Essay


音楽のある情景

小屋主が子どもの頃にはピアノを習っている男子なんかいなかった。遠い記憶だが、どの家に 行っても、ピアノ自体を見たことがなかった

ように思う。・・・たまたまなのだろうか。?。クラシック系の楽器は概ね幼い頃から習い、 修得してゆくものなのだろう。小屋主は今にして

思えば、幼い頃からピアノを習っていれば・・・・・・と思うけれど、前述のような環境だったので、 当時はそんなことを思ってもいなかった。

末っ子だったので、兄姉の影響で音楽に触れ始めた。思春期に友達と安いギターを購入し、 バンドを組んで、いつしか夢中になった。

自分の才能を信じてなんかいなかったけれど、仲間がプロを目指すのに触発されて、東京にまで 行ってしまった。片手間で音楽を楽しめ

るほど社会は甘くはなかったので、どうせならそのことだけに専念したいと思って、無謀にも「プロ」 を目指した。勿論、それだけで生活な

んかできなかったから、働いた。それは結構大変なことだったのだけれど、そのことで学べた事も 多かったし、決して無駄ではなかったと、

最近では思えるようになった。



ミュージシャン生命は概して、とても短いと思う。クラシック系やジャズ系を除けば、大多数の ポップス、ロック系のミュージシャンのピーク

は前半生に偏っている。プロでもアマでも。そのことはとても淋しい。絵画しかり、文芸しかり、 芸能しかり、およそ「芸術」とは年輪を重ね

て高みに到達するはずなのに。勿論、若いから稚拙とは限らず、若いがゆえに、とてつ もないエネルギーや斬新なセンスに遭遇すること

はよくある。何十年もかかって会得したものを遥かに凌駕する若い才能も見受けられる。でも、 年をとって、やる意味さえ認められなくなる

のはあまりに残酷だ。



日本のミュージックシーンの場合、買い手が圧倒的にティーンエイジということがあって、 レコード会社等の売り手はビジネスとして、その

客層への訴求力を企業をあげて探し求めている。大部分の大人が若い頃には音楽に対して 流行のもの、新しいもの、未知なるもの、秀逸

なものを求めても、年齢を重ね、家庭を築き、社会において責任を負わされだすと、 いつの間にか音楽を聴くことさえ遠ざかってしまっている

気がする。ゆえにミュージシャン生命も概ね短くならざるを得ないのだろう。それはそれで 仕方の無いことだろうけど、それでも音楽をやり続

けている大人が周囲に少なからずいる。いろいろなことから限られた範囲の中で。 そのことはとても嬉しいし、素晴らしいと思う。夢を追いか

けている時はそれだけがすべてのように思ってしまったけれど、音楽をやることの 意味はそんなものではなかったことが今はわかる。勿論、

若い人が夢に向かおうとすることは大いに賛成だし、応援したいし、何かの役にも 立ちたい。小屋主も夢を追いかけ、挫折して今日がある

けれども、過去の自分の音楽に較べれば、現在の自分の音楽に満足している。 もとより他と較べてもしょうがないのだ。プロだろうがアマ

だろうが、ゆっくりだろうが年老いてだろうが、上手だろうが下手だろうが、情熱を褪せずに やり続けているのなら、それは誇らしげなことだ

と思う。今日もどこかで楽しそうにステージでプレイしている、すべてのミュージシャンに 拍手を送りたいのだ。




音楽のある情景-2

ドアを開けると落ち着いた空間に60〜70年代のBGMが流れている。茶色系をベースにした店内は あたたかな感じがする。人の良いマスタ

ーがファミリーでやっているこの場所は、他とは違い、つっけんどんな感じがない。そこが小屋主の 一番気に入ってるところだ。

マスターの古くからの音楽仲間や30〜50才台の大人のミュージシャンのライヴが開かれる。 同時に、20才台の現役ミュージシャン達も数知

れず登場する。世代の差は「音楽」という共通項が埋めてくれる。若い人達の中には もちろんプロ志向の人からビギナーも含まれているし、

大人の中には名うてのプレーヤーから何十年ぶりかでステージに立つ人まで多彩。若者はベテラン のプレイから学ぶこともあるだろうし、い

つまでも無邪気に騒ぐ大人たちのあどけなさを愛していてくれるのかもしれない。 大人たちは昔、自分たちが歩んだのと同様の道程にいるで

あろう若者をあたたかく、また期待を込めて見守っているのかもしれない。



クラシックやジャズはさすがに本格的な修練を積んだ人たちから成る音楽であるから、その 音楽的な完成度やテレビから垂れ流される頻度の

少なさから、アマチュアでも観客動員力は根強い。観客を選ばない「イベント」では、圧倒的に 歓迎される。他方、フォーク、ロック、ブルース、

ポップス等はメディアに溢れているからか、嗜好に偏りが生じやすいためか、観客を動員 するのはなかなか難しい。好みに左右されやすく、仕

掛けが面倒だったり、ラウドネスな音は、普遍的とは言えず、「イベント」においては空回り することが多いように思う。若者のストリートパフォー

マンスは街にあふれている若者たちに身近な共感を与え、好奇心の旺盛な同年代を惹きつけるが、 やはり限られてしまう。個人的な主張の

強い音楽はアマチュアレベルでは決して多くの人から歓迎されることはないのだろうか。



それでも、そんな音楽が好きな人々に場所を提供してくれているのが各ライヴハウスである。 それは「隠れ家」のようでもあり、「オアシス」の

ようでもある。限られた場所を見つけて、ようやく僕らはエネルギーを解放できる。 「好きじゃないとやっていけない」のは、ミュージシャンもオー

ナーも同じだろう。経済的な潤いはほとんどないであろうし、何故やっているかと 問われれば、「好きだから」というしかない。ただ、そのことで

心に潤いが満たされているのは間違いない。ミュージシャンにはいつまでもやり続けて欲しいし、 ハウスの経営が末長く順調に続いてゆくこと

を切に願っている。