HISTORY


2003年8月24日、ミノトール2のイベントで配布された銀次・作成の「ごまのはえ〜ココナツ・バンク年表」

1950年 12月24日

大阪市住吉区に歯科医の長男として生まれる。本名、伊藤一利。B型

池田市の学芸大学附属池田小に入学。テレビで観たクレイジー・キャッツに夢中になる。

1963年 附属池田中 中1の時、友達とSF同好会を作り、笛博のペンネームで大学ノート15ページにわたり「サンタが町にやってくる」を執筆する。仲間のひとり、宮脇君に借りたビートルズのシングル「プリーズ・ミスター・ポストマン」を聴いてポップス/ロックに目覚め、ラジオのヒットパレード番組を片っ端から聴くようになる。
架空のグループ、M&ザ・フィンガーズを考案。デビュー曲「彼女はご機嫌(She's So Sweet)」
(タイトルのみ)と、アルバム「ミート・ザ・フィンガーズ」のジャケットまで自分で制作。
初めて買ったビートルズのシングルは「アイ・フィール・ファイン」。

1967年 附属池田高 高2の時、初めてギターを買い、シャドウズのカバー・バンド、キャバーンズ結成。その後、ザ・ドアーズ・タイプのバンド、バナナ・スマイルや、クリスタル・ブロンドなど様々なバンドを作る。
当時聴いたスペンサー・デイヴィス・グループの(自分と同年齢の)スティーヴ・ウィンウッドの歌声に
「俺のヴォーカルはこれからのロックに合っていない」と思ってしまい、ギタリストとしての腕を磨く。

ビートルズの「サージェント・ペパーズ」を聴く。

1969年 大阪歯科大入学。この頃から「カントリー・ダッド」「カリフォルニア」「ユア・ジ・ワン」など銀次自身の
オリジナル曲をつくり始める。ブルース・バンド、ブルース・ウォール結成。

1970年 4月 大学2年の時結成した英語のオリジナル曲を演奏するバンド、ウッドブロックで「Be-in LOVE」コンサート@大阪天王寺野音に出演(25,26日)。
8月 グラス・ブレインを結成し、夏休みに京都へ移住。大学をドロップ・アウト。この頃ちょっとした冗談から付いたニックネーム「銀次」を名乗るようになる。
「ロック合同葬儀」@大阪城公園(12,13日)に出演。なお、グラス・ブレインからドラムに上原裕(ex.ハウス・グラス・ホッパー)が参加。
銀次はストーン・ハウスの「円山オデッセイ」や、ルーシーズ・ブルースバンドの西宮コマプールにゲストでギター演奏。神戸国際会館のファッション・ショーで音楽を担当。

1971年 グラス・ブレインは神戸シャルマン、梅田の「こだま」「メイド・イン・日本」などでディスコのハコバンとして活動。
銀次ははっぴいえんどを聴き、日本語オリジナルのロックを目指そうと、ごまのはえ結成。当時溜まり場にしていた大阪難波のロック喫茶「ディラン」でCS&Nのコピーでデビュー。六本木自由劇場の岡林信康とはっぴいえんどのツアー打ち上げの時、細野晴臣に酔ってからんでいる男(銀次)を大瀧が目撃。これが最初の出会いらしい(大瀧談)
5月5日 グラス・ブレイン、第一回「春一番コンサート」に出演。ゲスト・大瀧詠一

1972年 加川良のアルバム「親愛なるQに捧ぐ」にギターで参加。これが初レコーディング体験。
日仏会館で東京ライヴ・デビュー。同日、鈴木慶一とはちみつぱいも出演していた。
ごまのはえ、ベルウッド・レコードから銀次の作った曲「留子ちゃんたら」でシングルデビュー。
末永博(Vo)/伊藤銀次(G)/角谷安彦(Vo,B)/藤本雄志(P)/上原裕(Dr)/Pooh(Hammond)
高槻市民会館の学園祭ライヴを大瀧が観に来る。この時アルバムのプロデュースを依頼。
布谷文夫とココナッツ・バンク「悲しき夏バテ」「深南部牛追い唄」
12月30日 両国日大講堂「祭1972暮・さらば歌たちよ」
内田裕也/ごまのはえ/はちみつぱい/岡林信康/加藤和彦 etc

1973年 5月6日 関西系音楽フェス「第二回・春一番」コンサート。出演は吉田美奈子/布谷文夫/中川五郎/中山ラビ/加川良/センチメンタル・シティ・ロマンス
ごまのはえ「語呂合わせ」「留子ちゃんたら」「のぞきからくり」「おはよう眠り猫君」「日射病」などを演奏
大瀧を頼って上京。福生の「パジャマ・ハイツ」でザ・バンドのビックピンクさながらのバンドでの共同生活。
バンド名をココナツ・バンクに変更。
大滝の指示により、バンドでヴォーカルをとるようになる。
ココナッツのメンバーの駒沢と入ったロック喫茶で、山下達郎が作ったビーチボーイズのカヴァー中心の
自主制作アルバム「AddSomeMusicToYourDays」の中の一曲「Wendy」を聴き、買い求める。そのレコードをさらに大瀧が聴き、シュガー・ベイブの「はっぴいえんど解散記念コンサート」でのライヴ・デビューが決まる。
岡林信康のアルバム「金色のライオン」にギターで参加。
9月21日 はっぴいえんど解散記念コンサート「CITY-Last Time Around」@文京公会堂 ココナツ・バンクのデビュー
はっぴいえんど、南佳孝、吉田美奈子、西岡恭蔵、布谷文夫、
大瀧詠一とココナッツ・バンク、キャラメル・ママ、ムーンライダーズ

大瀧詠一(Vo,EG)/伊藤銀次(Cho & EG)/駒沢裕城(Cho & Steel G)藤本雄志(B)/上原 裕(Dr)/
シュガー・ベイブ(Cho)/シンガーズ・スリー(Cho)

※アルバム「ショーボート・ライヴー素晴らしき船出・1974」にココナツで2曲収録「日射病」「無頼横丁」
 アルバム「MORE Niagra Fallstars」に「お早う眠り猫君」収録
コンサート終了後、事実上ココナッツ・バンク解散。当時、山下とふたりで曲を作っていた(後にシュガー・ベイブのアルバムに収録されることになる)

1974年 オムニバス・ライヴ・アルバム 「ライブ1973 PM9:00 - 1974 AM3:00」に収録されている
岡林信康のザ・バンドのカヴァー
「I Shall Be Released,」にギターで参加。
他のメンバーは松本隆(Dr)/ 細野晴臣(B)/ 矢野誠(Key)/鈴木慶一(Key)

「いとうたかおファーストアルバム」に参加。
いとうたかお(vo)/中川イサト(arr,AG)/伊藤銀次(EG)/松田幸一(WB)/高田渡(f mandolin)
/林敏明(Dr)/岡田徹(Key)

7月11日 三ツ矢フォークメイツ@都市センター・ホール 
大瀧詠一、シュガー・ベイブ、布谷文夫、ゲスト:鈴木 茂
バンド:伊藤銀次(G)/田中章弘(B)/上原 裕(Dr)/駒沢裕城(Steel G)/
稲垣次郎セクション(Horns)/シンガーズ・スリー(Chorus)
7月19日 沢チエ・リサイタル@草月ホールにシュガー・ベイブ、矢野誠とともに出演
7月23日 シュガー・ベイブ・ライヴ ギター&コーラス
依頼を受けたキングトーンズのために「ダウンタウン」などを書くが、企画が潰れシュガーベイブでレコード化。
11月6日 コンサート「再会そして出発」@新宿厚生年金小ホール(翌年のベイエリア・コンサート・ツアーに繋がる)
小坂忠、ティン・パン・アレイ、吉田美奈子のライヴにギターでゲスト出演
銀次(G)/林立夫(Dr)/斎藤ノブ(Pre)/細野晴臣(B)/松任谷正隆(key)/吉原まき子(key)/
吉田美奈子(Vo)/シュガーベイブ(Cho)
11月24日 矢野誠、山下達郎とともに布谷文夫のライヴにギターで出演@横浜グリーンピース

1975年 ハイファイ・セットのバック・バンドに参加。メンバーには、当時、バックレーン元春セクションから引き抜かれたドラムの重田真人もいた。チェリッシュのバックもこの頃(?)
3月〜6月 達郎からの要請で、上原裕とともにシュガーベイブの第3期のギタリストとして3ヶ月在籍。「ベイエリア・コンサート」にシュガーで出演。
スタジオの仕事をこなす。細野晴臣「トロピカル・ダンディー」、大滝詠一「NiagaraMoon」、石川セリ「ときどき私は」、ハイ・ファイ・セット「Hi-Fi Set」、風「ファースト」などのアルバムにギターで参加。
「オールマン・ブラザーズ・バンドのすべて〜スライド・ギター&ツイン・リード・ギター奏法の徹底的研究〜」
村松邦男との共同編著。リットー・ミュージックより出版。

1976年 坂本龍一(key)/吉田健(b)/上原裕(Dr)/斎藤ノブ(Per)らと共に、リリィ&バイバイセッション・バンドで活動
バイバイセッション・バンドのメンバーでりりィのアルバム「オーロラ」をレコーディング。この時のメンバーでマジックバッグというバンド名でレコードを出す予定だったが実現せず。(バイバイセッション・バンドでのライヴでは「マジックバッグ」と名乗っていたらしい。
3月25日 大瀧詠一、山下達郎との共演盤「Niagara Triangle vol.1 」発売。銀次、山下のナイアガラ卒業記念盤(?)
3月29日

ナイアガラ・トライアングル・コンサート@芝・ABC会館ホール
大瀧詠一、山下達郎、伊藤銀次&バイバイセッション・バンド、布谷文夫
「幸せにさよなら」「日射病」「無頼横町」「ココナッツ・ホリデー」
+アンコール「幸せにさよなら」(with 大滝詠一、山下達郎)

4月25日 ナイアガラ・トライアングル(大瀧、山下、伊藤)名義でシングル「幸せにさよなら」発売。

1977年 5月25日 初のソロ・アルバム「Deadly Drive」とシングル「風になれるなら/こぬか雨」リリース(ワーナー)
6月25日 シングル「デッドリィ・ドライブ」発売。
12月22日 坪田直子(のちにBBクィーンズに参加)のソロ・リサイタル「雪待ちパンプキン・ガール」@都市センターホールに「Deadly Drive」の録音メンバーのバンドで参加。
シュガー・ベイブのマネージャーだった長門芳郎の事務所「テイク・ワン」に出入りしていた。当時は所属のピアニスト山下洋輔らのライヴに行き、この頃打ち上げでタモリとも知り合う。
ガロのレコーディングに参加。

1978年 このころ譜面、アレンジなどの勉強を本格的に始める。スタジオやCMソングの仕事も多い。

1979年 伊藤銀次バンド('79〜'80)伊藤銀次(Vo,G)/岡嶋善文(B)/田桑一朗(Dr)/西本明(Key)/板倉雅一(Key)

1970年代 アマチュアからプロへ。関西フォーク/ロックシーンで活動後、東京へ。ベルウッド・レコードを経てナイアガラへ。ココナツバンクは大滝詠一が初めてプロデュースしたバンドであり、また大瀧座右の書「日本の喜劇人」を彼に紹介したのも実は銀次。そして山下達郎の発掘。銀次がいなければ彼はナイアガラ一派ではなかったわけである。ソロ・デビューを果たすがまったく売れない苦闘の修行時代。
1980年 松原みき&カステラ・ムーンのライヴ
6月〜8月に全国6ヶ所、12月に全国4ヶ所の年2回のコンサート・ツアー
カステラ・ムーン:
伊藤銀次(G)/ 井上哲也(B)/本城真樹(Dr)/斉藤隆文(Key)/山際 築(Key)/笠原 紀(Sax)
2月頃(?)サンダー・ミュージックの佐野元春のディレクターだった佐藤文彦を通じて
新宿のTake One Studioでデビュー前の元春と出会う。
4月発売の元春のデビュー・アルバム「Back To The Street」で4曲アレンジを担当。
5月 TVKのライヴ番組「ファイティング'80s」収録時、番組レギュラーだった佐野元春と再会。
彼の要請でバック・バンドに参加。
佐野元春6月の横浜の舶来屋、7月から新宿ルイードで定期ライヴ。
同8月、元春のセカンド・アルバム「Heartbeat」のレコーディング・スタート。
8月9,10日 元春の所属事務所・ヤング・ジャパンのイヴェントでThe Heartlandは葉山マリーナでライヴ。
10月6日 横浜・紅葉坂にある横浜市教育会館で The Heartlandとしての初ホール・ライヴ。
曲提供の依頼を受けた佐野元春とともに、沢田研二のアルバム「G.S.アイ・ラヴ・ユー」のレコーディングに参加。この出会いが伊藤銀次の職業アレンジャー、プロデューサーとしての出発点ともいえる。またこの時の沢田のプロデューサー、木崎賢治(笠原じゅん)との出会いが「BabyBlue」を出すきっかけとなる。

1981年 4月、松原みき@渋谷・エッグマン・FM東京生ライブ
松原みき全国ツアー 10ヶ所11公演(5月〜7月まで) 
伊藤銀次(G)/木村和夫(B)/菅沼オミラ(Dr)/斉藤隆文(Key)/加賀谷護(Sax)
佐野元春with The Heartlandのギタリスト兼バンマスとして
新宿ルイードを拠点にライヴ活動。当時、銀次ソロは「幸せにさよなら」を歌っている。
元春との共同プロデュース作ともいえるアルバム「Heartbeat」2月25日発売。
佐野元春 with The Heartland「Welcome To The Heartland Tour」スタート。全国40ヶ所。
9月 佐野元春 with The Heartland 「Rock'n'Rll Night Tour」スタート。全国40ヶ所。
この頃のライヴでは「Baby Blue」を歌っていた
TBSの「赤坂ライヴ」(TBSの林美男氏の企画)の後、大滝から電話。「Niagara Triangle Vol.2」の元春参加を打診。「(大滝が)「客席から見ていたら佐野の横にVol.1銀次がいたので因縁で決めた。」もうひとりは杉真理」。大滝が、ジャパコン最終日の杉のライヴ・ステージ上で「レコード会社に了解をとらず抜き打ち」で発表。
上とし恵、ひかる一平・出演の映画「胸騒ぎの放課後」の音楽を担当
※主なプロデュース:山下久美子、沢田研二、ひかる一平、ヴィーナス

1982年 新宿ルイードでソロ・ライヴ。バックはThe Heartlandのメンバー。
4月21日、元春のアルバム「SOMEDAY」発売。
佐野元春 with The Heartland 「Rock'n'Rll Night Tour」追加公演・全国11ヶ所スタート。
大滝詠一プロデュースの金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」(ビートルズのカバー・・といえるのか?)に潜水艦の艦長役で参加
4月25日 アルバム「Baby Blue」
シングル「雨のステラ/Conglatulations」発売
6月25日 シングル「真っ赤なビキニのサンタクロース/プラネット・ガール」発売
9月25日 アルバム「Sugar Boy Blues」
シングル「恋のリーズン/フールズ・パラダイス」発売
10月4日にテーマソング「ウキウキWatching」を担当したCX系バラエティー番組
「笑っていいとも」がスタート。
12月3日 ヘッドフォン・コンサート@渋谷公会堂
大滝詠一、ゲスト:杉真理、佐野元春 with 伊藤銀次(G) & ダディ柴田(Sax)
12月25 「Sugar Boy Blues」をひっさげ初のホール・ライヴ@大阪御幸会館。26日(東京久保講堂)27日(名古屋雲竜ホール)と全国3ヶ所で開催。
※主なプロデュース:沢田研二、佐野元春ひかる一平

1983年 レギュラー・ラジオ番組「サタデー・ナイト・クラッビング」小森まなみと一緒にDJをしていた・・らしい
3月22日 NOBODYとのジョイント・ライヴ@新宿ルイード
4月25日 アルバム「Stardust Symphoney'65-83」
シングル「泣きやまないで、LOVE AGAIN/ディズニー・ガール」発売
6月 ソロ活動に専念するため The Heartland脱退。
7月4日 「Stardust Symphoney Tour」スタート。初の大規模な全国ツアーで9ヶ所回る
10月21日 アルバム「Winter Wonderland」
シングル「あの娘のビッグ・ウェンズディ/パリッシュブルーの朝に」発売
10月31日 「Winter Wonderland Tour」@ラフォーレ原宿・東京、他全国14ヶ所。
この時期、学園祭ライヴにも多数出演
※主なプロデュース:アン・ルイス、PANTA、C-PONT、憂歌団、井上陽水

1984年 田村正和・主演の東京放送系のドラマ「夏に恋する女たち」の音楽を担当。主題歌は大貫妙子。
ライヴ「杉 真理とその仲間たち」 伊藤銀次、Hi-Fi SET、安部恭弘、飯島真理。
7月21日 アルバム「BEAT CITY」
シングル「彼女のミステイク/愛のゆくえ」発売
9月5日 12インチシングル「BEAT CITY(Extended Fun Mix)」発売
※主なプロデュース:アン・ルイス、早見優

1985年 5月 バブルガム・ブラザーズとともに元春の「Visitors Tour Special」にゲスト出演
5月25日 シングル「夜を駆け抜けて/愛をあきらめないで」発売
9月1日 アルバム「PERSON TO PERSON」
シングル「フラワーズ・イン・ザ・レイン/ロックンロール・ドクター」発売
ライヴ「杉 真理とその仲間たちVol.2」 伊藤銀次、安部恭弘、EPO、麗美、飯島真理。
杉真理のシングル「Key Station」(『Symphney#10』収録)で「Baby Blue〜♪」と一小節だけ歌う
12月23日 Brithday & Christmasコンサート@日本青年館
※主なプロデュース:バブルガム・ブラザーズ、小幡洋子、小泉今日子

1986年 2月11日 テーマ曲を作ったTV番組「笑っていいとも」のテレフォンショッキング・コーナーに出演。
前日の紹介者は飯島真理、翌日つないだのはバブルガム・ブラザーズだった。
7月23日 アルバム「GET HAPPY」
シングル「7月のオーロラ/ティナ」発売
8月30日 「Get Happy」ライヴ@日比谷野外音楽堂
11月21日 シングル「イマジン/Whatever Gets You Thru The Night」発売。ジョン・レノンのカヴァー
小林克也とのデュエット。
※主なプロデュース:戸川京子、荻野目洋子

1987年 ラジオ番組「FMナイト・ストリート」??東海テレビの「気分はセッション」の司会を務める(??)
3月21日 アルバム「NATURE BOY」
シングル「グラストゥリーの夜/Rock'n'Roll Child」発売
※主なプロデュース:須藤薫

1988年 3月25日 アルバム「HYPER/HYPER」発売
5月13日 Welcome To The Hyper World@日本青年館・東京。5月16日御堂会館・大阪
7月6日 Niagara、ワーナー、ポリスター、東芝など複数レーベルに跨ったベスト「CHANGES"History Of GINJI″」発売
9月4日 名古屋ハートランド・スタジオ
9月11日 「ゲリラ・ロックって何だ?」 @新宿パワー・ステーション
ゲスト:加藤ひさし/古市コータロー

1989年 4月〜90年3月まで「平成名物TV・イカすバンド天国」の審査委員として全国放送に登場。。
4月8日 シングル「ロック・スターの悲劇」発売
4月26日 アルバム「DREAM ARABESQUE」発売
4月27日 ブリティッシュ・カバー・スペシャル@汐留PIT・東京(銀次プロデュース)
出演:伊藤銀次/かまやつひろし/MARCY/山口富士夫/東京少年/ピチカートV/小林克也/戸川京子/
6月7日 シングル「Monday Monday/Lucy In The Sky With Diamonds」発売
6月17日 DREAM ARABESQUE tour」@日本青年館
9月4日 名古屋ハートランド・スタジオ
9月10日 日清パワーステーション
9月17日 JC GREEN SPARK SOUND '89@稲沢公園 主催:稲沢青年会議所
伊藤銀次/かまやつひろし/あがた森魚 他
11月4日 岐阜聖徳短期大学学園祭。この時期は他にも学園祭ツアーがあったと思われる
12月26〜 ラジオ「伊藤銀次のJUST ROCK」(日本のロックヒストリー)@NHK FM(26〜30日・五夜連続)

1980年代 佐野元春との出会い。「音楽で成功する」事を体感し、彼を通じて知り合った人たちと、沢田研二を始めとするメジャー・シーンにおける数々の仕事をこなし、またソロとして再デビューする。
1990年 3月 CDデータ主催「Monthly Cheering Live@新宿パワーステーション 伊藤銀次/川村かおり
4月25日 「僕たちのSummer Days/雨のステラ〜Oh Stay Stella」発売
5月23日 アルバム「山羊座の魂」発売
5月31日 「山羊座の魂」CONCERT@日清パワーステーション。
7月18日 名古屋クラブクワトロ
7月25日 「ベスト・オブ・ベスト」発売。ポリスター時代のベストアルバム
8月16日 コレクターズのWEEKLY3DAYS「木曜の夜はスペシャル」の最終日「西暦2065年のオペラ」に
円錐帽を被った「ピエロ」役でゲスト出演。「青と黄色のピエロ」を歌う。
他のゲスト出演者は森若香織@ゴーバンズ、JUN@ウイラード、真城めぐみ@ロッテンハッツ、
七瀬ミチル@BLワルツ、アイゴン、桑村達人、RONNIE@5678's、etc


1991年 2月14日 VALENTINE 5 NIGHTS #4(5日間のバレンタインイベントで、日替わりライブ)@名古屋クラブクアトロ
3月8日 東海テレビ「気分はセッション」公開ライブ(放映は3月15日)
伊藤銀次/KAN/ザ・シャムロック
8月9日 FRAMES OF DREAMES Vol.1@渋谷クラブクアトロ  銀次プロデュースによるイベント。
BL.WALTZ/チャカ(PSY・S)/いるかブラザーズ(古賀森男&久保田洋司)/伊藤銀次
12月21日 「Deadly Drive」WEAよりCDで再発(1748円盤・WPCL-589 )

1992年 4月14日 サエキけんぞうとの共著「ロックは好きかい?」出版。
4月15日 「ロック解体新書」BNNより出版。
10月 佐野元春@宮城公演にゲスト出演

1993年 7月21日 アルバム「LOVE PARADE」
シングル「涙の理由を/Baby Blue (Moto's '93 Version)」発売
8月21日 ポリスター時代の音源7枚がKi/oon SonyからCDで再発された
(うち一枚は未CD化だった「ポップステディ♯8」と「BeatCity」の12inchシングルをコンパイルしたもの)
12月1日  “Act Against Aids”@日本武道館に出演。
「あのとき君は若かった」 「魔法の黄色い靴」「いつまでもいつまでも」3曲のカヴァー(with杉真理、斉藤誠)を歌う
12月16日 日清パワーステーションにて「LOVE PARADE」発売記念ソロ・ライヴ
ゲスト:大村憲司、杉真理、佐野元春

1994年 ソイツァーミュージックの創設メンバーとして参加。
4月8日 東芝EMI時代の音源がボーナストラック入り(「山羊座の魂」を除く)で5枚再発
9月15日 佐野元春 with the Heartlandの解散コンサート「Land-ho!」@横浜スタジアムにギターで参加
※主なプロデュース:ウルフルズ

1995年 ※主なプロデュース:ウルフルズ、川崎真理子

1996年 青山の「マンダラ2」で「考える関西人」(銀次、大村憲司、今井裕)
10月25日 「Deadly Drive」WEAよりCDで再発(1456円盤・WPC6-8238 )
主なプロデュース:ザ・コレクターズ、ウルフルズ

1997年 12月23日 ユースケ・サンタマリアと一緒にアップル・コンピュータのイヴェントにライヴ出演
※主なプロデュース:honey honey、SOON、東亜佐美

1998年 ユースケの学園祭ライヴに同行していたようである
※主なプロデュース:浜田省吾、七尾旅人、ユースケ・サンタマリア

1999年 12月3日 佐野元春とともに雑誌「デマゴーグ」の創刊記念ライヴ@渋谷オンエア・イースト
他に松尾清憲、鈴木慶一、PANTA、サエキけんぞうなど
※主なプロデュース:七尾旅人

1990年代 ミュージシャンとしてのソロ活動より、プロデューサーとしての道を選び、ウルフルズによって成功をおさめ、またTV番組「イカ天」で顔を知られるようになった。
2000年 東芝EMIに自身のレーベル「Camp」を立ち上げる。
ソイツァー・ミュージックのコンテスト合格者、七尾旅人のプロデュースを開始。
2月、沢田研二のデビュー30周年記念アルバム「 来タルベキ素敵」に参加。
雑誌「ミュージック・クリエイター」創刊号で元春と対談。
5月4日 センチメンタルシティロマンス・鈴木祥子伊藤銀次・鈴木茂@ 新宿LOFT
「Take It Easy」「雨のステラ」「Deadly Drive」の3曲披露(withセンチ)
※主なプロデュース:Whiteberry、七尾旅人

2001年 「Deadly Drive」East West JapanよりCDで再発(1800円盤・AMCM-4524 )
※主なプロデュース:Whiteberry、0930
ストレンジ・デイズ・レーベルからデビューしたバンド、Sister+のプリプロをスタートするが同バンド解散。

2002年 7月21日 日比谷野外音楽堂にてココナツバンクとして30年ぶりに復活。
メンバーは銀次(Vo.G)/上原裕(Dr)/井上富雄(B)/木原龍太郎(Key)/(G)
サポート?
Deadly Drive/日射病/ココナツホリデー/喫茶ストラット/無頼横丁
10月25日 新宿ロフトにてフリーペーパー「アンダウン」のイヴェントに出演。
トルネード竜巻/デイジー/杉真理他、MC:鈴木大介&堂島孝平

Strawberry Fields Forever/ウキウキWatching/雨のステラ/Baby Blue/夜を駆けぬけて/Flowers In The Rain
出演者全員で「幸せにさよなら」
有線放送ラジオ番組「とことんぽっぷん帝国」を制作(選曲)していると思われる
インディーズ・レーベル、シルバービート主催。コ★バニー4が同レーベルからデビュー

2003年 1月31日 再び「アンダウン」のイベントに出演。堂島孝平と「雨のステラ」をセッション
6月25日 「LOVE PARADE」以来10年ぶりのアルバム「ココナツバンク」発売。ココナツバンク名義としては初。
7月 新潟のFM portでDJ。静岡FM「ようこそ夢街名曲堂へ」にゲスト出演。
7月5日 K-MIX(FM静岡)をキー局とした音楽番組「ようこそ夢街名曲堂へ!」にゲスト出演。
8月24日 新宿ミノトール2において「ココナツ・バンク」発売イベント
銀次の弾き語りミニ・ライヴにてアルバム「ココナツ・バンク」の曲演奏。「東京マルディグラ」他
10月1日 毎週土曜日の深夜3時〜、CS-PCMラジオ「ミュージック・バード」で、銀次の「J-POP王国」スタート
11月14日 「サエキけんぞうコアトーク」 19:30 START/18:30 OPEN 1500yen(1drink) at 新宿ロフトプラスワン
出演:伊藤銀次、岩本晃市郎(ストレンジ・デイズ編集長)土橋一夫(Groovin'編集長)、松尾清憲
12月7日 佐野元春氏がDJをつとめるFM番組「TOYOTA RADIO FISH 」1周年記念イベント〜佐野元春TALK&LIVE」にGREAT3の片寄明人氏とともにゲスト出演。放送は12月20日(土)。「クリスマスタイム・イン・ブルー」をジョイントで演奏。

2004