寄稿:「NikkanとYAMAHA」

魔法使いの弟子様が、これまで入手された楽器を観察し,当HP資料を読まれ理解された内容をまとめ
られ寄稿されましたので,掲載させていただきます。                 


インペリアルは1963〜1966年にかけて開発されたようで、1965年に製造されたと思われる
プロトタイプの楽器も確認されています。
このモデルは、TR−1として1965年(昭和40年)に日管から発売され、翌年の1966年(昭
和41年)には、ヤマハの管楽器としては第1号となるYTR−1が発売されました。
この楽器は1966年に限って製造されたようで、シリアルナンバー#66××××の楽器が数本確認
されています。
日管のインペリアルとの違いは、つば抜き形状、第3管のフックの追加、バルブの押し金や、笠ネジ、
ボトムキャップの素材、フェルトの色、ベルの彫刻などで、TR−1よりも豪華な仕様になっています。

ヤマハは、1966年にシルキー氏とコンサルタント契約を結び、シルキーデザインのB♭管、B2M
・B2MLとC管のC2M、D管のD3M、E♭管のE5Mが発表され、YTR−1は姿を消します。
1967年の12月に品番変更があり、B2MはYTR−632に、B2MLはYTR−634となる
と同時に、インペリアルTR−1は、TR−331として、日管ブランドの楽器として残され、197
0年に日管とヤマハが合併されるまでは製造されていたようです。
この時期に、C2MはYTR−634に、D3MはYTR−651に、E5MはYTR−661へと品
番が移行したようです。
なお、日管の廉価版モデルであったTR−2およびTR−3も、TR−231、TR−232と品番変
更されて、日管ブランドのカレッジモデルとして販売されていました。

B2M(B2ML)および初期のYTR−632(634)はBachのストラディバリウスと同様に
第3管の先が抜ける構造になっており、第3管にネジ式ストッパーが採用されていたり、ベンジのよう
な板状の部品が使われていた他、バルブケースとベルやマウスパイプを繋ぐ小支柱には、日管の楽器と
同様の部品が使われるなど、後のモデルとは若干違いが見られます。
この頃の楽器のバルブケースは、上部が洋白製の2ピースのものですが、少なくとも1971年の4月
には、YTR−632(634)のバルブケースは、現行のスチューデントモデル〜プロモデルと同様
の1ピースのものになりました。

ところが、その移行期の1970年頃に製造された楽器は、バルブケーシングが2ピースでありながら、
小支柱が、後のヤマハと同様の物に変更され、第3管はピン式のストッパーで先端が抜けないものとな
り、6××××のシリアルナンバーを持つ楽器群がそれにあたるようです。
C2Mは、開発当初からストッパーがシルキー社と同様にピン式のもので、小支柱も、日管の部品とは
異なり、後のヤマハの楽器に使われているのと同様のものでした。
1970年頃にB♭管の支柱や3番管もそのように変更されたのだと思います。

初期ヤマハカスタムは、この1970年頃のプロモデルとバルブケースの形状が全く同じで、つば抜き
の形もよく似ています。
ヤマハカスタムが発表されると同時に、プロモデルは差別化が図られ、つば抜きの形状が単純になり、
2番管のバルブケースの裏側にあったYAMAHAのロゴがマウスピースレシーバーに移動、さらにバ
ルブケースが1ピースに変更されたようです。
量産ラインが完成し、大量に製造されるようになったのもこの時期だと思われます。
本体と同時にケースの仕様も変更されています。

ヤマハが自社ブランドの管楽器の製造・販売を始めた1966年から1971年にかけての4年間は、
トランペットのデザインや型番、仕様がどんどん変化する、激動の時代だったようです。
なお、ヤマハは、1970年以前に、プロモデルの他に日管のTR−232と同型の楽器を、YTR−
232としてヤマハブランドで販売していたようで、ケースにもYAMAHAのプレートがあります。

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