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このページは、専門外の者が、思考錯綜し、ときに書き加え、綴っているものであり、
今後とも、更新し続けていくでしょう。
2012年5月

ブッダ(釈迦)の言葉
自らを灯明とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、
を灯明とし、をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ

 上の文は、釈迦が亡くなる前の、「最後の説法」の中にある言葉で、釈迦が最後の力で説いた説法であるから、「遺言」 といっていいでしょう。

 ところで、釈迦は、「法」については具体的には語らなかった。そこで、後世の多くの学僧が、さかんに探求し、解説を付加していき、仏教という思想は、矛盾・対立を含みながら、時代やその土地風土にマッチングし、吸収し、拡張・拡大、変化していった。

 釈迦がなぜ、「法」について具体的に語らなかったのか と考えてみる。ある本には、言葉にしてしまうと、弟子たちが解かったと思ってしまい、向上しなくなるから、とあった。私的には、「法 というのは、あまりに無限であって、人知・言葉では表現・限定できない、してはいけないものである」 からではないか、と思うに至った。

 またときに、 「法とは、この宇宙を存在させている根本の節理であって、ゆえに、この宇宙全体に存在するものは、すべて、その根本とするところは「法」ではないか 」 と思うこともある。であれば、「法」はこの世界に満ち満ちていることになるのだが。

  ところで、「時間」について考えてみる。「時間」は目には見えない。見えないからといって、その存在・概念を否定する人はいないだろう。我々は、時間につ いては、時計の進み具合や朝と夜、季節の移り変わり など、目に見えるもの によって知ることができる。そのことで、この目にはみえない「何か」の流れを 「時間」となずけ、時計やカレンダーで、その存在を不思議とも思わずに、覚知している。

 時間と同じように「法」も目には見えない。見えないから我々は、その存在をなかなか認識できないのだろう。逆にいえば、目には見えない「法」を認識できるようになれば、目には見えない 「もっとたくさんの大事なことが見えてくる」 のではないか。

 「法」とは、「真理」ともいわれており、哲学的には「究極の法則、絶対」というものらしい。真理に目覚めた人を「ブッダ」 「仏(佛)」と名づけたわけで、「仏陀」という字は、梵語(Buddha)に対する中国での当て字、音訳である。ともあれ、釈迦は、人々に「仏」に成る道をすすめたのだ。

 ところで、「真理に目覚めて仏に成る」 とどういうふうになるのだろうか。ある人の本には、
 「仏 の生命は、自由自在であり、晴ればれと開かれている。生きとし生きるものへの慈しみに満ち、苦悩する存在への同苦がみなぎっている。また、決して枯れるこ とのない智恵と精神力がほとばしり、尽きない生命力と福徳が湧き出でている。さらに、自他の悪と戦う勇気が燃え、何者をもおそれることはない。 」 とのことです。
  真理に目覚めると、姿形は凡夫であるが、中に存在する透明なる生命が変わることによって、なにかしら雰囲気が変わり、行動が変わり、やがて「別の次元の人 格」になるように見えるのだろう。ここで、ふっと思った。「カリスマ性」とは、この宇宙の法を自身の中に強く体現していることをいうのではないか←私の妄 想です。


さて、話はとんで、

 子どもの頃には漠然と、「この世には絶対に不変の何かしら信じれるもの」があると思っていた、感じていた。しかし、成長するにつれ、そのようなものはない とあきらめの結論に至り、そこから出発するのが「大人である」 ということ らしい。もちろん、異論は多々あろう。

  下↓は 「法を知る」 というこのを 「ダイヤモンドの小石」 にたとえた、私の妄想 です。私は、ときどき、ふっと思いつく ことが好きです。← 天の啓示か?

 「ある日、たくさんの小石の海岸を歩いていると、友人が声をかけてきて、きらりと光る小石を教えてくれた。こんなにたくさんある小石の中から、たったひとつの「光る小石」を見つけることは、至難のわざだ。友人の助言がなければ、とうてい気づきはしないであったろう。

 それは、「ダイヤモンド」であった。友人の勧めに従い、そのダイヤモンドを胸につけてみた。その瞬間から、自分の中から不思議なる力、つまり、元気とか勇気とか智恵とかが湧いてきた。

 この小石は、大きな別世界を開く、キーであった。それを身につけた瞬間から、私の中に潜在し、眠っていた、不思議なる感覚の生命が湧き出でてきたのだ。

2012年3月


↓ 以下は、以前に書いたものを、少し更新しました。

 「法」について、

 釈迦の説法は、常に、「人として歩むべき正しき道筋」 を誰もが納得できる道理として話しています。「人として歩むべき正しき道筋」 とは、現代語で一言で言えば、「正義」ということになると思います(正義という言葉を辞書で調べました)。

 このことから、「法」とは「正義」のことだと一時は結論しました。 釈迦は、我々に 『法、つまり、正義を根本として、生きるべき』 と説いた のだ。

 さらに、「正義」という価値観は、宗教の枠を超えた、人類共通の価値観であることに気づきました。とすれば、仏教は、誕生のときから、すでに宗教の枠を超えていた !?

 これは、私にとっては、大発見でした。「対立する人類を救うのは、仏教を基とする思想であるかもしれない」 との思いが、グワ〜ンと広がったのです。このときは、「感動」 しました。

 ところが、しばらくたつと 「正義とは何であるか、正義であるかないかは、何によって判断できるのか」 という疑問も新たに生じてきたのです。正義を主張するもの同士が対立し、憎みあっているのは、矛盾します。憎しみは、正義に反するからです。とはいえ、悪を憎むのが正義ですよね。

 なので、「法」とは、さらに深いところにあって、正義の基となるものではないか、そして、それは、言葉ではとても言い表せるものではないのではないか と最近(2012年)になって思います。言葉はやはり人智より発せられるものであり、法は人智を超えた存在だからでしょうか。


 さて、釈迦の説いた仏法は、「煩悩、欲望からくる執着を断つことによって、安らかで安定した境地になって、法を覚知する、つまり、成仏を目指す」 ということのようです。

 ところで、ヨーロッパで起こった 宗教革命、さらに人間復興、そして、産業革命以来今日まで、人類は、欲望を開放することで発展してきた(と、思う)し、今後は、さらにその延長線上にあるのではないか。

 私のいいたいことは、欲望を滅するという釈迦の教えは、はたして今日の、欲望肯定開放型の人々を導いていくことができるのか ということです。

 宗教というのは、過去の教えを基とし、その根本は変わらないながらも、時代にマッチングし、変化成長していくものではないか、であるからこそ、時代に悩む人々の糧となり、悩みを解決し、救っていけるわけで、これが「生きた宗教」ということではないでしょうか。実は、宗教は、その根本は変わらずに、ダイナミックに変化していいのではないか?!

 仏法の根本は、「宇宙を存在させ、統合している究極の法」であって、その作用は、どのようにも現れるが、根本である法という存在は変わることはない。釈迦はこの法を覚知されたのであり、この法は、永遠である。


 ↓ 以下は、釈迦について私が調べてみたものになります。

          釈迦 という人

  釈尊(世尊、仏陀、ゴ−タマ・シッダッタ)は、紀元前5世紀頃(最近の定説は、前463年)、現ネパール内カピラ国に生まれる。母マーヤは、釈迦を産んで 間もなく亡くなり、マーヤの妹が義母として育てる。釈尊は、インド人ではなく、ネパールの人であり、ネパール人と、日本人は似ているので、釈尊は、日本人 的な顔立ちだったかもしれない。

 釈尊は、文武両道にわたる教育を受け、王子として恵まれた少年期を送り、非 凡な才能を示した。成長するにしたがい、人生の問題に思い悩み、もの思いにふけることがあった。16歳で結婚をし、男子ラーフラをもうける。が、ついに、 王である父スッドーダナの心配をふりきり、出家修行の道を志ざした。当時のインドでは、思想、哲学、宗教は、百花繚乱であり、出家者は多かった。

  釈迦はまず、バラモン教の修行をした。禅定(心を落ち着け、瞑想する)の大家につく。次に、苦行(息を止める、絶食、減食などする)を行う。苦行の期間 は、6年(〜12年)に及ぶ。その後、苦行によっては、解脱の悟りを得ることはできないと知り、苦行をやめた。修行仲間は、苦行をやめた釈迦は堕落したの だと思い、去っていった。

 過去にも未来にも、およそ釈尊ほどに苦行に耐え得た者はいないと言われる。ラホー ル博物館にある「釈迦苦行像」は、眼窩は洞穴のようにくぼみ、頬は完全に削げ落ち、全身は骸骨のようである。水面に映った自分の姿をみた釈尊は、「およそ 人間が悟ろうとする真理は、健康な肉体にそなわる栄養の足りた頭脳によって初めてもたらされる」と感じた。つまり、苦行によって心身を極限まで追い詰めて も、悟りを得ることはできないという結論を得た。

 釈迦は、河で身を清め、村の少女スジャーターの捧げる乳粥(ちちがゆ、オートミール、牛乳に砂糖、蜂蜜、穀物を入れた粥)を食べ、体力を回復させた。釈尊は、苦行を捨てたというよりも、苦行を立派に完遂・突き抜け、より高次元の道を求めたのである。

 体力を回復した釈迦は、近くのピッパラ樹(菩提樹)の下に座して瞑想を続け、ついに大悟(真理、法)を得て仏陀(覚者)となった(30歳〜35歳)。大悟を得る とは、おそらく、宇宙に向かって、自身の命が大きく開かれる状態をいうのではないか、あるいは、宇宙の真理・法と自身とが一体となることではないか と私は思う。このとき、宇宙の生命力ともいうべき莫大なエネルギーが自身の中に湧現するのではないか。

 最初に釈迦は、、釈迦のもとを去った修行仲間を訪ねた。近づいてくる釈尊に気づいた彼らは、最初は釈尊を無視しようとしたが、釈尊が近づいてくるにつれ、態度が自然と変わり、釈尊の衣服の塵をはらったりして、敬意を示した。ついに彼らは、最初の弟子となった。

  その後、釈尊はガンジス河中流域を中心にして、多くの人を導いたが、バラモン教(現在のヒンズー教の元)の勢力が強く、非難、攻撃された。晩年、弟子であ り、いとこであった提婆達多(ダイバダッタ)が嫉妬により反逆し、釈迦を殺そうとした。ダイバダッタは生きながら地獄に堕ちたと伝えられる。

 釈迦は80歳で亡くなるが、晩年には、1万人くらいの弟子らがおり、その高名はよく知られていた。

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  当時のインドでは、「輪廻転生」の思想が一般的で、バラモンの僧侶たちは、「死後に幸福に生まれ変わるための「儀式」を行える人」として、最上級の特権階 級であり、バラモン僧の言葉は、「真言」として、神の言葉よりも尊いとされた。一方、釈迦の教えは、「自らの清らかな行いによって、この世で幸福になれ る」というものであり、バラモン不要の説であり、バラモン教とは、決定的に対立した。そのため、バラモン階級から、非難中傷され、命までねらわれた。

  釈迦は、「人はいかに生きるべきか、真の自己とは何か」を説いた といわれる。

 バラモンの主張は、神聖なる神の力によって、幸福に生まれ変われるというものであり、その役目をする彼らは、最上級の存在である ということになる。いっぽう、釈迦の主張は、法を悟る修行を通して、自身を向上させ、幸せになっていく というものであった。

   今日の日本の仏教は、死んだ人のための宗教(葬式や法事)になっていますが、本来、宗教とは、今生きている人のために説かれるものであって、キリスト教 などは、今も昔もそうであろう。日本人の宗教観が変われば、「日本の行動」が変わるでしょう。宗教とは、それほどに重要な、根本の事 なのではないでしょ うか。

  入滅の年に、弟子により、第一回の仏典結集が行われた。当時の「仏典結集」とは、釈迦の 話されたことを互いに口述しあい、確認、記憶することであった。当時のインドでは、神聖な言葉は文字にすると、その神聖さが失われると考えられていたの で、文字にしないで、口述され口伝された。

  2回目の仏典結集は、釈迦滅後100年頃にされた。この頃には、見解の相違が出てきて、上座部(後の小乗教・出家者向き)と大衆部(大乗教・一般向き)に分かれた。上座部は戒律に厳格であろうとし、大衆部は、一般人に広めるためには緩和すべきとする。

  3回目の仏典結集は、紀元前3世紀に、残虐王といわれたが、後に仏教に帰依し、善政を行ったアショーカ(阿育)王が行った。

  さらに後に、釈迦の説法が、文字(パーリ語・上座部)として書き残されたのは、釈迦滅後から700年を経た2世紀頃であり、同じ頃に、大乗仏教典が作られていった。

       釈迦の言葉 (出展はインド原始経典「スッタニパーダ」などで、実際の釈迦の説法に、かなり忠実であるとされる)

「世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。」

「母と父とは子らに対して多大のことをなし、育て、養い、この世を見せてくれた。」

「母、または父が老いて朽ち衰えていくのを養わないで、自らは豊かに暮らす人、これは破滅の道である。」

「親の義務とは、子を悪から遠ざけ、善に入らしめ、技能を習学させ、適当な妻を迎え、適当な時期に相続させることである。」

「子らは、すみかであり、妻は最上の友である。」

「飲み友達なるものがある。きみよ、きみよと呼びかけて、親友であると自称する。しかし、事が生じたときに味方となってくれる人こそ、友だちなのである。」

「人の価値とは、生まれや身分によるものではなく、清らかな行いによって決まる」

「王よ、婦人といえども、ある人々は、実に男子よりも優れている。智慧があり、戒を保ち、姑を敬い、夫に忠実である。かの女の生んだ子(女の子)は、英雄となり、地上の主となる。かくの如き、良き妻の子は、国家をも教え導くのである。」

「自分よりも愛しいものはない。同様に他の人々にも、自己は愛しい。故に自己を愛するものは、他人を害してはならない。」

「生き物を自ら害すべからず。また他人をして殺さしめてはいけない。また、他の人々が殺害するのを容認してはならない。」

盛年をすぎた男がティンバル果のように盛り上がった乳房ある若い女を誘い入れて、かの女への嫉妬から夜も眠れない。これは破滅への門である。 

「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって、得たものを、その度に失う人がいる。これは破滅の門である。」

「婦女の求めるところは、男性であり、心を向けるところは装飾品、化粧品であり、よりどころは子どもであり、執着するところは夫を独占することであり、究極の目標は支配権である。」

「足りないものは、音をたてるが、満ち足りたものは静かである。」

道を行きて、己よりも勝れたる者、または、己に等しき人に逢わずんば、むしろ、独り行きて誤るな。愚かなる者の友となるなかれ。」

 「あらゆる生物にたいして暴力や悩みを与えてはならない。独り、サイの角のように歩め。実に欲望はいろとりどりで甘美である。心を楽しませてくれ、満たしてくれる。しかし、欲望の対償には、憂いがあることをみて、サイの角のように、ただ独り歩め。」

「世 界はどこも、とどまってはいない。すべての方角も揺れ動いている。私は、安住の地を求め探したが、どこにもなかった。すべて、死や苦しみにとりつかれてい る所ばかりだった。殺そうとしている人々を見よ。武器をとって打とうとしたことから恐怖が起こった。すべてのものは、燃えている。欲望と怒りと愚かさに よって。」

 

 釈迦のすすめた中道について 〜 

 釈迦は、出家前の王子としての「快楽」の生活と、修行時代の、肉体をいためる「苦行」 という両極端を経験している。そして、快楽によっても苦痛によっても、真の幸福は得られず、この両極端を離れる方法を提案した。つまり、中道といわれる「精神の統一安定」によって、真理を直観する方法を提案した。

  「道の人よ、出家者が実践してはならない二つの極端がある。その二つとは何であるか。一つは、諸々の欲望において欲楽にふけり、卑劣、野卑にして凡愚の行 いであり、高尚ならず、ためにならないものであり、他は自らを苛(いた)むことにふけり、苦しみにして、高尚ならず、ためにならないものである。人格を完 成した人はこの両極端に近づかないで、中道を悟ったのである。それは眠りを生じ、心のやすらぎ、すぐれた知慧、正しい覚り、ニルヴァーナ(平穏)に向かう ものである。」

 ところで〜「直観」とは、真実をありのままにみて、本質をつかむこと であって、いわゆる、ピンとくる「直感」のことではありません。そして、直観するには、その前にあらゆる試行錯誤があって、あるとき、ふっと、最短の道、つまり、本質がみえる 解決する ということみたいです。

2012年4月更新