DTMを始めたきっかけ     原文は 2001年 9月 21日

 1993年の秋(僕が23歳の時)、弟を通じて知り合ったばかりの、東京でカラオケ制作をやっていたM氏から、初めて DTM (デスクトップ・ミュージック) を紹介してもらった。(東京の)その人のアパートに行くと、狭い部屋の中に本物のピアノが置いてあり、机には PC‐9801VM と言う古いパソコンと、MIDI音源の Roland SC‐55mkU があった。パソコンの画面にはレコンポーザという音符入力ソフトが立ち上がっており、カラオケのデータを再生してデモンストレーションしてくれた。僕は、このシーケンスソフトの画面を見るのは初めて。そして SC-55mkII の音を聴くのも初めてだった。当時は凄く、迫力のあるサウンドのように思えた。曲は、渡辺美里の曲のカラオケデータだった。サウンドメイクは、今考えてもよく出来ていたと思う。あとでデータも見せてもらったけど、パート構成、音量バランス、パンポット位置、音符も完璧にコピー。繰り返しは一切禁止されていた。発音タイミングずらし、強弱のバラツキについてまで、しょっぱなからM氏は、論じてくれた。このデモに僕は少なからず衝撃を受けた。打ち込み音楽って、こんな事まで出来たのか!! それまでに僕が触ったことのある電子楽器(例えば Roland U-20 など)は、同時発音数はせいぜい10音ぐらい。音色数も64種類ぐらいのものだったし、扱えるパート数(MIDIチャンネル)も 6ch ぐらいだったから、「楽曲で鳴っているすべての楽器を1台の音源でやる」 という、今のDTMでは当たり前の考え方は、当時はまだ薄かった。だから、このシステムは凄かった。楽曲で聴こえるすべての楽器音が、たった1台の音源モジュールから飛び出してくる。 それがパソコン1台によって制御されている。 僕はすぐに秋葉原へ行き、SC‐55mkU と、MIDI ボード を買いに行った。それから、パソコンである。何を買おう?中古パソコン店を回ってみると、むかし憧れだった16ビットマシン、販売価格は30万円を超えていた、あのPC‐9801シリーズが、めちゃくちゃ安くなって並んでいた。驚いた・・・。浦島太郎状態。でも僕は、この時期は貧乏だったので、少し安かったキューハチ互換機の EPSON PC-286VG (Intel 286/16MHz RAM 640KB) を買うことにした。それでも当時は3万円以上した。この頃はいつのまにかハードディスクという物が普及しだしていた頃で、20MBとか40MB、80MBのHDDがあるにはあったが、高くて買えなかったので、フロッピー・ディスクで動かすことにした。1〜2ヶ月ほど、コンピューター・ミュジック・マガジン(CMM)に付属していたレコンポーザver. 2.3 (MS-DOS)の体験版で打ち込みを練習した。例のM氏に、練習用の課題曲ももらっていた。エリック・クラプトンのかなり古い「ライブ演奏」のカセットで、ギター、ベース、ドラム、ボーカル、の4パート。演奏がかなりラフで、ソックリに聴こえさせるには苦労した。そして、次に打ち込んだのは僕の意思で選んだ曲で、ビートルズの Let It Be 。 翌1994年、3曲目になって、初めてオリジナル 「風を切れ!ローターよ」 を打ち込むことになった。僕のDTMライフの始まりだった。(結局、カラオケ制作のアルバイトはせず、DTMを始める きっかけ だけを貰う形となった)



パソコン通信に出会う

 僕がDTMを始めた直後の
1994年の春、妹の友人から 2,400bps の電池駆動のモデムを千円で譲って貰った。それまでの僕は、家のパソコンが外の世界と繋がるなんて、想像もしなかった。 本屋で、フリーソフトがたくさん入った5インチ・フロッピー付属の本を買ってきて、通信ソフトの WTERM を使い出した。わけのわからないままATコマンドを入力して、僕の286が、よその街にあるホスト局に回線接続されたとき! あれは僕の中では大きな事件だった! 「うそーっ!?」って感じで、めちゃくちゃに興奮したな〜。僕のパソコンの中に、あるはずもないデータや文章が、どんどん流れ込んでくる。 なんだよこれは! こんな世界があったなんて・・・! いわゆる 「パソコン通信」 の始まりであった。ところが、僕のパソコンにはハード・ディスクがなかった。記録される場所は全て、2基の1.2MB フロッピー・ドライブの中だけ。ちょっと長いログを取っていると、オンライン中であろうと、すぐに記憶容量不足のエラーが連発してパニックになった。 また、当時業界最大手だった NIFTY-Serve に入会し、オリジナル曲をMIDIデータで発表したり、感想のやり取りを始め、パソ通にはすごくハマっていった。1995年には自宅に BBS-ROMEO と言う名のホスト局を開局。音楽好き、DTMer がぼちぼち集まってきてくれた。



インターネットを始めたきっかけ

 その5〜6年後には、インターネットの時代が訪れた。僕は、MS-DOS に慣れていたのもあって Windows がどうにも好きになれず、インターネットへの移行はかなり乗り遅れていた。そんななかで 訪れた転機が
1999年頃だったと思う。当時 働いていた岐阜県大垣市にある会社の社長に 「ホームページ作ってくれや〜」 と軽々と言われ、十分な知識もなかった僕は困った末、一夜漬け的に研究を始める。多少の苦痛はあったが、僕も興味がなかった訳ではない。時代の流れも なんとなく感じ取っていたし。会社のホームページは、HTMLを知らない僕でも、作成ソフト 『ホームページビルダー2000』 のお陰で なんとか形にすることができた。このとき、会社にも、まともなパソコンが無かったため (PC-9821キャンビーがあったが)、自分で Windows パソコンを買って、会社のホームページを作る事にした。僕の記念すべき Windows マシン1号は、ソフマップのオリジナル機 (AMD K6-II / 350MHz) だった。この一件があったお陰で、自分のホームページも作ることにも繋がり、今では、きっかけをくれた稲川社長に感謝している。









DTMを始めるより もっと前の話

 僕がコンピューターという物を初めて興味の目で見たのは、中学3年のとき (
1984年頃)。友人 大沼君が持っていた NEC PC‐8801mkUという、当時としては先進的な「フロッピー・ドライブ」を2基も搭載していた8ビットのパソコンで、小型ながら、ドライブ音や、その容姿には威圧感があり、妙な興奮を覚えた。今思えば、N88 BASIC をROMで搭載していたり、漢字ROMも搭載していたと思う。友人はそのパソコンで 「三国志」や、 「スパイ大作戦」、「信長の野望」、「ガンダム」、「イプシロン3」、「蒼き狼と白き雌鹿」、「ライーザ」 などのゲ−ムを楽しんでいたが、当時の僕は音楽が非常に好きで、高校1年になった頃、 「なんとかあのパソコンで音楽が演奏できないかなぁ」 と、友人宅に泊まったりした時にマニュアルを読んだことがあった。すると、CMD SING という命令が載っていて、早速試してみた。ところが・・・ その音色はというと・・・ 「なんやこれ!」 そのパソコンが奏でたのは、失敗作の玄関ブザーのような音色で、とても音楽として聴けた物ではなかった。僕は驚いてしまった。汚ない!音色が汚すぎる!しかも、和音を演奏することも不可能だった。期待はずれの音に、ガッカリする。単音である。ダミ声のBEEP音のような。もう、その音を一回聞いただけで、僕は二度と CMD SING を打つことはなかった。先ほど挙げたゲームも、パソコンが音楽を奏でるものは一つもなかった。ガンダムなどは、データ・レコーダーから(小さくて音質の悪い)音声がちょろっとだけ再生される、というような物だった。

 その次に僕が、別の友人 渡辺君に触らせてもらったパソコンは、富士通
FM‐7。イエローのボディでキーボード一体型のそれはフレンドリーな雰囲気があった。データを記録するためのメディアは、なんと、カセットテープだった。ここまで古くなると、昔っぽく「マイコン」と呼んでやりたくなる。(笑) このパソコンは音色こそ1種類しかなかった(?)が、3重和音を奏でることが出来た。命令は PLAY文。これは面白い!メロディー、ハーモニー、ベースと、3パートを別々に演奏できた。 当時流行っていた任天堂のファミリー・コンピュータのように 3和音で音楽が演奏できた。FM-7には CYMBOL という命令があって、とても大きな文字を画面上の好きな場所にとても簡単にロケート出来るのが印象的だった。ちなみに、いずれもプログラムは組まず、遊んだだけという感じだった。

 その次に触ったパソコンは、NEC
PC‐8801mkUFR だった。このFRは(SRの廉価版ともいえる機種で)FM音源 が標準搭載されていて、FM 3音、PSG 3音の合計6重和音を奏でることが出来た。ゲームアーツという会社が作った 「シルフィード」 というシューティング・ゲームにすごくハマった。このゲームは、グラフィックがグリグリとよく動いたし、音楽もよかった。そのうえ、「宇宙空間に敵の顔が出てきて、パソコンがしゃべったりする」のがショッキングだった。自機が敵にやられたとき、敵の顔がしゃべる。 「ハッハッハッハ・・・ オマエハ、ヨワカッタ!」 と。ちなみに、僕はゲームがヘタなので最後まで行ったことがない。ただ、音楽や、動き、しゃべったりするのが面白かったのだ。このPC-8801mkII FR のFM音源では、オリジナルの曲を何曲かBASICの CMD PLAY 文で打ち込んだりした。その録音テープも残っているし、このパソコンの音にMTRでギターやドラムを重ねた作品もある。

 その後、しばらくはパソコンに縁がなくなる。
1990年代に入り、僕も20歳をすぎた頃、友人から使わなくなった PC‐8801mkUFH を借りることが出来た。このときは 「大航海時代」 というゲームにハマった。相変わらずゲームはうまく進められなかったが、その音楽や、知らない海を旅していく感覚は たまらなくて、ツボに来た。 1998年に僕がDTM用として発表した、オーケストラ風の 「遥かなる空への道」 という曲があるけど、あの前奏や冒頭部分のメロディは、この1992年頃に PC‐8801mkUFH のFM音源で打ち込みながら作曲したものなのだ。それが何年も後になって、ああいう形で 続きが作られて完成した。






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