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イスラム教 について

目次

  1. イスラム信者数
  2. コーランの内容
  3. イスラム世界の拡大
  4. スン二派とシーア派の分裂

 

1 イスラムの分布

全世界のイスラム信者の数は、6〜7億人で、キリスト教につぐ。そして意外なことに、アジアで多い。


@ アラビア半島、シリア、ヨルダン、イラクなどの西アジアのアラブ語圏に、3000万人
A トルコ、イラン、アフガニスタンなどの西アジアの非アラブ語圏に、8000万人
B エジプト、スーダンなどのアラビア語を国語とするアフリカに、7000万人
C アラビア語でないアフリカに、6000万人
D インド亜大陸に、2億人
E 東南アジアに、1億人
F ロシア、中国に、5500万人
G バルカンに、500万人

2 コーランの世界

 西暦570年頃、サウジアラビアの商業都市メッカに預言者ムハンマド(マホメット)が生まれる。
預言者とは、神の啓示を預かり伝える人であり、一方、予言者とは、未来を予測する人であり、別です)
610年、ムハンマドは、唯一神アッラーの啓示を受け、632年に死ぬまでの、22年間にアッラーからの啓示を受ける。
(日本では、聖徳大使の時代。)

 アッラーは、万人共通の神であり、全知全能の生きた人格神であるとされる。アッラーからの啓示の内容を一冊にまとめたものが、「コーラン」である。コーランは、ムハンマドを通じた「神の声」であり、朗々と誦まれる詩的なもので、宗教的芸術の域にまで高められている

「内容」 〜 永遠の昔、神は、天地を創造し、天には、日月星を、地には、人類をはじめとする生命を創造した。神は、ただ、自然と人類を創造しただけでなく、自然には、天体の運行や四季、風雨、昼夜の変化などの秩序を与え、人類には、来世の天国を保障されるために、現世で守るべき規範を授けた。

 慈悲深い神は、人類を来世の天国に導くため、多くの預言者を地上につかわした。旧約聖書のアダムもノアもアブラハムも、みなこのような預言者であった。そして神は、人類の導きのしるしとして、モーゼに律法の書(旧約聖書)を、イエスに、福音の書(新約聖書)を授けられた。しかし、人間は、これらの神の啓示を誤解したり、そむいて堕落を重ねてきた。そこで神は、いまいちど、最後の預言者としてムハンマドをつかわされた。

 コーランと、それにさきだつ旧・新約聖書との間に違いがあった場合は、神が改訂されたものであり、最後の啓示であるコーランがもっとも正しい、とする。

 イエス・キリストが、人とは異なる「神の子」であるのにたいして、預言者ムハンマドは、聖者として崇拝されるのを嫌い、あくまで人間であった。したがって、イスラム教には、カリスマ性をもった、特殊な「聖職者」はいない。また、ムハンマドの肖像画や彫像などを含むいっさいの偶像崇拝は禁じられている。
 また、政治や経済、社会に関連する問題は、すべて、宗教の問題であり、政教分離の原則は、認められない。つまり、すべての根本に、イスラム教がある といえそうだ。

3 イスラム世界の拡大

 ムハンマドの死後(632年)、イスラムによる大規模な「征服」が始まった。もともとは、布教が目的ではなく、イスラムの理想とする世界を地上につくることであった。 ・・・ どのようにして「征服」していったのか、・・・武力による戦争や、武力を背景にした「自主的降伏を勧める」であったようだ。
 コーランでは、戦争は、否定されておらず、聖戦(ジハード)として、賛美されている。聖戦によって、死んだものは、殉教とされ、天国へいくことが、約束される。
  領土の拡大にともない、商人たちによる交流から、次々とイスラム信者が増えていった。

7世紀半までに、ササン朝(ペルシア)の全領域と、シリア・エジプトをビザンティン帝国(東ローマ帝国、395年〜1543年)から奪う。
8世紀のウマイア朝のときは、中央アジア、西北インド、北アフリカ、イベリア半島を征服し、次のアッバース朝に引き継がれる。イスラム世界の拡大は、オスマン帝国によるバルカン半島征服とデリー・スルタン朝のムガル帝国によるインド亜大陸の征服によって、15〜6世紀には頂点となる。ヨーロッパの15世紀から起こる「大航海時代」は、陸からアジアに行けなかったヨーロッパが大西洋に出ざるを得なかった ともいえそうだし、「海からのイスラム世界の包囲」ともいえる。

 ルネサンス前の時代には、ヨーロッパは、イスラム世界よりも、文化的、政治的、科学的にも遅れていた。ヨーロッパは、中世暗黒時代であり、イスラム世界は、古代ギリシア・ローマの文化を引き継ぎ、絢爛たるサラセン文化として発展させていた。十字軍の遠征(戦争)とは、力的には、格下であったヨーロッパによる戦争であるようだ。十字軍の遠征は、結果として、さまざまのイスラム文化をヨーロッパに輸入することとなり、次の「ルネサンスの時代」へ影響を与えた。

【サラセン帝国】 七世紀中頃から一三世紀中頃にかけて、アジア、アフリカ、南ヨーロッパの広大な地域を支配したイスラム教徒(サラセン)の諸帝国。元首はマホメットの後継者、カリフ。東方ではメディナに都した正統カリフの時代(六三二〜六六一)を経て、ダマスカスに都し、ビザンツ(東ローマ)文化の影響の濃いウマイヤ朝(六六一〜七五〇)、バグダードに都し、ペルシア文化色豊かなアッバース朝(東カリフ、七五〇〜一二五八)と続いた。一〇世紀以降地方分権的傾向が強まり、一六世紀にはオスマントルコ、サファビー朝、ムガル帝国の三帝国となった。

【サラセン文化】 ギリシア・ローマ文化やイラン・インド文化を吸収し中世のサラセン帝国で発展した国際的なイスラム文化。数学、天文学、化学、医学、地理学、歴史学、建築などに独自性を発揮し、西欧ルネサンスに大きな影響を与えた。

 4 スンニ派とシーア派に分裂

初代カリフ(神の使途の代理者、最高指導者) 〜アブー・バクル(在位632〜634年)
二代目カリフ 〜 ウマル(在位634〜644年) 〜 おおいに領土をひろげる 
三代目カリフ 〜 ウスマーン(654年に暗殺される) 〜 後継者争いが起きる。

後継者争い 〜 予言者ムハンマドの従兄弟(いとこ)のアリーが、四代目カリフとなるが、彼の支持たちは、アリーを「初代カリフ」と呼び、分裂する。

【スンニー派】 全イスラム教徒の九割以上を占める。アブーバクル、オマル、オスマーン、アリーの四カリフをマホメットの正統の後継者とみなす。

【シーア派】 四代目カリフ「アリー」を初代カリフと呼ぶ。全イスラム教徒の一割以下。

 イスラム過激派によるテロ事件は、テレビでもよく報道されている。最近は、テロ組織アルカイダが、スンニー派とシーア派の対立をあおるテロを行っている。

読んでいただき、ありがとうございます。

参考、平凡社の「世界宗教大辞典」