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パブロ・ピカソは91歳で没するまで
15万点もの作品を残した
多い日は、1日に5点も6点も製作したことになる

また、40以上も若い妻との間に、80歳を過ぎて子供を作った
若い配偶者を相手にきちっと写生?ができたということだ

全くタフな男だ

その才能・機能は超人、情熱・欲望は火山並みなのだろう


一方、今日、少年の犯罪と並び60や70歳代男の痴漢行為のニュースが多い
こいつが市長だったりする

この老男達の男機能はまともなのだろうか
想いが先行しているのか、想いだけがつよく機能がまともでないから
心がねじれているのか

行為は否定するがその哀れには同情する





あゆのオフ、過去釣行のいい場面・映像を脳裏に浮かべ、次を想う

開幕直前はときめいてがまんがたまらない
釈放前の囚人の心境らしい

何の約束もないが、毎年川は流れ、あゆは縄張りをつくる

あゆへの想いは年々つよくなり、反面体力は年々おちている





アタリと同時に極限まで竿を絞り、下流に走る瀬のあゆ

4つの目印を一気に水中へ引き込み、おとりを上流に引きずる
深トロのあゆ

おとりと掛かり鮎がきらきらともつれる浅場

過去の釣行、その場面場面の映像は脳裏から消えることはない






 おお〜〜い、コワちゃ〜ん こういうの掛けなきゃダメだよぅ〜





         ◇


あゆへの想いがあり、その想いは強い
いつまであゆと遊べるのか

体や何かの都合で、あゆと遊べなくなったその時は
遊ぶことを考えることすら止めなければ

こんな残酷な話はない

想うだけではしんぼうはたまらない、できなきゃ
益々くるしい
酷だ


 「なあー、あゆができなくなったらどーする」


         ◇


2006年 2月、5月、7月
思いもしない入院生活を余儀なくされた

この間の釣行はほんの少しだけ、想いはくすぶり続けた

7月のオペ入院は最悪だった。胃と胆嚢摘出直後の7日間
40度近い熱にうなされその間の殆どの記憶はとんでいた



   毎晩、3階の病室には電線を伝い歩き、
   大きな明るい電気を背負ったたぬきが
   ぞろぞろと見舞いにきた

   きつねはたぬきの後ろから様子を見ていた

   雷鳴とともに透けた火の玉がいくつも
   窓ガラスをたたいた



なぜか、毎晩のこの現象は鮮明で、話を聞く身内や見舞い客を混乱させた
看護士や医師も同様で、カルテには「肺炎合併」と記録された


   彷徨っていた


また、汗でぐっしょりしたパジャマの交換は、何度も看護士を煩わせた





耳元で


 「熱がなくなったら楽になるから、また釣りもできるから、がんばって」


うつつの中の、看護士とのこのやりとりも鮮明に残っている


         ◇


入院直前、どうしても新しい場面・映像がほしくて魚乱氏に連絡した
単独釣行の予定だった彼から、快諾を得て北東北秋田へ同行した





彼とは生きてきた道が違う
性格も全く違っているが彼との釣行は心地がいい

繊細で口うるさい彼だが、何故かなごむ

言葉や文章にすると、ずれた表現になりそうだが、
彼とは、多分表面はなじんでいないが、思考や目線が同じなのだろう



 ちょっと、その竿、見せて 。。。 おろ?


 
っと、、、なんだい、難しそうな名前だ。。。う〜む。。。


 
あれれ〜 このサオ、いいじゃ〜〜ん  シャッキリしてるぜ!


 
コレ、いくら? 20万オーバー?!  ガクっ!



2人は餓鬼のころから自分本位のやんちゃで、何かに
うちこむ癖があり、時にそのやんちゃや癖は他人から疎まれた

今でもそうだろう

自分の、彼の、餓鬼のころ、遠いころが見えるから懐かしいのか
懐かしいから心地いいのかもしれない

こんなことは勝手に思ったことで、実際は分からない

が、心地いい
この釣行は、彼との同行がベストマッチだった



 
コレ、いいな〜 欲しいな〜〜 これ、オレにくれよ〜〜



 
頼むよう〜 いいじゃん、減るモンじゃなし〜 (・_; * \Bakki!



 
あのさ、コワちゃんさ、モノは相談だけど、、死んだらくれる?
 
帰ったら、遺言書書いといてね、約束だよ OK? やり〜〜


         ◇


オペ前、主治医からは重篤であるとさんざん脅され、最悪も覚悟した

オペは6時間、夢中のうちに胃と胆嚢と腸の1部を失った代わりに
腹の真ん中には、富士山のような立派な手術痕が大きく描かれ、
体は、脂肪だけか筋肉も削がれ、縮んだ


また、長期間のブドウ糖投与で眼底出血の治療が残ったが
他への転移はなく、結果、根治手術となり盆には自宅養生を許された

というより、むりやり要望し、刑務所のように感じていた病室を
抜け出した


日に何度も、ひらを打つ終盤の大あゆを想い、しんぼうがたまらなかった
病室では、釣の本を読み、仕掛けをつくり、毛ばりを巻いた


         ◇


2006年8月後半、あゆはシーズン終盤を迎えていた
退院後、おとなしく(養生)していたのは5日やそこらだった

その間、なじみのおとり屋へ行き、川を見て、がまんがたまらず
最初は膝までだったが、へそまで立ち込むのに3日とかからなかった

さすがにまだよぼよぼで、富士山を中心に体の痛みは残ったが
毎日4〜5時間、数こそ出ないがシーズン終盤の大あゆと遊んだ

26cmを頭に、22cm超を22も持ち帰った、そんな日もあった





あゆリハビリによる体力回復に、なんでも禁止した主治医は目を見張った

大あゆが痛みを忘れさせ、無意識の中で徐々に体力回復がなされていた
1日の食事は、6回から普通の3回に戻しても苦痛は少なくなった


半ば冗談で、かみさんに魚乱氏へのかたみの話しをした
しかし、残念ながら魚さんとのかたみの約定は霧消したようだ


         ◇


あゆは、無条件に想いを受止めてくれるかけがいのない友
その人生の友を愛でる心は年々膨らんでいる


  「なあー、あゆができなくなったらどーする」


あゆが縁でできた友、ホームページ、本、ビデオ
道具、仕掛け、数々の記憶と想い、夢


あゆができなくなったら、こんなのみんな捨てよう、想いは封印しよう
想うだけでできないなんて、心がねじれるから、こんな酷なことはないから

・・・・でも何が残る・・・冬はまだしも夏は・・・・・


やれなくなるその日まで、あゆをやろう、楽しもう
やれなくなるその日まで、そんなことを考えず


                2006年9月9日   こわもて 



 
そうかい、、元気になったのはいいけど、竿はどうすんだよ〜、ダイワのやつ〜
 ま、いつまで気にしててもしょうがないか。。。


 コワちゃんがね、まあ、健康をい取り戻しつつあるということでヨシとしますか。。
 いやね、アタシもね、おかげさんで今年は鮎釣りですっかり元気になった。

 サオの件は心残りではあるが、元気になったランちゃんのテーマソングとゆったら
 これしかないな。。

 コワちゃんへの快気祝いに、そして読者の皆様にもプレゼントしよう。。。
 お〜い、また米代一緒に行こうね〜


   「オールライト!」 ← mp3ファイルです。 クリックでGO〜♪

   ちゃんとしたオーディオか、イヤフォン、ヘッドフォンで聞きましょう(笑)

    


(この項、了)