付録その1:香港好運のエピソード集

謎に包まれた香港好運の過去や内幕をエピソードで解き明かします。
お暇な方だけどうぞ。
■2003年1月13日更新■








Episode#01:結成のきっかけ
1992年、社会人2年目を迎えた戸田がある日ふと思った。
「一生続けられる趣味を今こそ始めたい」(と言ったとか言わなかったとか)。
とにかく友人知人で歌心のありそうなのを呼び集めた。

メンバーの変遷を順に見てみよう。

Group♯1
戸田・小山・竹内・中山・下田
小山・下田は戸田の大学の後輩、竹内・中山は戸田の高校の同級。
Group♯2
戸田・小山・竹内・中山・鈴木・佐々木
鈴木は戸田の高校の同級、佐々木は戸田の大学の後輩。
Group♯3
戸田・小山・竹内・鈴木・藤井
藤井は中山の大学の後輩。
Group♯4
戸田・小山・竹内・鈴木・残間
残間は「赤坂の夜」を機に加入
Group♯5
戸田・小山・竹内・残間・渡辺・高橋
渡辺・高橋は、ネット上でナンパされて加入
Group♯6
戸田・小山・竹内・残間・渡辺
Group♯7
戸田・小山・竹内・残間・渡辺・青木
青木は八成地域センターでの運命の出会いの一年後に加入


Episode#02:赤坂の夜
残間加入のきっかけとなった出来事。
まだ「パソコン通信」と呼んでいた頃のNiftyのオフ会に参加した小山。
BBSの「一緒にゴスペルを歌おう」という書き込みにピンときて
赤坂の指定の店まで足を運んだのだが、何やら様子が怪しげ
(どう怪しかったのかは小山に直接聞いてください)。
だがその中で唯一キラリと光る人物がいた。
それが2次会のカラオケで人並みはずれたヴォーカルを披露した残間であった。
これだ!と思った小山は後日残間にメールを出す。
一方残間もオフ会参加者のなかで唯一まともな人物だった
(少なくとも当時はそう判断した)小山からの誘いに、何かを感じて
練習場に姿を見せた。
その残間との初のセッションは、何とも言えない幸福感につつまれて終わった。

Episode#03:香港好運というネーミング
結成当時は、VOICE&VOICEという比較的分かりやすくなおかつ
漫才コンビのようなちょっとイカサナイ名前だった。
それでも4年間これを使った。
メンバーも随分代わって名前変えようかねーと話していた
ある日の練習後のこと。。。
元メンバーs木「こないださ、カラオケ行ったらさ、
抽選会やっててね。クジひいたらなんと特賞の香港旅行
当たっちゃったよ!」
某メンバー「えー!ホンコン?いいねー、そりゃラッキーだねー!」
このやりとりを聞いていた他のメンバーが冗談で
「じゃあホンコンラッキーズだな」
と言ったのが妙にウケてそのまま使い始めた。
最初は「香港幸運」と表記していたが、旅行から帰国したs木が
「好運の方が中国語っぽいぞ」
と提案し、今の表記となった。
字面を見ただけでちゃんと読んでくれる人はおらず、中には
「シャンハイラッキーズ」
と間違って覚えてしまう人、あるいは
「ホンコンパラダイス」
と勝手にイメージを膨らませてしまう人もいるようで、
そういった種々の反応まで含めてなかなか愛らしいグループ名だと
思っているメンバーも多い。

Episode#04:八成地域センター
しんご加入のきっかけとなった場所。
残間加入の頃から武蔵野市の施設を使って練習することが多かった
香港好運だが、「住所詐称事件」等をきっかけに徐々に選択枝が狭まり、
杉並区へと活動拠点を移すこととなった。
数ある施設のなかでも駅からの便がよいことで根城となった
八成地域センターは、隣の部屋でソシアルダンスをやっていたり
囲碁をさすお年寄りがロビーを占拠して
たりで、いつもなかなかの賑わい。
ある日の練習中のこと、部屋のドアをノックする者あり。
間をおかずにロン毛の青年が申し訳なさそうに入ってきた。
「あのう、隣の部屋でリコーダーの練習をしてたらアカペラのコーラスが
聞こえてきて、面白そうなのでちょっと見学していいですか?」
うむ、なかなか礼儀正しい青年だ。この日Yuは所用で早退していたし
あまり曲の出来も良くなかったので、練習もそこそこに切り上げて
この青年とご歓談。
聞くとリコーダーだけではなく普段は歌もやっているとのことなので(!)、
じゃあ何か一緒に歌ってみるか、ということに。
何か知ってそうな曲ということで、香港好運の秘曲中の秘曲
「Get Along Together」のリードを歌い出すと、
これがまた若く張りのある伸びやかな声!世の中にはこんな奴も
いるんだなぁと思いつつ、とりあえずその場ではメールアドレスの交換だけ
して分かれたがその後はお互いに何の連絡も無し。
そして丁度一年後の香港好運BBSに
「八成でお会いした人たちですね?」という書き込み。
それから数週間後、アカペラ公園の最後のみんなで歌おうコーナーで
Stand by meを残間の隣で歌うしんごの姿があった。

Episode#05:You Can't Do Thatの進化論
ライブでは毎度おなじみお約束の盛り上がりソング。
原曲はThe Beatlesで、彼らの歌の中でもあまり有名じゃない方の曲です。
香港好運の演奏は、惜しまれつつ解散してしまったアメリカのBlenders
というアカペラグループのアレンジを元にしています。
そもそも4人組のBlendersですが、香港好運が最初にこの曲を歌ったのも4人
編成でした。
時は1998年10月24日。「第3回アカペラ公園」が井の頭公園野外ステージで
開かれましたが、この時諸般の都合により残間・小山・渡辺・竹内の4人だけでの
参加となりました。この非常時に、たまたま取り組み始めていた4声用の
この曲1曲しか用意できなかったというのが紛れもない事実でした。
1曲だけでステージを降りてしまったので大きなブーイングを浴びましたが、
それでも観客の反応を見てこの曲の演奏にちょっとした手ごたえを感じていました。
次の「第4回アカペラ公園」では曲の間にWe will rock you(Queen)がはさみ
込まれました。この構成が決まったのが本番数時間前に公園の一角で練習していた
ときのこと。何故こうなったのか。それは理屈ではなく、化学反応のようなもの
だったと記憶しています。
その後もこの曲は数度のリアレンジ(by Yu)を経て、コール&レスポンスが付いた
パフォーマンスへと進化してきました。
今後はどうなっていくのでしょうか?

Episode#06:幻のListen to the music
ライブのオープニングとしてすっかりお馴染みとなったListen to the music。
元歌はドゥービーブラザーズですが、香港好運の演奏は、アメリカのTonic Sol Fa
というグループのアレンジをベースにしていることはあまり知られていません。
それはYuが香港好運に加入して間もない頃のこと、Yuの所有していた膨大なCDライブラリの
中から「これは」というものを耳コピしようということになりました。その時にピックアップ
したのがListen to the musicともう一曲別のグループがカバーしている某名曲
(仮にXとしましょう)の2曲でした。耳コピ担当はメンバーYとメンバーZ。
YがListen to the musicをZがXをやってくることになりそれぞれCDを持ち帰りました。
それから数週間後、Listen to the musicの譜面と共にCDがYuの手元に戻りました。
それから数年、Xの譜面は未だに出来上がらず、CDも戻らぬままです。
Yuは今でも年に一度ぐらいそのことを思い出してはZに催促していますが、Zは一向にCDを
返す気配がありません。ひょっとしてどこかに無くしてしまったのでしょうか?
それにしてももしあの時、ふたりが持って帰ったCDが逆だったら、
間違いなくListen to the musicは日の目を見ることが無かったことでしょう。
そして幻のレパートリーとなったXとは???
これを読んだ貴方もX、Y、Zの方程式を解いて幻のXが何の曲だったのか
(そしてZは誰なのか)を推理してみては如何でしょうか。

Episode#07:特別長編エピソード『Yuとの遭遇』
残間加入後初のライブ(5thライブ)が好評のうちに終わり、
ライブのビデオを見ながら旨い酒を飲んだ1996年の忘年会。
折しも世はWindows95ブームに続くインターネットブームに沸き
かえっていた。小山が「今やホームページを自分で作ることができる
ようだぞ。うちらの活動を紹介するのを作ったら面白いんじゃないか?」
と提案すると、物好きのたけうちが年明けに試作版のようなシンプルな
サイトを開設した。ライブの写真と音源を掲載しただけのサイトだったが、
少しずつ外部から反応があり、どこかにつながって行く予感を覚えた。
一方小山は小山で「アカペラ」をキーワードにネット上の探索に余念がない。
当時は「アカペラ」で検索してもごく限られた情報しかヒットしなかったが、
その中でも唯一キラリと光るサイトがあった。それは「WHO'S HOMEPAGE」。
その管理者こそ他ならぬYuであった。----WHO'S HOMEPAGEはその後
アカペラに関する情報を拡充してJapan A Cappella Central
(現acappella.co.jp)へと進化してゆく----
さて、Yuとの直接の出会いのきっかけは、1997年春に夏頃開催のライブの話が
持ちかけられたことに始まる。当時は香港好運名付けの元になった某メンバーが、
ある事情(育児休暇)で脱退したばかりで「代わりに誰かいないかねぇ」と思い
めぐらしていたが、真っ先に思いついたのがまだ見ず知らずのYuであった。
Yuに目をつけた理由は、
1)初めて知った自分たち以外のアカペラ経験者だから、
2)WHO'Sというグループは今は活動しておらず暇そうだと思ったから、
3)どうやら年齢は若そうなのだがアカペラについてやたら詳しそうだから。
とにかくまずメールで練習に遊びに来てみないか、とお誘い。
加えて念入りなことにたけうちと戸田の二人はYuが所属するゴスペルクワイヤの
コンサートに潜入して偵察を敢行、遠目に本人を確認した。その翌週ついにYuを
練習場に誘い込むことに成功したわれわれは、練習も程々に飲み会に連れて行き、
夏に出演するライブに臨時メンバーとして参加する同意を無理矢理取り付け、
次の週に予定していた合宿にも有無を言わさず当然のように同行するように
段取りを決めてしまった(うーん、この辺の妙な勢いの良さはわれわれもまだまだ
若かった証拠か?)。
ともかく、戸田/小山/残間/たけうち/Yuという5人で行った草津温泉合宿。
当時まだ二十歳そこそこのYuはその大人しく落ち着き払った物腰でまだ出会った
ばかりとは思えない打ち解けぶり。結局当初の目的であった夏のライブは都合で
流れてしまったが、臨時メンバーのはずだったYuは知らずのうちに香港好運に
無くてはならない顔になってしまった。本人は今でも時々思い出したように
「ボクはそもそも臨時メンバーで」と語り始めるが、他のメンバーはすかさず
惚けたふりをする他に反応しようがない。とにかく香港好運の歴史の中でも最も
インパクトのある出会いであったことは間違いない。