New York 編(Part2) 編 (12/24/2004-12/26/2004)


12月24日(Thu.)「メリークリスマス!in New York!」
22日に、再びニューヨークに戻ってまいりました!前回の滞在は今月の2週目で、すでにクリスマスムードだったので、華やかなこの町の雰囲気はイブの今日もあまり変わりありません。
早速ジャズのライブ情報を収集し、55Bar(フィフティファイブ・バー)と言う所へ行く事にしました。前回の滞在は、事前にネットなどで下調べをし、このバンド、このライブを見たい!と言う風にねらって行ったのですが、今回は誰が出ているかも分からない、チャージの安いお店をねらってみる事に。こう言う所にも、きっとすごい人が出ているんだろうなと期待をして・・・
この日は、7時からAdam Kolker(T.Sax&BassClarinet)のバンド、10時からDonny McCaslin(T.Sax)のグループでした。ニューヨークでは、同じ日の夜に二つのバンドが演奏する所が珍しくありません。地下鉄が24時間走っている事などもあり、最後のセットが1時とか2時だったりします。
7時のバンドは、テナーサックス2本にベース、ドラムと言う変わったカルテットでした。(ピアノ・・・コード楽器がない)フリージャズに近い感じで、ほとんど何が起きているのか分かりませんでした(笑)かろうじて分かったスタンダード(ボディアンドソウルという曲)も、なんでそうなるの〜?と言う感じ。
ベースがMasa Kamaguchiさん(上の写真、下の段中央)と言う日本人の方だったので、休憩時間やライブの後に少しお話させていただきました。彼はボストンのバークリー音楽院を卒業された後、ニューヨークで10年位仕事をされている、すばらしいプレイヤーでした。
ピアノが無い事もあってか、とても自由なプレイをされていたし、ビジュアル的にも目を引いてしまう、アクティブなプレイでした!
彼は、「とにかくニューヨークにはうまい人は死ぬほどいて、それは当たり前。だから、よりクリエイティブな演奏をしないと生きていけない。」と言っていました。
まあ、これは東京でも同じ(・・・と言うかどこでも)でしょうが、ニューヨーク独自の音があり、その中でジャズがどんどん進化していて、よりクリエイティブな方向へ進んでいると言う意味なんだと、実際に彼らの演奏を聴いて、その言葉の意味、深さがよく分かりました。
しかし、こんなすごい事をやっていても、ノーチャージ。実際はいくらにもならないので、バンマスのポケットマネーからギャラが出ているそうです。大変な世界です・・・
10時のバンドのリーダーは現在グラミー賞にノミネート中だとか・・・それでもチャージはたったの7ドルです。編成はサックス、ギター、ベース、ドラムで、こっちのバンドもすごかったです!
やはり個性的なプレイで、今までに聴いた事がないものでした。
クリエイティブ=マニアックと言う印象も若干あったのですが、それを聴きに来る人達が結構たくさんいて、楽しんでるわけだから、ニューヨークのひとつの文化としてすばらしい事なんだなと思いました。
昨日は、オフブロードウェイの人気のショー、ブルーマン・グループを見に行きました!上の写真のような文字通りの青い男3人が、セリフいっさいなしで行うコメディです。最前列で、ポンチョ(雨ガッパ)を着せられ、ショーの中で水をかぶるのかと思いきや、いろんなものが飛んできました。(ちょっと表現が難しいです。)字幕や映像、お客さんを使ったりするのですが、ちょっとシュールすぎるのと、この3人自体が面白い、すごいという感じが少なく、個人的には前回見た、ストンプの方が好きでした。とは言え、かなり笑えましたが・・・
おそらくこの3ヶ月で、すばらしい演奏、ショーにたくさん触れすぎて、耳や目や肥えてきてるのでしょう・・・ただの頭でっかちになるのではなく、これを1月からの演奏活動に生かさないといけないなと思う、今日この頃であります。早く思う存分トロンボーンが吹きたいです!

12月25日(Fri.)「サンタさんからのプレゼント。それは友達との再会、出会い・・・」
ニューヨークと言う場所・・・世界の中心と言われ、いろいろな人が集まっていると言う事もあってか、たくさんの再会、出会いがありました。
まずは中学校の同級生の勝又美穂子さん。2、3年生の時に同じクラスで、3年生の時は一緒に学級委員をやってました。(そんな事もやっていたのです。でも、何の仕事をしたか全く記憶にないです・・・笑)
彼女はこの秋から、ピッツバーグの学校の大学院に通っていて、ほんの1週間ほど前に偶然その事を知りました。しかも冬休みにニューヨークに滞在予定で、僕の滞在期間とも一致すると言う偶然が重なり、見事、久し振りの再会を果たす事に!
何かニューヨークにいる気がしないような、楽しく、懐かしいひと時を過ごしました!
さらに偶然は続きます!次は「なおと」という男・・・(下の写真、左上)彼は、元ソニー・ミュージックのアーティスト(シンガー)で、去年の8月から世界中を旅しています。(詳しくはhttp://www.nananaoto.com/を!)その中では、この間亡くなったアラファト議長の前で歌を歌ったり、各地で飛び入りライブなどを行い、そのまま気に入られてテレビ、ラジオに出演したり、レコーディングをやってしまったりと、僕なんかとは比べものにならないスケールの旅をやっています。その最終地点がニューヨークで、これまた滞在期間が僕と一致し、感動的な再会を果たす事が出来たのです!
出会いは3年ほど前で、渋谷のON AIR WESTと言う所で行われた、彼のデビューライブでバックバンドをやらせてもらった時の事でした。

〜最初のリハでの事。彼はメジャーレーベルのアーティスト、僕はただのバックバンドのミュージシャン・・・
「ヒロキさん、よろしくお願いします。ところでおいくつなんですか?」
会社で言えば社長と平社員の様な関係だが、とても律儀に挨拶をされる。
「よろしくお願いします!22歳です。」
とても謙虚な社長さんで良かったなと安心する僕・・・
「えっ、マジ?同い年じゃん!」・・・
↑おそらくこの頃・・・お互い年上だと思っていたのだ。僕が年上に見られる理由は、単純に老けているからだろう。(笑)しかし彼は違っていた。それは明らかに、一人のアーティストとしてのオーラからであった。
同い年とは言え、社長と平社員。上からモノを言っても不思議はない。でも彼は、バックバンドのメンバーを自分の楽器、音楽の一部として、また友達として、すごく大切に、かつフレンドリーに接してくれた。その方がバンドの結束が強まり、良いライブになる事を彼はちゃんと知っていたのだ。(実際、本当に雰囲気の良い現場だった。)
彼のライブにかける情熱はハンパなものではない。音楽はもちろん、ライブに足を運んでくれた全てのお客さんを満足させるため、MCやその他の演出が、細部に渡るまで作り込まれた。でも、「おいおい、なんでそこまでやるんだよ・・・」と言う風にはならず、現場のミュージシャン、スタッフの全てがその気になり、一つにまとまって行くのが手に取る様に分かるモノだった。
なおととのリハ、ライブなどから僕が得た事は、本当に計り知れない。自分のライブを作り込む時も、必ず彼の事を思い出す。

実は、僕のこの旅に関してもそうなのだ!

彼はソニーの社長にまで認められ、アルバム7枚契約(新人としては異例。おそらく新人でなくても・・・)をしていたのだが、社長が変わり、事態が変わってしまった。でも、それをネガティブにとらえる事なく、長い人生の中での、何か意味のある出来事としてポジティブにとらえ、世界一周の旅に出た・・・(ちなみに次のレコード会社との契約の話もあった。)並みの人間に出来る事ではない。しかもそれが同い年の人間なのだ・・・
自分と比較した。小さいなと思った。
その頃はディズニーで演奏していた。安定はしているものの、変わりない日々。何かを変えないといけないと思った。それがディズニーを辞めた事、留学を決めた事、その前に旅で自分を探そうと思うきっかけになった。〜

その彼と、お互いの旅の中で再会する事が出来たのは、本当にうれしい・・・
晩飯を一緒に食べ、(そこでニューヨークで修行中のドラマーで、僕のバンドなどでも演奏してもらった、松浦宏之さんにも再会・・・前回の滞在でもお世話になったのですが。)その後、なんと地下鉄構内での即興ライブを決行!(上の写真は、ホテルでのちょっとした合わせと、ライブの様子)
僕の演奏は大した事なかったが、彼のパフォーマンスはすばらしく、世界中の人が集まるこの街の人々の心を、しっかりとつかんでいた。彼の旅が本当に充実していたという事を、音で感じる事が出来た。
僕の旅も本当に充実したものだが、やはり彼にはかなわない。またしても僕は小さいなと思う事になる・・・
でも、確実にお互い成長している。ここで会った事には大きな意味があるに違いない。
負けてたまるか!と思う気持ちが、必ず先につながるはずだ・・・
日付が変わった頃、ライブで稼ぎ出した資金を元に、日本の居酒屋へ!(笑)生中にタコワサと言う懐かしいモノを口にしながら、朝まで楽しいクリスマスイブを過ごした・・・
このライブ、居酒屋でも、坂上庸介君というアーティストとの出会いがあった。彼もまた、すごい人であるにもかかわらず、全くかざらないナイスガイだった。(関西人で意気投合!・・・笑)

なおとも自分の旅の日記の中で書いていた気がするが、人と人との出会いには必ず意味があって、それは偶然にして必然である事・・・本当にその通りだと思う。
たまたま同じ学校に通っていた友達、たまたま3年前に仕事で知り合った友達。
その時の出会い、この日の再会、そして新しい出会いには、将来の自分を暗示するキーワードがあるはずだ。
この出来事の意味をゆっくり考えながら、旅の終盤戦を楽しみたい・・・

12月26日(Sat.)「追伸〜平和を願いながら…」
昨日は、エンパイアステートビルからの夜景を見る事に。
マンハッタンで最も高い場所からのクリスマスの夜景は最高でした。ですが・・・
マンハッタンで最も高いビルは、3年前まで別のビルだった事を覚えているでしょうか?
実は前回のニューヨーク滞在中、アメリカ史上最悪の歴史を刻んでしまったその場所にも、足を運んでいました。
その場所の名前は、「World Trade Center・・・世界貿易センタービル」。2001年9月11日、同時多発テロが起こってしまった場所だ。その日の事は、ここに書くまでもないでしょう。

12月11日、ニューヨークフィルをハシゴした日。昼と夜のコンサートの間の時間が結構あったので、その時間を利用して、歴史の現場を自分の目で確かめる事にした。
リンカーンセンターからの地下鉄のアクセスの問題から、上の写真の、World Trade Centerと言う駅でなく、近くの駅から歩こうと思った。地下鉄を降りて地上に出た時、目の前がもうその現場だとは思わず、心の準備が全く出来ていなかった。
地上に出た瞬間、左上の写真の場所に出てしまったため、一瞬で胸が詰まったのを覚えている。右上の写真のようなパネルで、ここの歴史が分かるのだが、September 11, 2001が最後となっている。そこで歴史が終わっているのだ。
The Hero of September 11, 2001と書かれたパネルには、その日の犠牲者の名前が刻まれている。
何かがあるべき所に何もない。無意味な空間の持つ意味を考えると、言葉が出なかった。
何をすれば良いかが分からない。手を合わせて黙とうする事にした。それしか出来なかった。
長居する気にもなれず、30分ほどで現場をあとにする事にした。
World Trade Centerと書かれた看板は、地下鉄の案内板で、復旧された事故現場の中にある。3年の月日を経て、復興が進んでいる事も確認出来た。しかし、この3年間で、どれだけ世界が平和になったのだろうか?実際イラク戦争はまだ続いているようなもので、ブッシュが戦争終結宣言を出してからの米兵の死者が1000人を超えたと、期間中報道されていた。
同時多発テロで多くの民間人が犠牲になったが、イラクでは今もなお、米軍の攻撃などによって民間人が犠牲になっている。
「やられたらやり返す」と言う、子供のケンカのような事をやっていたら、いつまで経っても問題が解決しない事は小学生にでも分かる。
ブッシュは、何か大きな決断をしないといけないのではないだろうか・・・

実はこの2001年9月11日、前回の日記で紹介した、なおとのデビューライブの日だった。
そのなおとと、再びこのニューヨークで再会した事。そこにも何か大きな意味を感じる。

僕のオリジナルに「Pieces of a Peace」と言う曲がある。イラク戦争が始まった頃作った。
Pieceはかけら、一部、Peaceは平和と言う意味だ。世界の平和のために、僕のような小さな人間の出来る事はあまりないだろう。でも、一人のミュージシャンとして平和を願う事、そのために演奏する事なら僕にも出来る。「平和のかけら」になれるよう、この日の事をしっかり胸に刻み、ニューヨークをあとにしたいと思う。