Nikkan&YAMAHA
※この記事は、Take
The A Train様<リハーサル・ジャズ・オーケストラ(RJO)>から使用の許可 を戴いた資料に、一部手を加えたものです。 |
ニッカンの歴史(1902〜1970) |
ニッカンの歴史は、明治25年(1892)当時陸軍工廠に勤務していた銅細工師の江川仙太郎が独立し、浅草( 当時は東京市浅草区)で管楽器の修理を始めたことが起源です。 <江川が銅細工しであったことが影響でしょうか。技術は息付いていますね→浅原工芸> 江川は、1970年(明治35年)に「江川楽器製作所」を設立し、コルネット・トランペット等国産管楽器の 製作に乗り出し、大正7年には「合資会社・日本管楽器製作所」として新発足しています。 その後「合資会社・日本管楽器製作所」は、軍用ラッパなどを製造しながら、昭和12年(1937)に「日本管 楽器株式会社(ニッカン)」へと発展しましたが、この時、ニッカンは当時最大の取引先であった日本楽器製 造株式会社(昭和62年10月〜ヤマハ)から援助を受けるとともに、日本楽器社長の川上嘉市を監査役として迎 えるなど、実質的にヤマハの子会社となりました。 ニッカンの経営に参加していたヤマハ(日本楽器・川上社長は、「ニッカン」と「ヤマハ」が世界一の管 楽器メーカーになるよう、品質の向上、生産技術の近代化を指示。昭和38年には両社から技術者が選抜され、 技術陣の強化が図られました。さらに、昭和40年頃には、ヤマハ(日本楽器)と日本管楽器の技術陣の交流は、 より密接に行われ、特別な組織となっていきました(シルキー氏を招聘したのもこの時期です)。 この時代の代表作こそが、「ニッカン・インペリアルシリーズ」です。 なお、トランペットの場合、「ニッカン・インペリアル」の派生機種「YTR-1」が、ヤマハ最初の管楽器と して、昭和40年4月に発売されています。(ヤマハが自社ラインで管楽器製造を開始したのは、昭和41年10月 であると思われます。) 参考情報ですが、当時ニッカンは吹奏楽団を持っていたようです。→日本管楽器吹奏楽団(東京都代表)とし て、1963,1965,1968,1969と全日本吹奏楽コンクールに出場。なお、1942年の全関東吹奏楽大会にも出場している記録もあ る。 そして・・・「日本管楽器」は、昭和45年5月にヤマハに吸収合併され、その歴史に事実上幕を下ろしまし た。 → 寄稿:「NikkanとYAMAHA」(魔法使いの弟子様) |
ヤマハ管楽器製造史 |
ヤマハの管楽器製造のルーツは、日本の管楽器の草分けである江川仙太郎が1902年(明治35)に創業した江 |
ブランド名とシリアルナンバー |
Nikkanブランドの楽器は、ヤマハがニッカンを吸収合併した後も、10年以上、ヤマハ製品と同じラインで 生産されていました(ヤマハブランドの管楽器は、ヤマハがニッカンを吸収合併する前の昭和42年(1967)5月 から発売開始。 これは、Nikkanブランドに愛着のあるユーザーが多かった事と、Nikkanのブランドの楽器であれば、カワ イ楽器系列店でも販売できた事が主な要因と思われます。 Nikkanブランドでも「YCR」や「YTR」の刻印は、現在も使われている刻印で、ヤマハ合併後のものになり ます。 なお、トランペットに関して言えば、「ニッカン・インペリアル」と「YTR-1」のシリアルナンバーは通 しとのことですが、管理人の勝手な想像で言えば1960年代製と1970年代製ではシリアルの付け方が違うよう に思います。 ⇒ webshop FREEMAN店主様所有の「YTR-1」#6612191の場合、66が製造年(1966年、12は製造月、191は 通算の製造数だそうですが、カワグチタカアキ様所有の「ニッカン・インペリアル」#027464は、1971年3 月13日購入とのことで、製品番号の統一感がありませんので・・・ |
工場 |
ニッカンの工場は埼玉県(入間郡大井町でしたが、昭和45年7月の豊岡工場稼動以降、埼玉工場(旧ニッカ ン工場では主にチューバ・ユーホ・ホルン・バリトンサックスなどの中低音を、豊岡工場では主にトランペ ット・トロンボーン・サックス・フルートなどを生産しています。 |
インペリアル系統以外のニッカン・トランペット |
管理人がインペリアル系統(TR−1,2,3及び232)と看做さないニッカン製楽器を取り上げます。 Nikkan TR−134 |