ご挨拶

 
  田中康憲氏追悼演奏会           2008.11.3名古屋市電気文化会館にて  
 

田中さんのこと

「来週来る時に例の製本-収集されたマンドリン資料・楽譜をきちんと管理できる様にと製本をされていまして、その手伝いをしておりました-持ってきますね」「お願いします」が、お亡くなりになる一週間前の病室での田中さんと私の最後の会話です。呼吸器の病でここ数年体調がおもわしくなく入退院を繰り返している状態ではあったのですが、ご家族を含め、周りも、ましてご本人もこんなに早く逝かれてしまうなんて想像だにしていなかったと思います。

自身の体力不安から演奏会は無理でも、せめてCD録音位はやりたいなぁと各メンバー個別にお気に入りの数曲のパート譜をきちんと綴じて準備し、酸素吸入しながら合奏練習していたのに…マンドリンケースを持ち運ぶのも辛くなる位に体力が落ちてきても"楽器が弾けなくなったら、資料・楽譜の収集整理に打ち込みますから"と言っていたのに…敬愛して止まなかった中野二郎先生のフォロワーと自他共に認め、マンドリン音楽が大好きだった田中さんでした。

収集対象は楽譜で言えば、古典、邦人若手、ツップと分け隔てなく、又如何でもよく思われる竹下夢二の美人画、マンドリンを模った陶器、携帯ストラップ…と、兎にも角にもマンドリンが大好きでした。

知己を得て、四半世紀を超えていましたが、田中さんと出会わなければこんなにも長く楽器を弾き続けてはいなかったと思います。他のHlRADメンバーも同じだと思います.これは弾けることに併せて、決して怒ったりしない、優しさ一杯のコンマスを務めて貰っていたお陰です。感謝です。

本日は故人の大好きだった幾多の曲の中からの選曲で演奏をいたしますが、皆様にもお聴きいただきながら田中さんを偲んでいただけると幸いです。Aからもう一度やりましょうか"と聞こえてきそうですが。

最後になりましたが、本日のこ来聴ありがとうございました。又、名前の由来となった最初の練習場、喫茶「ひらど」で休憩の時にコーヒーを出すお手伝いをしてくれた二人のお嬢さん、演奏会で受付をしていただいた奥様にもHlRAD一同感謝の念にたえません。有難うございました。原