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Tokyo, 2002.9.7.
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation by Stanley George Bodman
translation by Shino Kobayashi

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アルバム『THE EGG』の日本盤リリースを受けて、来日を果たしたシャイナー。このインタビューは、新宿ロフトでの公演の直前に、ギタリストのジョシュ・ニュートンとベーシストのポール・マリノウスキの2人を相手に行なわれたものである。来日公演後しばらくして、まさかの解散が伝えられ(※この年はJ・ロビンズが呪われているのではないかと思うほどだった。このシャイナーの他にも、J自身のバンド=バーニング・エアラインズをはじめ、ジョシュア、プロミス・リング、ディスメンバメント・プランといったバンドが立て続けに解散してしまった)、シャイナーとしては最初で最後の対面となってしまったが、現在メンバーはそれぞれ新しいバンドを立ち上げて再始動している。大きな転換期を予感させるアメリカン・インディー・シーンで彼らが今後さらに活躍していってくれることを期待したい。

「今は小さなレーベルの時代だと思う。これからも大きなレーベルの苦難の時代は続くだろうね」

まず最初に、あなた方のバックグラウンドについて訊いていきたいと思います。それぞれ、どのように音楽を始めたのか教えてください。

Josh:僕はマサチューセッツ州ボストンの出身なんだけど、姉がパンクにのめり込んでて、僕はキッスとかが好きだったね。なんていうか、ああいうちょうど中間っぽい感じの音が好きだったんだ(笑)。最初はドラムをやりたかったんだけど、ドラマーとしては全然ダメでさ(笑)。だからギターに鞍替えしたんだよ。

Paul:僕はカンサスシティ出身で、確か10歳くらいの頃からドラムを始めたんだ。それがいつの間にかギターに移行して、それからベースをプレイするようになった。以前はシーズン・トゥ・リスクっていうバンドにいたんだけど、ジョシュがカンサスへ引っ越してきて、僕がシャイナーに移籍することになった時、代わりにジョシュがシーズン・トゥ・リスクに入ったんだよ。でも気がついたら何故かジョシュもシャイナーにいたっていう。

ちなみに、ジョシュがカンサスに引っ越してきたのはだいたい何年くらい前ですか?

Josh:えーと、カンサスに引っ越したのは……95年のクリスマス。95年の年末だね。

シャイナー参加以前のキャリアについても簡単に教えてくれますか?

Paul:まだシーズン・トゥ・リスクっていうバンドに在籍してた頃、僕は歯科医療製品を作る会社に勤めていたんだけど、アレン(・エプリー。ヴォーカルとギター担当で、シャイナーの中心メンバー)とはそこで一緒に働いていたんだ。そのうちアレンが新しいバンドを作るって言い出してさ。そしたら同じ職場の仲間がもう1人、自分もやりたいって言い出して、彼は何もプレイ出来なかったんだけど、僕とアレンが遊びがてら楽器を教えてやったんだ。飲みながらベースで楽しくノイズを出そうって感じにね(笑)。それからアレンがシャイナーを結成したんだ。シャイナーのファースト・アルバムでベースを弾いてるショーンってやつは、僕らがベースを教えてやった元同僚だよ。僕はアレンの作る曲が大好きでね。一方で、シーズン・トゥ・リスクには6年くらい在籍して、1996年までにコロムビアから2枚レコードを出したんだけど、次第にそっちには退屈してきて、もっとメロディックな曲をやりたいなぁって考えるようになって、他のメンバーとだんだん意見が合わなくなってしまったんだ。でも、実はアレンもシーズン・トゥ・リスクに在籍してた事があるんだよ。それからジョシュもそうだし、喩えて言うなら、シーズン・トゥ・リスクが野球の2軍チームだとしたらシャイナーが1軍、って感じだね。

Josh:僕は最初、ボストンでグレイズド・ベイビーっていうバンドにいてね。クレイジーでヘヴィなノイズをやるバンドで、ニューロシスみたいなバンドと対バンしてたんだ。でも、他のメンバー2人と険悪なムードになっちゃって。まあ、どっちみちカンサスに引っ越す事が決まってたから、「まぁいいや」くらいに思っててさ。その頃、たまたま電話がかかってきて、ポールがシーズン・トゥ・リスクを辞めるって話を聞いて、「どう、代わりにやらないか?」って誘われたんだ。答はもちろんイエスだったよ。ポールがバンドを辞めるやいなや、すぐにバンドに参加したよ。ポールが95年の大晦日のライヴを最後に脱退して、僕は1月か2月に加入したんだ。

地元カンサスのロック・シーンはどんな感じなのでしょうか?

Josh:今、すごくイイ感じに盛り上がってるエリアだよ。まずゲット・アップ・キッズがいるだろ?

Paul:それからアニヴァーサリーもいるし。他にも新しくていいバンドが続々と誕生しているんだ。

やっぱりパンク・バンドが主流ですか?

Josh:う〜ん、セックス・ピストルズみたいなタイプのパンクってわけじゃなくて……。まぁ、パンク・バンドもいることはいるけど、現在はドランク・カントリーみたいなタイプのバンドが盛り上がってるね。

Paul:そうそう。

Josh:ギターがうねるような感じで、だけど叫んだりするバンド。ポルヴォっていうバンドは知ってる? ギターに特徴があって、クリーンなんだけど、微妙にヘンな感じっていうかさ。リトル・フィートっぽいっていうのかなぁ? なんていうか、カントリーっぽいけど、そうじゃない要素もあるっていうか。とにかく、カンサスシティは小さな町だけど、健康的なミュージック・シーンがあることは確かだね。バンドの数も多いし、プレイできる場所もいっぱいあるんだ。

Paul:うん、いいライヴ・ハウスが5カ所くらいある。

以前、ゲット・アップ・キッズのロブにインタビューした時、彼らは地元のシーンとは距離が出来てしまっているというか、自分達は地元のリスナーにあまり好かれてないみたいだっていうような事を言ってたのですが――

Josh:うんうん、確かにそうだね。でも、それは自業自得なんだ。彼らは地元であまりプレイしないし、今となってはすっごく大きい場所でしかやらない。少なくとも2000人くらいのオーディエンスがいないとプレイしないんだ。バーみたいな場所じゃ絶対やらないよ。僕らはよくバーでもプレイしてたけど、彼らはたった1回しかプレイしたことがないはずだ。ゲット・アップ・キッズは日本でプレイするし、ヨーロッパへも行くけど、カンサスシティではほとんどプレイしたことがないんじゃないの? せいぜいレコードショップでのプロモーションくらいでさ。

Paul:だからカンサスの人達は彼らがそこまでビッグだって事を知らないんだと思う。

Josh:うん、実際、僕らみたいに一緒にツアーしたことがなきゃ分からないよね。彼らがそこまで売れていて、日本やヨーロッパへツアーに行ってるって事をさ。なんていうか、それが彼ら自身が選び取った道って気がする。あのバンドのメンバー何人かとは友達だけど……正直ちょっとヘンだよね。

Paul:彼らの場合、自分達のためだけにやってるって感じがするな。自分だけが理解できればいいやって風にね。だから地元ともあんまり交流を持たないんだ。カンサスシティを含め、中西部出身のバンド達はみんなお互いにサポートしあっているし、地元のキッズも地元バンドをサポートするのが普通なんだけどね。

Josh:だって彼らの場合、地元ではプレイしないんだもの。僕がカンサスに越してきてから見る限り、ゲット・アップ・キッズが地元でプレイする機会は1年に1度あるかないかって感じだよ。

逆にあなた達は、地元のシーンに根付いて、サポートも受けていると思いますか?

Josh:うん、僕らは完璧に地元に根付いてるね。とあるシアターでプレイした時なんか……えーと、僕らはいつも250〜300人くらいのオーディエンスの前でプレイしてたんだけど、ある時、大きなシアターでビッグなショーをしようって事になったんだ。そしたら700人くらいのオーディエンスが集まってくれたよ。

Paul:キッズ達はローカルなバンドに対してすごく協力的なんだ。

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