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London, 2002.5
text by Yoshiyuki Suzuki
interview and translation by Erika Yamashita

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ザ・ザ=マット・ジョンソンは、80年代〜90年代を通じて、そして今後も、最も大きな存在として個人的に信じ続けていくであろう数少ないアーティストの一人だ。このインタビューが行なわれたのは、20年にもおよぶキャリアで初めてとなるベスト・アルバムと代表4作品のリマスター盤、およびそれら4枚をまとめたボックスセットがリリースされた時のもので、いつもながらの饒舌さからも、底しれぬアーティストとしての熱量を感じ、圧倒される。ここで語られている壮大な過去作品の再発計画は結局(予想通り?)ソニー側の協力を得られずに頓挫してしまったが、困難な人生から決して逃げず、常にそれを生き抜いただけの感動的な作品を創り出し続けてきたマットだけに、その次なる一手に引き続き期待したい。

「何もかも出して自分のキャリアを確固たるものにする。そうして、何をするにせよ次に進もうという、今はそういう重要な時期なんだ」

アルバム『ネイキッド・セルフ』がリリースされた時にもインタヴューさせていただいたのですが、すでにその時点で今回のシングル集『45RPM』というプロジェクトは構想されていましたよね。そもそも、このタイミングで過去の作品を集大成してみようと考えた理由はなんだったのでしょう?

Matt:まず全体像から話そうか……2004年5月にはザ・ザの25周年記念がやってくる。驚かないでくれよ、なんたって17歳で始めたんだからね(笑)。今年の5月はそこに至る2年間の開始地点で、まずはシングル集『45RPM Vol.1』を出した。このCDには“ラザラス”って記してあるけれども、僕自身の会社でね。つまりもうソニーと契約はしていないけれど、僕の会社がソニーと提携してやってる事業ということなんだ。その第1弾が今回の『45RPM』になるわけ。続いて6月にはインタープリテーションズという企画シリーズのEPを出す。入っているのはスネークファームっていうアメリカのバンドがやった“ピラー・ボックス・レッド”や“オーガスト・アンド・セプテンバー”のエルボウ・ヴァージョン。さらに7月には『魂の彫刻』『インフェクテッド』『マインド・ボム』『ダスク』をジャケットも新しくしてリマスター・リイシューする。このエピック時代の4枚のアルバムは『ロンドン・タウン』というボックス・セットにまとめるつもりだ。それから今年後半には初期の音源と映像のDVDボックスが出る。その次がインストゥルメンタル音楽と映画音楽を集めた『サイレント・タング』っていうボックスで、これはたぶん秋頃だろう。そして来年に入ってからは、ソニーと契約する以前の3枚の作品『バーニング・ブルー・ソウル』『ポルノグラフィー・オブ・ディスペアー』『スピリッツ』をまとめたボックス、その次が『45RPM』の第2弾。さらにその後ソニーを離れてからの作品『ネイキッドセルフ』『ガンスラッツ』なんかを収録したボックス・セット『ニューヨーク・シティ』と、まあ、こういうリリース計画が2004年に向けて進行することになっているんだ。うまくいけば、だけどね。そこに加えてまっさらのニュー・アルバムも作るつもりだよ。つまり、今はそういう重要な時期なんだよ。何もかも出して自分のキャリアを確固たるものにする。それをやって、次に何をするにせよ次に進もうということなんだよね。

巨大な解放感にむかって突進してる感じですね。

Matt:そうだね、こうやってまとめて全部出せるというのは、いいよ。いろんな人にこれまで過去の作品について尋ねられたりしてきたし、棚卸しにはちょうどいい時期だと思う。25年間を振り返って、じゃあ今後も音楽を作っていきたいのか、それとも映画とか何か他の方面をやっていきたのか……あるいは完全に引退するか(笑)。ま、そのへんは様子見だ。でも今もどんどんいい新曲が出来てきてるし、ともあれここで25年っていう一つの区切りをつけて、そこから進んでいきたいんだ。

わかりました。さて、『45RPM』に、2つの素晴らしい新曲“ピラー・ボックス・レッド”と“ディープ・ダウン・トゥルース”が収録されたことはファンとしては非常に嬉しいのですが、この書き下ろし新曲のレコーディングをクライヴ・ランガー&アラン・ウィンスタンレーというイギリス人プロデューサー界のベテラン・コンビと組んでやったのは何故ですか?

Matt:まず、このアルバムの構想を考えた時、いくつか新曲も入れようと思った。で、“ディッセンバー・サンライト”の録り直しも含めて新録ものを曲入れることにしたんだけど、今回は自己プロデュースからちょっと離れてみようかと思ってね。プロデュースするのもそれはそれでストレスかかったりするし、たまには作って歌うだけがいいなと。それで、特に“ピラー・ボックス・レッド”が英国を振り返るというテーマだっていうのを考えると、ランガー&ウィンスタンレーのマッドネスとの仕事や、特に初期のコステロもの、ほら“ピルズ・アンド・ソープ”なんかは僕自身の“ハートランド”や“パーフェクト”なんかと重なるところもあるし、それらの作品を手がけた2人にぜひプロデュースしてもらおうと思ったわけなんだよ。以前に会ったこともあるし、一緒にいて気持ちのいい人たちでね。実際に仕事してもこれまた楽だったよ、気の置けない人たちで。

今あなた自身の口からも出ましたけれども、実際“ピラー・ボックス・レッド”では母国イギリスに対する愛憎入り混じった心情を歌っていて、あなたの往年のナンバー“ハートランド”に通ずるものを感じました。

Matt:うん、たしかに愛憎であって、ネガティヴな心情ではないんだ。でも葛藤はある。母国を離れた人ならわかることじゃないかな。ときどき戻ってみると自分の国がとても好きだと思うんだけれども、でもここには住みたくない、そういう葛藤がね。そういう気持ちって結構たくさんの人が持ってるんじゃないかな。懐かしくなって呼び戻され、戻ってみるとそもそもなぜ離れたのかを思い出させられるという。そして、ここには自分はもう属していないんだってことに気づくというわけさ。だから、この歌はまあ、僕の子供時代の回顧というか、イギリス全般についての回顧といっていいだろうな。

現在はスウェーデンに住んでいらっしゃるんですよね?

Matt:そう、ゴッセンバーグ。今はね。

なぜ今このテーマに立ち返ったのですか? イギリスのことを考える機会が増えたりしたんでしょうか?

Matt:僕は80年代以降、イギリスを離れてあちこちに住んできたんだよね。スペイン、ニューヨーク、スウェーデンと。その間にツアーが3回あって、どのツアーも一年がかりのものだった。まあでも、ちょこちょことイギリスに戻ってきてはいるよ。このテーマには心ひかれるものがあるんだ。僕は外国に住むのが好きだし、外国人でいるのが好きだ。でも自分の国のいろんなことが恋しくはなる。それで戻ってみると、自分の国が変わってしまっていて、自分の知らない場所になってることに気づくんだ。これって普遍的なものだよね。昔から人間は故郷を離れ、あまりにルーツから遠ざかってしまうとバネのように引き戻される。そこでふと、実現しなかった古い夢を思い出したり、人が死んでたり生まれてたり、そういう中で人は人生について考えるんだと思うよ。自分はどこへ向かっているんだろう?ってね。そのためには、自分がどこからやってきたのか常に思い出し続けていなければならない。これまでにもいろんな人が題材にしてきたテーマだし、僕も昔から興味があるんだよね。

世界各地に住んでみて、あなたが得たものはなんですか?

Matt:そうだなあ……特定の事柄は指摘できないんだけど……いちばん大きなことといったら、人間どこでもあんまり変わらないってことだろうな。単純な言いようだけど実は深いと思うんだ、これって。日本も似たとこがあるかもしれないけど、イギリスのように人口過多な島国ってえてして排他的でさ。イギリスの場合は特にヨーロッパ諸国に対してそうなんだよ。地理的にはアメリカよりずっと近いのに、言語が共通だという点でアメリカに対する強迫的なまでの関心と愛着があって、反面ヨーロッパに対してはどこか敵意や不信感がある。たぶん言葉が通じないっていうのが大きいんだろうけどね。で、僕なんかはイギリスがいかに偉大か、健康保険制度や交通の便がいかに見事か、この国に住んでいられてどれだけ幸運かっていう考えを植え付けられて育ったんだよね。でも大人になってみると、なんだこの国ってボロボロじゃないかって気がついて。もちろん今でも独特の魅力や資質はあるけれども、海外の国々を訪れてみると他の国がどんなにすばらしいか、自分の国は特別でもなんでもないんだってことに気づかされたわけだ。

なるほど。ところで、この“ピラー・ボックス・レッド”で聴けるバック・ヴォーカルは誰が歌っているのですか?

Matt:ああ、僕自身(笑)。ファルセットでね。僕はトム・ヨークが生まれる前からファルセットで歌ってるんだよ。

(笑)。もう一つの新曲“ディープ・ダウン・トゥルース”は、「ゼアリズ・ノー・モア〜」という言葉の後にたくさんの対比事項が並べられる歌詞が印象的で、「深い真実にたどり着くには、あらゆる物事に二面性があることを理解する必要がある」というような意味にとりましたが、あなたがここで主張したかったのはどんなことでしょう?

Matt:けっこう禅っぽい曲だよね、これ。短い一つの歌の中で表現するにはすごく難しい概念だな。たぶん、何年もの間に僕自身の精神状態が変わってきて、昔に比べたら内面的に安定した状態になったと思うんだよね。そこには、広い世界で起こるさまざま出来事や、自分の人生で起こる出来事を目にして、いずれも自分自身にはコントロールできる力なんて殆どないんだと気づいたっていうことがあって。つまり自分の生きている世界なんて、自分が持っている時間や空間の感覚とか、そういうのは殆ど幻想の世界なんだってね。多分これは大昔にやってた幻覚剤系のドラッグの影響だと思う。そういう経験をしたのは若い頃なんだけど体内に感覚として残るんだね。突然、時間が延びたり縮んだりして、自分の生きてる世界っていうのは何も確かなものじゃないってことがわかるっていう……。でまあ、よく真夜中に布団の中でまんじりともせずに考え込んでいたんだよ(笑)。これまでの人生のどういった事柄が今この瞬間の自分を引き起こしたんだろう、そしてこれからの人生の出来事は僕をどこへ運んでいくんだろう、運命なんてものは果たしてあるんだろうか、偶然とか定めなんてあるんだろうか……昼間、起きているあいだに実はいろんな偶然が身の回りで置き続けている。覚醒した状態でいるときは、そういう沢山の偶然にすごく意識的でいられるんだよね。そういう状態じゃないときは、ひたすら出来事にうちのめされてたりするけどもさ。それと、昔よく瞑想をしてたんだ。最近ずっとやってないからまたやりたいんだけど、あれは非常に心の均斉を保つのにいいよ。どんなことが身の回りで起きて変化し続けていても、自分の中では必ず何かに繋がっていると感じられるんだ。変化に抗えば抗うほど、人生そのものに抗うことになるんだよ。とまあ、そういういろんな考えがこの短い歌にはこめられていると。もう、考えっていうより感覚だね。こういうことについて本が一冊書ければ書くんだけど僕にはそれができないから、この歌を聴いたリスナーに感覚的に伝わってくれればいいなと。道教というか禅というか、そういう人生思想の感覚がね。

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