初めて韓国に足を踏み入れる!

                                                                                           

  飛行機で、当時国際空港だった金浦空港に降りると、リムジンバスに乗ってソウル市内へ向かう。12月。冬に向かう頃だと思いきや、                        

 すでに韓国ではすっかり冬。枯木が連なる、閑散とした田舎道や山肌を見ながら、なんて私の故郷と風景が似ているのだろう、と思った。

  寒々として、色がなくて。完璧に冬の風景。寂しい。初めて車中から見た韓国は、それくらい枯れた風景だったのに、なぜかその時私

 は、今度韓国に住みに来よう、と思ってしまった。全く迷うことなく。

  だからその後、ソウルに住み、「どうして韓国に来たの?なんで韓国語の勉強を始めたの?」と質問されるたびに、困った。そのたびに

 枯れた風景を思い出すけど、うまく説明することができない。すごく気に入ったから、というのとも、なんとなく、というのとも全く違って、

 ただ、きっと行くな、という予感の通りに、必ず行こうと決心して、行っただけだ。                                          

                                                                   

  さてさて、韓国は寒い。なんでこんなに寒いのか。ソウルは北海道くらいは寒いと、わかっていたけれど、これは本当に寒い。

  すでに真っ暗になった頃、私は小さなかばんだけ持って、YMCAホテルに入った。部屋は暗くて、古いけれど、鍾路の繁華街にあるの

 で、窓の下には、山ほどの屋台も見える。車もたくさん走っていて、オレンジの色の街灯が明るい。バスルームも部屋も、なんだか匂い

 がする。不思議なにおい。昔嗅いだような、懐かしい匂い。

  テレビをつけて、出ている男性の恰好よさと、女性のきれいさに、一人でうきうきする。セーターの上にまたセーターを着て、零下7度の

 街に出かけた。

  この旅、なんで来たのかというと、はっきりしない男に、自分もうじうじしてきていたからだ。えーい、もうやだぞ!!と思い始め、海外に

 でも行けば少しは気分もすっきりするだろうと、かなり衝動的かつ簡単に決めた旅だった。その時韓国には、全く興味がなかった。一番近

 いし、手軽だし行ってみようかな、というくらいだった。

                         

  私が高校生の時、韓国から、ホームステイで韓国の男の子が家に来た。彼も中学生くらいだったはずだ。彼は韓国の大企業の社長の

 息子だったらしいので、おそまつな日本の我が家にはびっくりしたと思うけれど、家には、韓国語が書かれた紙が貼られた。トイレには1、

 2、3・・と数字が、居間の壁には挨拶。上の弟が交換でホームステイに行き、下の弟が家に来た韓国の中学生のいい遊び相手になっ

 ていた。私はというと、全く興味がなかったので、どんな風にいたのか全然覚えていなくて、彼には申し訳ないくらい多分そっけなかった

 と思う。私が彼に言った言葉は、ケンチャナヨ、だけだ。

  父も母も弟2人も、それぞれで仕事や、旅行で、既に韓国行きは済ませていたのに、私はまるで興味がなかった。

                         

  韓国の夜は、本当に楽しい。その時の私の目的は3つ。南大門市場に行くこと。板門店に行くこと。チョンニョンドンアンド、というジャズ

 クラブに行くこと。今回の滞在期間は、2泊3日だけれど、一日目の夕方に着き、2日目は朝から一日板門店ツアー、3日目には、朝6時

 起きして帰る、という中1日しかないスケジュールなのだ。すでに夜8時をまわった市内へ、私は出かけて行った。

  白い息を吐きながら歩いていき、南大門市場に着くと、ごちゃごちゃと店がたくさん並んでいる。洋服、化粧品、食べ物、靴、めがね、お

 茶、のり・・。一回りしてから、あまりにおなかもすいて、寒くなってきたので、ご飯を食べようとした。でも、なにがなんだかよくわからない。

  とりあえず、店の前に、豚の顔やら、足やら並べてある、あまりきれいじゃない食堂に入ることにする。(私は汚い食堂の方が好きなのだ)

 韓国語も全くできないから、不安ではあったけれど、まあ豚肉が食べれるのだろうと思い、それから日本語で「クッパ」と書いてあったので、

 それが食べたくて入った。店のおばさんに、まあまあ入れ、どれにする、豚食べる?とかそんなことをたぶん言われながら、店の中へ押し

 込められた。そして、その豚の足も、ちょっとだけ、頼んだ。

                        

 ・・つもりだった。しばらくすると、大皿にでーんと盛られた豚の肉が、葉っぱの上に山になってやってきた。やばい・・。誰がこんなに食べれ

 られるというの・・。だけど、言葉ができないし、どうしよう?と、動揺していると、さらに、クッパがやってきた。クッパもまたたっぷりでキムチ

 もどっさりやってくる。もう、一人じゃ絶対ムリだ・・。こんなに一人で頼むわけがないじゃない・・・おばさん・・。でも言えない。

  前の席に、女の子2人が食べているだけで、あとは客がいなかったけれど、恥ずかしいから、さっさと食べて出よう、と思った。せっせと、

 豚足の山を減らそうとしたが、食べても食べても食べても、減る気配はない。

                               

  するとそこに、男性4人が入ってきた。なんと、彼らは日本語でしゃべっているではないか!私は、小さくなって韓国人のふりをして食べ

 続けた。

 見てる・・・。前方にいる男性が私のテーブルに置かれた山のような食事を見ている・・。

  しばらくして、私は、もうだめだ、食べきれない、と思った。そして、そうだ、これを彼らにあげよう、と思った。どう見たって、一人で食べきれ

 る量ではないのだ。早速、無理矢理、食べ残しを彼らに差し上げ、一緒のテーブルでどうだ、と言われ、しまいには、頼んでもいない焼酎

 までごちそうになった。聞けば、韓国の女性は一人ですごい量を食べるんだなあ、と思って見ていたそうだ。

                         

  翌日は板門店ツアー、戻ってきてからは、夜中まで、仁寺洞、明洞、鍾路界隈をほっつき歩いた。屋台のトッポキも、おでんも、出店も、

 コンビニも、すべてが、にぎやかで、夜の街は明るかった。いつまでもうるさく、ホテルに戻ってからも、すぐ真下の、人声とクラクションと

 明かりにわくわくしていた。眠るのがもったいなくて、朝方まで、ずっと起きていた。

  ヨーロッパや、東南アジアのあちこちに旅に出て、いろんな出会いや出来事があったのに比べると、特に何があったわけではなかった。

  だけど、すごく楽しかった。そして、普通にいられるということが、他の国との大きな違いだった。

  帰るときには、迷いもなく、今度絶対に住みに来るんだ、と思っていた。

  その時から2年後、私は再びソウルにやって来た。