沙織の ひとり旅   戸隠 の巻
2003年訪問


1 「木の実そば」を食す

  戸隠に着く前の、山の中で、「手打ちそば」の旗 がたっていた。この旅の目的 のひとつが、「おそばを食べよう!」 だったので、ユーターンする。山里には、ぴったりのかやぶき屋根の店に入る。

「山里の、おそばを食べよう、ホーホケキョ」
「なんだ、そのホーホケキョ というのは?」
「うぐいすが、ないていたの。」
「うーん、そのまんまだね。」

窓際のテーブルに席を取り、一汗ふいていると、和服姿の細身の、
端正にお化粧したおばさんが注文を聞きに。  なんにしようかな。
「・・それにしても、お品書きの数が少ない。全部で8つくらいだったよ。」
「それが、いいのだ。」
 ・・・で、木の実そばを注文。木の実って、どんぐりじゃないよねー とか、思っていると、涼しい風が窓から入ってくる。いつの間にか汗もひいている。窓の外を見れば、沢が流れてて、風流 よ! 沢の音に耳をすませていると、鳥の声まで聞こえてくる。
そして、次から次とお客さんが入ってくる。
「ずいぶん、繁盛しているよ。」


「木の実そばって、どんなそば ?」
「つゆにクルミの実をつぶしたのが入っていたよ。まるい味のつゆだった。おそばは、更級系で、白っぽいだけじゃなくて、少し黄緑っぽかったよ。」
「そうか、そうか、 ・・ その丸い味のつゆは、みそがベースかな もし ?」
「なんじゃそりゃ」
「・・で、うまかった?」
「 涼しい風に沢の音、鳥の声、おそばは、江戸時代からの手打ちそば、
クルミ味のつゆ とくれば ・・・ う〜ん 最高!」
「・・・

「よかったね。」

「ホー ホケキョ 」


2 チビッコ忍者村

忍者ショーのアナウンスが聞こえる。

 あー、やってる、やってる。 さっそく、ビデオカメラをかまえて撮影。
くの一忍者による目潰し戦があざやか。


 

ショーの後は、水ぐも競争でした。タイムを計っている忍者です。
 

 次に、手裏剣の体験打ち をしました。
でも、打った手裏剣は、シュッ といくどころか、フワフワとどこへ飛んで行くのか頼りなげ。
手裏剣打ちは、かなり、むつかしい!


3 「忍法資料館」へ行く


↑チケット

↑忍者「展示館」写真アルバム、クリック!
とにかく、忍者の展示品や写真が豊富なので大満足でした。現在、三十四代宗家として初見良昭師が、千葉県で技の保存と後輩の育成に尽力されているそうです。


からくり屋敷も面白かったよ。向こうの部屋で、悲鳴やらドーンという音(尻もちの音?)や、笑い声が聞こえた。ここは、お化け屋敷じゃないはず、何なんだろう?  
私は、座敷牢で行き詰まってしまった。この屋敷は、ひとりで入ったら、出て来れないかもしれない。困っていると、係りの人がやって来て、
「もうすぐ閉館です、そこは、出られませんよ。もういっぺん戻って、さっき右の戸を開けて入って来た所の右でなくて左の戸を開けると出れますよ。」といわれた。
「さっきの戸」といわれても、どの戸やろ。暗いし、よく分からない、・・なんとかなれ と思ってあちこち試す。
ようやく出口へたどり着いた。先に来ていた人が笑って迎えてくれた。

4 「そば博物館」


「ここでは、おそばも注文できますし、手打ちの体験もできます。私は、おろしそば(上に大根おろしとなめこがのっているかけそば)を注文しました。」
「また、そば 食べるのかい。」
「がんばるね!」
「はっきり言って、味は今一、今三くらい。素人さんが初めて打った蕎麦だもの。」
「蕎麦は、挽きたて、打ちたて、茹でたて が一番」
「シンプルだけど、奥が深い ですよね」
「少しは分かってきたな」
「アイ アイ サー」


「そうそう、前にハルウが本見ながら首ひねって、悩んでいたの、何だっけ?」
 「ああ? 藤田西湖氏の甲賀流忍者一代記に出てくる角指のこと?」
 「うん、それそれ ・・ それ、あったよ。」
 「えー、見せて、見せて。」
 「にゃは!」
 「こら、もったいぶらずに、見せてけれそ!」
 「そんじゃー、いきます!
 ほれ ポン ほーれ ポーン!
 「魔法使いかや?」
 「手裏剣も打ってきたよ。」
な な な   な   に 〜 !
 「えー!」 
「えー!」
「難しかったけど、シュッ! といって、カッ!とささると(・・・さされば)気持ちよかったよ〜!」
 「そーかー、かー、いかったな〜っ」
 
「それにしても、ずいぶんたくさんの資料があるんだね。」
「手裏剣の原型まで、あるよ。」

(ここで、丹波哲郎さんが登場・・・誰?)
「イヤー、イヤイヤ、良かった、よかった、よかったよー。ご苦労さん、ご苦労さん。」

「やったー。」

帰り道に、野尻湖にちょっと寄りました。
おみやげは、黒姫(打ち刃物の産地)でブルーベリーのジュースを買いました。


    さおり の 戸隠の巻 終わり



追記 戸隠流忍術について(パンフレットより)

 養和元年(1181年)平家打倒の兵を興した信濃源氏木曽義仲を平定するため、越後守城太郎資長の率いる平家軍は数万と言われる兵力を以って、信濃に向かい打って出た。これを迎撃せんとする木曽勢も直ちに依田城を後に北信濃裾花川添いに布陣したが、その際、義仲は戸隠山中を源流とするこの川の上流の岩窟に陣取って全軍の指揮をとったと言われている。後世この岩窟は木曽殿アブキと呼ばれるようになった。義仲の家臣としてこの戦列に加わった仁科大助はふるくからこの地に在って荒行の末、飛鳥術、銛盤投術等信濃忍法とも言うべき戸隠修験道、飯綱修験道など、独特の技を身につけたと言われる。寿永三年(1184)宇治粟津(滋賀県)の戦いで義仲討死の後、大助は伊賀に逃れ、戸隠で修行した技に伊賀流忍術をとり入れ、ここに戸隠忍術を完成した。仁科大助は別名戸隠大助とも言われている。 なお、戸隠流忍術は創始者・戸隠大助から現在に至る約800年の間、脈々と継承され、いま、千葉県野田市在住の初見良昭(白竜)師が34代宗家として、その技の保存と後輩の育成に力を尽くされている。とのことです

 ウワッホー!

(忍者村のパンフレット画像を使用してます)