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Joe Lally

Joe Lally

Tokyo, 2009. 10. 13
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation and translation by Yukiko Amita
Photo by Antonia Tricarico

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フガジのベーシストであり、ジョン・フルシアンテとのユニット=アタクシアでも知られるジョー・ラリー。彼が、2009年にソロで来日を果たした際に、対面で話を聞く貴重な機会を持つことができた。会ってみてわかったのは、もんのすごくエモーショナルな人だということ。自身にとってのヒーローであるクランプスのラックスの死について語っている時に、感極まって涙ぐんでいる姿は本当に印象的だった。そして、イアン・マッケイに勝るとも劣らぬ超おしゃべりさんぶりに圧倒されて、ほとんど質問させてもらえなかったのだが、いったい、かのバンドでの日常会話はどんな様子だったのか、こうなったら残る2人とも話をしてみたくなった。ともあれ、ジョーの1人語りインタビュー、ぜひ読んでください。

「フガジとして音楽を作る機会がなくなったのは、とても気分が滅入ることだった。飛行機事故に遭って1人だけ生き残ったような精神状態というか……ものすごく厳しい経験だったよ」

まず最初に、小さい頃どういう音楽環境で育ったのか、当時はどんな音楽を聴いていたのかを教えてもらえますか?

Joe:僕は4人兄弟の末っ子で、姉たちが持ってたビートルズのレコードとか、それにラジオもよく聴いていたよ。あと、隣の家には男の子が4人いて、いちばん下の子が僕と同い年だったんだけど、その家族がすごく音楽好きで、彼らからの影響が大きかった。その家では特にブラック・ミュージックをよく聴いていて、僕も興味を持つようになったんだ。オーティス・レディング、ジェームス・ブラウン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ファンカデリックとかね。おかげでブラック・ミュージックのラジオ局もよく聴くようになって……アメリカではラジオ局がブラックとホワイトで分かれているんだ、混じってるところもあるけど、それでも未だに棲み分けがあるんだよ。とにかく、その友達の家族のおかげで、10歳か11歳くらいの時にスピナーズを観て、それからフォー・トップス、アイズリー・ブラザーズ、ジャクソン・ファイヴ、それにスライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシストだったラリー・グラハムも観た。12歳の時、グラハム・セントラル・ステーションを2万人くらい入る巨大なアリーナで観たんだけど、それが僕にとって最初のビッグなコンサートだった。それって音楽への入り方としては、ある意味すごく奇妙だったと思う(笑)。学校の同級生なんかは誰一人そういう音楽を聴いてなかったからね。僕の学校には黒人もあまりいなかったし、ブラック・ミュージックに興味がある人も、僕の親友以外はいなかったんだ。その後ティーンエイジャーになって中学校が始まり、そこで個人的に大きな変化が起きて、友達も変わったし、音楽の趣味も変わった。そこでロックを知ったんだよ、スタンダードなハード・ロックをね。エアロスミスやレッド・ツェッペリン、ブラック・サバス、ジミ・ヘンドリックス、そういった60年代や70年代のハード・ロックを見つけていったわけ。その当時に流行っていたものに関しては、僕には理解できなかったというか、たとえばスコーピオンズとか、そういうオーヴァープロデュースされたものはみんな、どういうわけか僕には受け入れ難かったんだ。ピカピカにクリーンな新しいメタルには、あんまり興味が持てなかったんだよね。僕はもっとこう、ダーティなハード・ロックがほしかったから。ただし、その頃コンサートは何ひとつ観れなかったんだ。というのも、さっき話した最初のコンサートのグラハム・セントラル・ステーションがすごく遅い時間に終わって、家に帰ったら午前2時で、僕はまだ12歳だったから父親に怒られて「もう行っちゃダメだ」って禁止されちゃったんだよ(笑)。だから、ハード・ロックを発見しても何も観に行けなかった。77年のレッド・ツェッペリンも見逃して、友達は行ってたのに僕だけ行けなくて、すごく悲しかったな。でも、高校に進む頃には別のものを求めるようになっていて、今度はパンク・ロックに出会ったんだ。僕の高校のアート・クラスには色んな学校から生徒が集まっていたから、年上の友達もたくさんできて、学年が進むにつれてクラスメイトの年齢も様々になり、パンク・ロックだけじゃなく人との出会いにも恵まれた時期だった。クラスにひとり、バンドでプレイしてる人間がいて、オリジナルのヘヴィ・ロックと、セインツとかセックス・ピストルズ、ダムドのカヴァーとかもしてて、すごく変わったメタルのミクスチャーみたいなのをやってたよ。あくまでローカル・バンドだったけど、そいつを通じてスコット・ワインリック(=ワイノ)と出会ったんだ。スコットは僕のソロ・レコードでも弾いてくれてるけど、当時の彼のバンド(オブセスト)のドラマーも僕と同じアート・クラスにいて、彼らがデッド・ボーイズの前座をやるんっていうんで観に行ったんだよね。それが80年のことで、その頃までに僕が観てたのは、79年にB-52s、ディーヴォ、クラッシュ、そして80年のクランプス。それはもう、本当に信じられないような体験だった。というのも、ハード・ロックが好きだった時代にはアリーナでライヴを観る機会がずっとなかったから。僕は、ライヴハウスでブラック・ミュージックはたくさん経験していたけど、同じような小さいハコでも、そこでB-52sやクランプスやクラッシュを観たのはものすごい体験で、とにかく自分が知っていると思っていたこと全てが変わってしまった。どうしてなのかはまったく理解できなかったけど、ただ、音楽以外のことが意味をなさなくなったことだけはわかった。なんていうか、クランプスを観ることは僕にとってリアルな現実だったんだけど、仕事や学校に行くのはフェイクな現実だと思えたんだよ。なんだろうな……どうしたわけか、そういう見方がそれ以来ずっと変わってないんだよね(笑)。つまり音楽こそがリアル・ライフになってしまったんだ。そして現実の世界は何かがおかしくて、社会がおかしなやり方で組織化されていると感じるようになった。今の僕はもっと大人になって物の見方も変わったけど、それでも社会の方は何も変わってない。社会、政府、権威、その他にも大掛かりな組織……人を学校や仕事に行かせる仕組み、人の生や死まで組織化しようとする、そういう社会の組織は未だに問題があると思うし、間違ったところに焦点が当てられてる。で、そういう見方は全て音楽を通して学んできたと思ってるよ。たとえばジミ・ヘンドリックスとかを聴く体験だって、僕に訴えかけてくるものを持っていた。レッド・ツェッペリンですらそうで、音によるコミュニケーションは僕の現実に対する見方を変えたと思う。そして、パンク・ロックはさらに言葉を強調していて、歌詞を通じてメッセージを伝えていた。それは今でも続いていることだし、高校時代にクランプスを見たことが僕にとってどんなに重要だったかはいくら強調しても足りないくらいさ。本当にもう、彼らの音楽が僕にとって唯一の真の友人みたいな存在だったから……僕はイタリアに住むようになって2年になるんだけど……今年の初め、娘と一緒に朝ごはんを食べながら、ネットでアメリカの新聞のニュースを見ていたんだ。死亡記事を読んでいたら、その日はまずロシア人のダンサーが90代で亡くなったっていう記事があって、そしてその下に、クランプスのシンガーの名前があったんだよ。読み終えることができなかった。つらすぎて読めなかったんだ。うまく説明できないけど……今だって……(涙ぐんでいる)。

………。

Joe:それで妻を探しに走って、バスルームにコンピューターを持って飛び込んだら、妻は「何があったの?!」って驚いてた。僕は「ラックスが死んだって! 最悪だ!」って言って……こんなにひどい記事を見たことなんて、長い間ずっとなかった。9.11のニュースをテレビで観たときと同じくらい、本当にそれくらい僕にとってはショックだったんだ。僕が泣いているのを見た娘が「どうしたの?」って訊くから、それで僕はクランプスの写真をネットで探して、あの髪型をしたラックスの写真を見せて(笑)、この人が若かった頃の自分にとってどんなに重要な人だったかを話してきかせたんだ。人生を導いてくれた人物について娘に話ができたのは僕にとって大事な経験になったよ。ラックスは己の信じることに全てを捧げた人だった。それにしてもまだ若かったよね、62歳で亡くなるなんて、本当にショックだね。ものすごい喪失感だったし、本当につらかったけど、でもその経験は、同時に気づかせてもくれた。ラックスが地上からいなくなることなんて考えたこともなくて、それが現実になるなんて思いもしてなかったから、僕にとってクランプスがどんなに偉大な存在だったか、どれほど自分と深い関係にあったのか、改めて気づいたんだよ。

はい。

Joe:あれは確か、娘が生まれた年だったから、2001年か2000年かな、ワシントンにクランプスを観に行った時、どうしても一言だけ挨拶をしたいと思ったんだ。それまで何度も彼らのライヴを観ていたし、彼らだってフガジのことは知ってるだろうと思ったんで、マネージャーに訊いてもらったら、楽屋に招いてくれた。中に入った僕はものすごく緊張して、「どうも……」って感じで(笑)、そしたらポイズン・アイヴィーはとてもスウィートで感じがいい人で、「ちょっとラックス、フガジのジョーが来たわよ」って。そしたらラックスが「やあ」って話しかけてきてくれたよ。彼もすごくスウィートで、見かけはフランケンシュタインみたいだけど(笑)愛に満たされたナイスガイで、素晴らしい体験だった。彼らと実際に会ったのはそれが最初で最後だったね。ともかく、ラックスが亡くなって、あらためて彼らの重要性に気づいたんだ。中学と高校は僕の人生でも最悪の時期で(苦笑)、とにかくヒドかった。ドラッグにも手を出して、未来なんか無かった。視野もすごく狭かったし、生き方を見つけようとしてもそこに希望は殆どなくて……ごめん、君にまったく質問をさせてあげてないね(笑)。でも、これに関しては本当に言いたいことがたくさんあるんだ。僕がどんなふうに音楽と出会ったのか、僕にとって音楽がどんなに重要だったか、それを訊かれたら、これだけ語ることがあるってことなんだよ。

大丈夫です。続けてください。

Joe:うん。で、高校の後の話だけど、オブセストのワイノ、さっき話したスコットね、あいつが僕にもっと音楽を紹介してくれたんだ。僕はイギー・ポップを80年に観たことがあったけど、ストゥージズはあんまり聴いてこなかった。でもワイノが『ロー・パワー』を聴かなきゃダメだって言って、それで高校を出る頃には、もう『ロー・パワー』しか聴かないって感じになってたよ(笑)。ドラッグをキメながらね(笑)。救いようのない話だけど、真実なんだ。それから83年か84年になる頃、確か19歳の時、僕はベースを買った。その頃は結構いい仕事に就いていて、おかげでベースとアンプを買えたんだ。それから曲を書き始めたんだけど、音楽に対する理解やバックグラウンドはまったくなくて、友達が「よし、俺が歌う」、「じゃあ僕がベースやるよ」って、そんな簡単な感じで始まったんだ。僕のプレイには、ジェームス・ブラウンとかファンクとか、そういうのが中にあったから、R&Bの影響が大きかったんだけど、でも音楽へのアプローチにおける影響は、ジョイ・ディヴィジョンとパブリック・イメージ・リミテッドだったね。僕は、音楽を目で見るんだ。ベースがやっていること、ドラムがやっていること、そしてギターがやっていること、その絡み合い、それを視覚化するんだよ。今でも僕は同じやり方で音楽にアプローチする。僕の理解では今でも、ベースとドラムとギターの関係は、分断されてるけど平行していて、だからヴォーカル・メロディもそこから切り離すことができる。なんていうか、ビートルズみたいにすごく調和のとれたものとは違うんだよ。僕は音楽を不調和として捉えているというか。さておき、僕が楽器をプレイし始めたのは遅かったわけだけど、86年になると偶然イアン(・マッケイ)に出会ったんだ。82年から86年までは、わりのいい仕事に就いてたんだけど、仕事自体は大嫌いで、雇い主がタダでコンピューターの学校に行かせてくれるって言うのに、僕はコンピューターの前に座って勉強するなんてごめんだった、そんなの死んでるのと一緒だと思ってさ(笑)。ドラッグで死ぬのは構わないけど、コンピューターで死んでたまるかって(笑)。で、そんなある時、オブセストのライヴを見に来ていたフレッド・スミスーーフレッドはビーフイーターっていうバンドをやってて、ディスコードの経営にも携わっていた人なんだけど、彼に出会った。彼らは86年に最初の北米ツアーをすることになっていたから、そこで僕をローディーとしてツアーに連れて行ってくれって頼み込んだんだ。そしたらツアーについて行けることになって、仕事を辞めて、家を出て、ヴァンでの生活が始まって……そこから全てが変わってしまった。全てが良くなったんだ。ドラッグもやめて、ベジタリアンになって。というのも、彼らはバンド内で実験していて、2人はベジタリアンで、2人は違って、それで「お前はベジタリアンになるか?」って訊かれたんだけど、僕はもう「何にでもなるよ! 言われる通りにするから僕の人生を救ってくれ! 頼むからツアーに連れてってくれ!」って必死で(笑)。そしたら、それ以来なにもかもうまくいったんだ。ツアーが終わってワシントンに戻って来ると、ビーフイーターのシンガーだったトーマスはディスコード・ハウスでイアンと一緒に住んでいたから、次の日イアンがランチに誘ってくれて、そこでツアーの話をしたりして。で、イアンはそれまで僕がベースを弾くのを見たことは無かったけど、次の週に……あ、イアンは僕がビーフイーターと一緒に歌うのは観てたはずだな。そのツアー中、ライヴの最後にバッド・ブレインズの曲をやる時、僕をステージに上げて一緒に歌わせてくれてたからさ。イアンはそれを観て、僕に電話をくれたんだよ。ちょうど僕は友達の姉の家で留守番をしていたんだけど、ツアーが終わって1週間後くらいに、イアンが「ベースを弾きたいか?」って言ってきて、それから2人で色んなドラマーとプレイするようになり、後にフガジのレパートリーになる曲を作り始めたんだ。そうやって一気に、音楽が僕にとって現実になっていったってこと。じゃ、質問をしてくれていいよ(笑)。


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