Scene

人生は数多くの Scene で綴られています。音楽を通して Happy にしてくれた多くの人達を ご紹介いたします。

その繋がりが今後も、もっともっと広くひろがればと思います。




高校の頃、ほとんど勉強もせず、遊んでいたり、ギターを弾いていたりで過ごした。 地元のアマチュア音楽サークルに参加
し、学内・外で活動していた。 多少「井の中の蛙」気味に、大学入学で福岡という「大海」に出た。かなり衝撃を受けた。
当時は各地方ともアマチュアシーンが活発で、そこから寄り集まった面々は つわもの揃いだった。各地方ごとに、また年齢
ごとに影響を受けたものが違っていて、「フォークソング」 という「井戸」での生息が長かった小屋主にとって、その大海はと
ても広く感じられた。同級生だが二つ年上の浅野佑悠輝 氏に出会ったのはその頃だ。ファッションリーダーというか、オピ
ニオンリーダーというか、いろんな事に長じていた彼は大学の音楽サークルでも 特筆すべき活躍だった。就職もせず、プロ
を目指して仲間内からいち早く上京したのも彼だった。それに触発されて 小屋主も後年上京した。当初彼のアパートに居
候させてもらった頃の毎日は今でもとても良い思い出だ。彼は現在も東京で作家と して幅広く活躍している。近年はインデ
ィーズレーベルを起ち上げ、アーティストとして全国の都市でライヴ活動もしている。 抜群のヴォーカルと音楽センスは小屋
主にとって羨望の存在。
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大幅に時空間が跳ぶが、2002年正月、旧交を温めるため同級生の家へ。 折りしも、もう一人の同級生が、ギターを持って
遊びに来ていた。そういうシチュエーションは高校の頃を思い出してしまうほど、 懐かしくもあどけない大人達だった。毎週
末、ギター持って遊びだし、3ヶ月程経つとユニット名を「41」と付け、何処かで歌いたくなった。 地元の「ミュージックラヴァ
ーズ」というサークルの呑み会に参加。 そこでThe Spirit Of Radio と出会った。 宇佐市近郊に住みながらも県内各地で
精力的に活動をしているという。幅広い音楽性を持ちながらも、 スリーピースとして最上のパフォーマンスを追及している。
そのオリジナルはキャッチー且つハイクオリティで、実力・人柄から多くのファンを持つ。
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せっかくだから「何処かでやりたい」というわがままに「Spirit」のメンバーが応えてくれた。 大分市内のライヴハウスを紹介
してくれるという。大分市は大学時代しょっちゅう遊びに行っていた街だが、 都町界隈はほとんど知らない。その都町のはし
っこ、白いビルの5階にねいろや はあった。 人の良いマスターが歓迎してくれた。アットホームなスペースはライヴハウス
なのに上品で落ち着いた感じのお店だ。料金もリーズナブル。迎えてくれるマスターとママの 人柄が温かい。えりちゃんの
笑顔も素敵だ。多くのミュージシャンが出入りする。セッションもしばしば行われる。音楽を愛した マスターのライフがいたる
所に散りばめられている。マスター自身もプロ経験のあるミュージシャンである。ギタリストで あり、ヴォーカリストであり、
キーボーディストであり、ベーシストでもある。その卓越したプレイと野太いVo.に圧倒される。 必聴モノ。豊富なキャリアと
優しい人柄、透徹したプロの目で温かく大分ミュージックシーンを牽引している。
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「41」初めてのライヴは2002年6月17日だったと思う。小屋主は大学卒業後はあまりライヴ活動は していない。バンドを組
むのが億劫だったことと、その頃宅録できるシステムが一般化しだしたからだ。 小屋主はきっとパフォーマーではない。本
音をいうと人前で何かやるのは苦手だと思う。何故ここまで音楽を引きずってきたかという と、詞・曲を作るのがどうしても
好きなのだ。宅録はその小屋主の欲求を満たすのに充分なスタイルだった。ギターを弾くのも 相当久しぶりだった。おそら
く20年に近いブランクがあった。第一、その間持っていなかった。
その日のライヴで共演したのが 「Yarows」現在の Complete である。すぐに仲良くなった。 個性的なオリジナルはどこか
悲しげでもあり、力強くもあり、魅了された。メンバー全員いい人達で、音楽に対して真っ直ぐだ。 一部編成が変わり、2004
年7月10日に復活を遂げた。新曲は日常の風景の中での彼らの等身大の心情を飾らず唄っていて、 とても素敵だ。静かに
聴き入ると、その「素直さ」が切々と伝わってくる。
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宇佐市内の「四日市七夕祭」なるイベントが毎年夏にある。そこでミュージックラヴァーズの ストリートライヴが行われる。
小屋主は出演したことがないのだが、PAとして汗を流している。とても小さなイベントなのに 「The Spirit Of Radio」を追い
かけて大分からやってきた若者(?)が二人いた。人の流れにも浸透圧がある。何かあると田舎から 都会へと流れるのに、
彼らは都会から田舎のライヴイベントを見に来てくれたのだ。その後もいろんなライヴで彼らと出くわし、 顔馴染になった。
一人は吉田尚史 通称:よしぴー君である。 彼は福岡や横浜などでずっとライヴをやっていたそうである。2003年大分に戻
り、あっという間に大分ミュージックシーンの常連になった。粗削りだが、音楽 をやってゆく上で一番必要なものを感じさせ
てくれる。それを持っている人は意外と少ないと思う。歌わずにいられないものをいっぱい 感じとっているナイーヴな彼が紡
ぎ出す世界は「オリジナルの真骨頂」といえる。
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前述のもう一人がタカ 君である。ライヴ会場の 客席で静かに、しかし大きな存在感で彼はいる。話しをしてみると、東京の
劇団で制作、音響をしていたそうである。なるほど。頷ける雰囲気がある。しかし、何処か謎めいてもいる。 表にはあまり出
さないが音楽をよく知っている。ギターなんか、詳しいだけでなく、改造すらしてしまう。 いろんな事をやるが、根っからのクリ
エイターだと小屋主は分析している。現在、彼と「ITMプロジェクト」を起ち上げ中である。 彼の才能に巻き込まれてみようと
思う。
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2002年のある日、「ねいろや」に観客が溢れ返っていた。 その時に出演していたのがゴスペルグループエラン である。
小屋主もブラックミュージックが大好きである。 東京時代に行ったライヴの殆んどは黒人アーティストだった。ブラックミュー
ジックの原点がゴスペルかどうかはわからないが、 あの圧倒的なグルーヴとエモーショナルな歌声はヴォーカリストのはし
くれとして畏敬の念を抱いてしまう。
大勢のファンを持つ彼女らと共演したいと思っていた小屋主の願いは2003年8月に 「41omnibus」で叶えられた。
アットホームでキュートなステージング、大人の上質な音楽を提供してくれる。 またコーラスとしていろいろなバンドとの
コラボレーションも盛んである。黒一点のリーダーがなんとも羨ましい。
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2003年2月「ねいろや」出演の折の対バンで、強烈なインパクトで登場したのが エメラルドグリーンの海が好き!
ダモーンズ
である。メンバー全員豊富なキャリアを持つツワモノぞろいである。 ハイテクニックで個性的な各人が織り成す
サウンドはぶ厚く、オリジナル曲はハイクオリティ。イチロー氏の存在感のあるVo.、 熱いパフォーマンス、遊び心も取り入れ
たステージは圧巻。毎回足を運ぶファン多数。実に「バンド」らしいバンドである。
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2003年の夏頃だったろうか。ふと遊びに行った「ねいろや」さんで偶然、彼と彼女 のライヴに出会った。洗練されたアコギと
艶やかな声で洋楽の名曲をカヴァーしていた。そのおしゃれなパフォーマンス とうらはらに曲間のMCはオープンで面白い。
夫婦デュオのNobby & Mirry である。 天分というものを考えさせられる時がある。彼女は過去、音楽活動をしていたわけで
はないらしいが、カレン・カーペンターを彷彿させる歌声はまさしく持って生まれた 素質だろう。誰をも魅了する声と洋楽を親し
んできたことにより自然と身についたフィーリングが素晴らしい。一方、彼はロック ギタリストでもあり、キーボード、ドラムをも
こなすマルチプレーヤーである。二人のハーモニーは美しく、秀逸なオリジナル曲に 思わず惹き込まれる。
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意外にも大分県内にライヴハウスは多い。野外やホールでのイベントまでいれたら、 毎週かなりの数のライヴが開かれ
ている。さまざまなジャンルに亘っていろいろなバンド、ユニットが活動している。 音楽的にかなり『熱い地域』と思う。
県内のインディーズを中心にライヴ等、豊富な情報を発信してくれているサイトがある。 おおいた音ねっと さんである。
県内で活動する多くのミュージシャンを幅広く紹介する各ページには温かなまなざしと 情熱が溢れている。
管理人氏ご本人もミュージシャンである。お会いすると温和で誠実なお人柄がしのばれ、 何より音楽と人への愛情が
ひしひしと伝わってくるのだ。
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2004年ライヴハウスでお会いしたのが一茶さんである。ビールを奢ってくれ、 当時小屋主のPCの不調を解消するのに
メモリーまでいただいた。なんていい人なんだろう。感激。
大分の郊外にスタジオを持ち、機材環境の良さとリーズナブルな提供価格に多くの バンドが利用している。
また、春季から秋季まで大分のスポーツパーク21で毎月開かれる野外ライヴ Go Band Go in Oita の主催者である。
サイトにはインターネットラジオを開局し、いろんなバンドの紹介や楽しい企画を発信 している。その精力的な活動に脱帽
する。多岐に亘るプロダクションを何よりミュージシャン側からの発想で、 あたたかく真摯に運営されているのがうれしい。
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2005年1月。イチロー氏率いる「ダモーンズ」の音頭取りで「バンドマン新年会」が開かれた。 毎年恒例らしいが、今年は
県北USA地区から「SPIRIT」の里氏、げでー氏、「レッドホットチリ紙」のVo.氏、 「WYBURN」の渡辺氏、そして小屋主も
参加できた。「アマチュアミュージックシーンを盛り上げよう!」という意気込みに40名を 超す大賑わいとなった。
ハードロックギタリスト・KENJI氏とはライヴ会場でよくお見かけし、 「チェリコ」のキングと旧知の仲だとも知っていたが、
話をしたのはこの時が初めてだったかも。当時彼がいた「TWIN SPIRAL」は前身の 「SEA SIDE」の時から馴染みは深い
が、たまたま、まだライヴを観に行けてなかった。 3月のライヴ観戦の約束のうちに、事情から解散。そして新バンド
VAIRUS を立ち上げた。 夏のライヴデビューに向けて始動している。
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2003年だったと思うのだが、その日「ねいろや」に初登場した若い POP ROCK BAND を見た。 Fuzzy Style である。
非常にキャッチーな曲調と伸びやかなVo.が印象的だった。Gt.の森川君は前述の Complete のYukarin と従兄弟だと
知ったが、なぜか、その後すれ違いばかりで、ようやく05年6月のTOPS LIVE にて 初共演した。あれから2年、若者達
は見事にパワーアップし、ビルドアップされていた。アップナンバーからバラード まで多彩かつキャッチーな曲は大勢の
ファンから支持されている。今後がますます楽しみだ。
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かねてからご高名は聞いていたが、2004年の初夏、一茶さんのスタジオで初めてご挨拶したのが、
土下座ファイターズ・晩ケイレン のギタリストの「えびぃさん」こと古田氏だった。両バンドでコンビを組むベーシストの
「かいちょう」こと竹村氏ともその後知り合えた。両氏とも名うての凄腕プレイヤーである。 各方面でのサポートプレイ等も
こなし、精力的に活動されている。ステージ外でもいろいろ楽しませてくれる二人だが、 ともかくその力量による存在感
は圧倒的。そしてなにより「BBSの達人」だといつも感心する。
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