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Jonah Matranga

Jonah Matranga

Tokyo, 2007. 7. 31.
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation by Izumi Kurihara
translation by Satomi Kataoka

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FarやNew End Originalというバンドで、あるいはonelinedrawing名義で活動してきたことでも知られるシンガーソングライター=ジョナ・マトランガ。彼が現在の、いわゆる「エモ」シーンに与えた影響は限り無く大きい。2007年に久々ソロ名義作品『AND』を完成させ、同年のフジロックに出演するために来日、都内で行なわれた単独公演でも素晴らしいパフォーマンスを披露してくれたジョナにインタビューする機会を得たが、ともすれば抱かれがちな青臭い思想の持ち主というイメージとは正反対に、いかに彼が地に足の着いた人間であり、その上で妥協なく自らの音楽表現へと向き合っているかがお分かりいただける記事になったと思う。

「音楽業界に関わる全員が、認識してなきゃならないことだと思う――レーベルとの関係性というものは恋愛と同じで、フィフティ・フィフティなんだってね」

マサチューセッツ州のブルックラインというところで生まれたそうですが、子どもの頃どういう音楽環境の中で育ったのか、教えてもらえますか?

Jonah:身近にあった音楽というと、サイモン&ガーファンクルにジャクソン・ブラウン、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、それにビートルズの赤盤と青盤、ザ・フーの『ミーティ・ビーティ・ビッグ・アンド・バウンシィ』だね――子どもの頃の僕にとってすごく重要なアルバムだった。あと……そう、ジャクソン・ブラウンの『レイト・フォー・ザ・スカイ』も、よく聴いたのを覚えてるよ。あとAMラジオもしょっちゅう聴いてたっけ――ショーン・キャシディのような、とことんスウィートなポップ・ミュージックをね。子どもの頃聴いてた音楽といったら、こんな感じだね。で、そのうち近所の年上のガキたちを通して、ドラッグとレッド・ツェッペリンを知ることになった、と(笑)。

あなたが10代の頃って、もう80年代に入っていたんじゃないかと思うんですけど、その頃に70年代のツェッペリンなどを聴いていたわけですか?

Jonah:そう、確かに10代のときツェッペリンにハマってた(笑)。でも10代になったばかりの頃は、まだツェッペリンも活動してたし、ヴァン・ヘイレンとか――サミー・ヘイガーじゃなくデイヴ・リー・ロスの時代だよ(笑)――ボストンとかもいたしね。でも同時にカーズとかプリテンダーズとか、ジョー・ジャクソン、クラッシュ、U2、REMなんかも人気があったし、あと80年代半ばにはヒップホップも出てきただろ――パブリック・エネミーとか、ブギー・ダウン・プロダクションズとか、RUN DMCとか。そうやってどんどんいろんな音楽と出会って、どれも同等に気に入ってたんだ……でもいまだに一番好きなのはレッド・ツェッペリンだけどね。

そんな中で、自分でも音楽をやってみよう、ギターを手にして歌ってみようと思ったのは、どういう経緯からだったんですか?

Jonah:子どもの頃って、少なくともアメリカでは、男の子なら消防士か警察官かスーパーヒーローに、女の子ならバレリーナか何かになりたいと思うものなんだけど、そんな中で誰もがみんな憧れるのが、ギターを弾くことなんだ。成長の一過程として当たり前に通る道っていうか、だからみんな音楽のレッスンを受けたり、自宅の地下室で楽器を弾いてみたり……で、僕の場合、それが大人になっても止まらなかった、と(苦笑)。友達はみんな飽きたのか、途中で他の道に移っていったけど……ま、僕も写真撮ったり文章を書いたり、いろんなことをやってきたんだけどね。でもそんな中でも音楽は絶対に止めなかったんだ。計画してそうしたわけじゃなく、ただ大好きという気持ちが収まることがなかったんだよ。で、6年生になる頃にはもう、ローリング・ストーンズの曲をカヴァーして、タレントショウに出たりしてたわけ。だから、始まりは他のキッズと同じだったけど、僕だけそのまま立ち止まらずに走り続けた、と。理由は僕にもわからないんだけどね。

僕たちが知っているあなたの最初のバンドというと、サクラメントで結成されたFarというバンドになるんですが、それ以前にもバンドをやってたりしたんでしょうか?

Jonah:ああ、山ほどね。口にするのもおぞましいようなバンド名ばかりさ。

(笑)。

Jonah:中学の頃は、タレントショウに出る以外は、ほとんど自分だけで曲を書いて過ごしてたんだ。でも大学時代は色んなバンドに参加して……で、スザンヌ・ヴェガのファースト・アルバムを聴いてから、4トラックのレコーダーを買って自分だけの音楽を作り始めた――まさにスザンヌ・ヴェガっぽい、アコースティックがベースのプライヴェートな音楽をね。そんな感じがずっと続いてて、それでFarがスタートしたんだけど、音楽で生計を立てるってことを初めて本気で考えなきゃならなかったのが、その時だったんだ。それまでは気楽な学生だったけど、Farを結成して初めて、これでどうやって家賃を払っていくか、っていうことを考えなきゃならなかったわけ。でもその点を除いては、それまでとあまり違いは感じなかったね。音楽が大好きな気持ちは、それまでとまったく変わらなかったよ。

ちなみに、サクラメントに引っ越されたのはどういった理由からだったんですか?

Jonah:えーと、Farを始めるためだよ。大学を卒業した後、友達を通して知り合った連中がサクラメントでバンドをやってて、テープを送ってきてくれて、僕も向こうにテープを送ったらお互いすごく気に入ってね。卒業して他に何をすればいいかも分からなかったから、サクラメントに飛んで、人ん家の床の上で寝起きしながら一緒に音楽をプレイし始めて、お互い気に入るかどうかを見てみたんだ。それが始まりさ。誰一人として知り合いのいないサクラメントに引っ越したのは、すべてこのバンドのためだったわけ――何が起きるか見てみたかったんだ。

同じサクラメント出身のバンドというと、デフトーンズや!!!がいたと思うんですが、当時Farで活動していた頃のサクラメントの音楽シーンは、どんな感じだったんですか?

Jonah:最高だったよ。Farを始めた頃、サクラメント出身で一番ビッグなバンドというと、テスラだったな。地元で一番の出世頭って感じだったね。で、他に僕たちFarとかデフトーンズとかケイク(Cake)とかがいて……で、!!!のニックは、元はThe Yah Mosっていうハードコア・バンドのメンバーだったんだけど、最初は僕もニックもお互い毛嫌いしてたんだよね(笑)。っていうか、まずあいつが僕のことを嫌ってて、それで僕も、理由もなく嫌うあいつのことをイヤなやつだと思ったんだけど。でも互いのことを知るにつれて、逆にお互いすごく好きになったんだよ。そんな感じで当時のシーンには本当にいろんな……だってFarにデフトーンズにCakeにYah Mosだけ取って見ても、すごく多様性に富んでるじゃない? でもライヴはみんな一緒にやってたんだ。「この週末はデフトーンズと一緒にやって、次の週末はケイクと一緒」っていう感じだった。ものすごくクールなシーンだったよ。当時のサクラメントは、家賃がやたら安くて生活費がすごく安く抑えられたから、かなり音楽に集中することができたんだ。あと、リトル・ギルト・シュラインっていうバンドのシンガーが、Cakeのギタリストと一緒に作ったDeathrayっていうバンドも、なかなか良いバンドだったよ。いやもうほんっとに、当時のサクラメントはグレイトな音楽の宝庫だったね。あ、あと、タイガー・トラップっていうインディ・ロック・バンドもすごくよかったし、とにかくイカしたバンドがたくさん活動してたんだ。

Farでアルバムを何枚か出し、メジャーからも『Water And Solutions』という名作を発表されましたが、その後ほどなくしてFarは解散してしまいますね。これは何が原因だったんでしょうか?

Jonah:まあ、全然性格の違う人間が9年も一緒にバンドをやってきて……確かに自分たちが作ってる音楽はスゴいという気持ちはあったけど、実際に作るプロセスは僕にはすごく苦痛でもあったんだ。で、正直、もう喧嘩したくないと思ったんだよ。僕が作ってる曲を他のメンバーが気に入らなかったり、連中が作ってる曲を僕が気に入らなかったりってこともあったしね。あと『Water And Solutions』が完成して作品を聴いてみた時に、本当に惚れ惚れして「これはFarに作れる最高のアルバムだ」と思ったんだよ。あの後、さらにアルバムを作り続けようと思えば、もちろん作れただろうし、それまでと毛色の違った面白いものができたかもしれないけど、たぶん僕の色が濃すぎるか、ショーンの色が濃すぎるかの、どっちかになってたと思うんだよね。でも『Water And Solutions』はそのふたりのバランスが完璧にとれてたし、僕の性格として、「そういう完璧なアルバムを作ったのに、まだ続ける理由なんてある?」って思ってしまったわけ。無難だからとか安心だからとか慣れてるからとか、そんな理由だけで続けたくなかった。「前に進み出て新しいことに挑戦する時が来た」って思ったんだ。それを連中と一緒にやることも可能だったのかもしれないけど、でも僕はあれが、Farに作れた最高のアルバムだと思ったし、今でもそう思ってるよ。すごく誇りに思ってる。でも、あのレベルに達するのに8〜9年かかったわけで、あれ以上のものを作るのは僕らには無理だったと思うんだ。あれがベストであり精一杯だったんだよ。

なるほど。そして解散後は、onelinedrawingという実質ソロ活動的なプロジェクトを始めたわけですが、バンドという体制にちょっと疲れてしまったので、ソロのシンガー・ソングライターとしての活動形態に転向した、ということなんでしょうか?

Jonah:いや、その前からずっと、バンドとは別に自分だけの曲を書いたりしてたから、まったく未知の世界ってわけじゃなかった。ホント、あれは偶然ああなったって感じ。Farが解散した後、次に何をすればいいか分かんない状態で、家で曲を書いたりして過ごしてたんだけど、そんな時、解散後も連絡を取り続けてた人たちに「曲を聴かせてくれ」って言われて、「ああ、いいよ」って、自分でどんどんレコードを作るようになったんだ。でも前からやってたことだし、すごく自然な流れでそうなったんだよ。知人や世間の人たちに宛てた、近況報告のハガキみたいなノリでね。そんな感じでスタートして、だから……いや、実は正直寂しいっていうか、今もソロ活動には満足はしてるけど、実際バンドでやるのも大好きだから、寂しいっていう気持ちもあるんだ。ただ……僕にはたぶん合ってないんだよね。大好きだから何度もトライしてるんだけど、そのたびに失敗してるし(苦笑)。でも……そう、とにかく不思議な偶然だったんだよ。家で曲を作って過ごしてたところに「出て来い」って誘いがかかって、それで出て行った、と。

確かに、ニュー・エンド・オリジナルもグラティテュードも、アルバム1枚きりで終わってしまいましたよね。個人的にはかなり好きだったので、ちょっと寂しい気もするんですが、やっぱり自分はバンドよりソロの方が向いていると自覚して、ついに今回ソロ名義で新作を出すことにした、という感じなんでしょうか。

Jonah:僕もそのふたつのバンドのアルバムはものすごく気に入ってるんだけど、個人的にはバンド活動のうえでいろいろ辛いことがあってね。で、今回のアルバムなんだけど、すごくバンドっぽいサウンドになってると思うんだ。ある意味、バンド名義でやってないことで、逆にバンドみたいなサウンドのアルバムを作ることができる、それが許される、っていうのかな。個人名義なら、バンドっぽいサウンドだろうが何だろうが、自分の作りたいように作って構わないわけだからね。

今回のアルバムには、ライヴァル・スクールズのイアン・ラヴとサム・シーグラーのふたりが参加していますよね。イアンはカルディアというバンドもやっていましたが、そういう人たちと新しいバンドを組むより、自分のソロ・アルバムを一緒に作ってもらうという形の方が、やはりやりやすかったんでしょうか。

Jonah:うん、それに連中もすごく忙しいからね。イアンも自分の音楽を作ってるし、サムもいろんなバンドに参加してる。だから逆に、僕が連中のアルバム作りに参加するっていうこともあり得るんじゃないかな。イアンのアルバムのためにギターを弾きに駆けつけるってこともあるかもしれないし、サムのアルバムにヴォーカルで参加するってこともあるかもしれない――そういう関係性なんだよ。ただ、例えばNew End Originalのアルバムにしても、さっきも言ったようにすごく気に入ってはいるけれど、実際には“バンドのアルバム”じゃなかったんだよね。あのアルバムの曲は全部、メンバーたちと出会うずっと前に僕が書いたものばかりで、実際、onelinedrawingとして出すことになってたのを、僕が「いや、バンド名義で出したい」って言い張ったんだ。でも結局、バンドになる運命じゃなかったんだよね――その時点では分からなかったけど、そもそもバンドに成り得なかった。ジョン・マトランガのアルバムとして出しても、全くおかしくなかったわけ。で、その後のGratitudeでは、実際にバンドとして機能させようと努力したよ。他のメンバーと一緒に曲を書いたりね。でもやっぱり、バンドとしてどこかしっくりこなかった。どうやら僕は、何度かの失敗を経てやっと、何をすべきか理解する性分らしいよ(苦笑)。もちろん、イアンやサムとずっとバンドとしてやっていけたら最高だろうけど、いろんな失敗を経た今は「僕は僕でやりたいことをやって、ふたりにもやりたいことをやってもらって、そしてたまに集まって楽しんだほうがずっといい」ってことが分かるんだ。

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