、アートブレーキー、マイルスデイビス等のジャズ演奏に魅了されていた彼が、 学校のバンド部で選んだ楽器はサックスとクラリネットだった。 ソウル音大に進学した彼は大学在学時代、グループを作り、米8軍舞台でビバップとクールジャズを好んでよく演奏した。 大学3年の時、思うところがあって学校を中退し、大衆音楽界に飛び込み、チョンソンジョとメッセンジャーを率いる一方、 70年代中盤、大学街に広く知られるアドニスの「情」を作曲した。 彼が大学を中退した一番の理由は、ジャズの本場であるアメリカへ留学をしたいということだった。 思い通りにはままならないこの時から、作曲、特に映画音楽、作曲家として活動するが、 昨日降った雨、ヨンジャの全盛時代、冬の女、深く青い夜、恐怖の外人球団、等、30あまりの作品の映画音楽を受け持ってきて 100編の歌謡を作曲し、韓国大衆音楽界の大黒柱の役割をしてきた。 しかし、彼は心の片隅では、いつもジャズの本場を求めていたのだ。 まもなくその夢を叶え、1979年、バークリー大学にソウル音大3年を認められ編入し、留学の道が開けた。 彼が選んだ科目は編曲学で、貧弱な編曲レベルを私たちの歌謡界の難題のひとつとして指摘されてきた分野だった。 バークリーで彼は、専攻した編曲のほかにも、ジャズを勉強するために、ジャズ音楽の大家のクインシージョーンズに6ヶ月間師事を受け、 ニューオリンズ、シカゴ、ニューヨークのハーレム街などのジャズバーを訪れ、生きた体験もしてくる。 1983年12月、4年ぶりに帰国し、ソウル芸専、実用音楽科で、後学たちのために講段に立ち、 95年からはKBS管弦楽団長を任されている。 国内に現存する演奏者の中で、伝統のジャズを扱うチョンソンジョが一番願う希望は、 この地にジャズ専門スクールを開くことだ。 ソンソグォン ジャジーなジャズ話 より
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