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Chiba, 2003.8.3
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation by Keisuke Koshima
translation by Shino Kobayashi

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 02年にデビュー・アルバム『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』をリリースしたインターポールは、翌年からNYを中心に盛り上がり始めたポスト・パンク・リヴァイヴァルにおいて、先駆的に存在感を示したバンドと言っていい。しかし、黒っぽいスーツで決めたルックスといい、イアン・カーティス風のヴォーカルといい、きっと耽美系のスタイルで構えた人達だろうと思いきや、サマーソニック03で披露した初来日ライヴは予想以上にロックしていて、結果それはバンドに対する先入観を良い方に裏切り、いっそうの好印象へと結びついた。これならインタビューで「特にブリティッシュ・ニューウェイヴに影響されてはいない」と断言されても納得できる。今後どんな風に独自性を発揮していってくれるかが楽しみだ。
 なお、この取材は、サマーソニック03の楽屋裏にて行なわれたが、僕(鈴木)がバックステージに入れなかったため、作成した質問表をレコード会社の担当ディレクター氏に渡し、ギタリストのダニエルと話してもらったものだということを付記しておく。ニューウェイヴからの影響とニューヨーク・シーンに関する話以外のことも質問したかったので、またいつかきちんと会いまみえる機会を持ちたい。


「本来のインディペンデントというのはレーベルのことじゃなくて、自分の頭で考えて行動するということだ。僕達は信念には逆らえない。それはもう根本的に不可能なことなんだ」

Daniel:ちゃんと録音されてるよね? きちんと確認した?

はい、大丈夫です。

Daniel:OK、もう同じミスはしないでくれよ。

えっ? 前に何かしましたっけ?

Daniel:ハハハ、ジョークだよ。

(笑)じゃあ最初の質問をさせていただきます。まず、インターポールというバンドを結成した経緯を簡単に教えていただけますか?

Daniel:実は今までの人生を通じて、バンドに入りたいとかバンドを結成したいという欲求は全くといっていいほどなかったんだ。自我の強い子供じゃなかったし、「僕にはこれも出来る、あれも出来る」なんていう自信もなかったし。ロック・バンドで成功してツアーで金を稼いで、それで生活しようなんて、想像するだけバカバカしいって思ってた。でも、そういうことって計画して出来るものじゃなくて、たまたまそういう風に物事が運んでいくっていう感じなんじゃない? 曲を書き始めたのは高校生の頃からで、大学に入った頃からだんだんシリアスにやるようになっていった。その頃には、音楽がなかったら淋しく辛い人生だろうなぁって真剣に感じるようになったんだ。で、大学時代にはバンドというより、大勢の人とコラボレートするような形で音楽を続けていたよ。バンドをやろうって意識はなかったね。似たような感覚を持つ人達や、違うフィールドでも何か響きあって、一緒にプレイすることによって他とは違うことを表現できそうな人達を探していたんだ。そして今の4人のメンバーがまさにそれで、この4人が集まったことによって新しい表現が出来るって確信したのさ。

では、現在のメンバーとはどのように知り合ったのでしょう? もう長い付き合いになるんですか?

Daniel:いやいや、そんなことないよ。昔からの知り合いって感じじゃなくて、バンド活動を通じて知り合った人達……みんなバンドをやろうという事になって初めて、お互いのことをきちんと知った仲だね。それまでにやっていたコラボレーションのプロジェクトを通じて知り合った仲間さ。だから幼馴染みとかってわけでもないし、よく聞かされる運命的な出会いなんていうのもなかったよ。

なるほど。さて、あなた達はイギリスのレーベルからデビューしたわけですが、海外のレーベルから出した理由は、やはりイギリスの音楽シーンの方が、本国であるアメリカよりもあなた達に興味を示していたからなのでしょうか?

Daniel:いや、特にそういうことじゃなくて。僕達は非常にトラディショナルなアプローチで自分達を売り込んでいった――つまり、ありとあらゆるレーベルにデモ・テープを送りまくったんだ。その中でケミカル・アンダーグラウンドは強く興味を持ってくれて、僕達のことを気に入ってくれてね。最初にデモを送ったのは98年で、その後にもう1本送ったんだけど、そしたらそれが、彼らのやってる「要チェック・バンドのCD12枚」シリーズっていうクラブ的なノリのプロジェクトに入れる形でリリース出来ないか打診を受けたんだよ。そういう風に彼らからのアプローチがあったからリリースしただけのことで、イギリスの方がアメリカより重要なマーケットだと思ったとかそういう理由もないね。どこから出そうと関係ないというか……レーベルを探していた時も、アメリカ国内のレーベルを意識してたわけじゃないし、つまり場所のことは関係なかったんだ。

あなた達の音楽がヨーロッパ的なムードを持っていることに関係があったりもしない、と。

Daniel:ないね。僕らは特定の地域性を前面に打ち出してるわけじゃないし、もっとグローバルなバンドだよ。自分達が興味を持った音をやってるわけで。だからレーベルを探している時も、アメリカという国を意識していなかったんだ。それにオーディエンスからの反応もどこが勝るというようなことはなくて、アメリカでもヨーロッパでも同じように評価されてて、とてもバランスがいいと思ってるよ。

あなた達の音楽は、よくイギリスのニューウェイヴ、ジョイ・ディヴィジョンやキュアーといったバンドからの影響を指摘されていますが、実際にはどうなのでしょう?

Daniel:いや、特に影響されてないね。4歳の頃から音楽に夢中になってたけど、ジャンルが特定してたわけじゃなく、ありとあらゆる音楽を聞いてきたんだ。それにバンドのメンバーそれぞれが違うバックグラウンド、違うテイストを持っている。僕の場合、非常に音楽的な家庭で育ったんで、音楽に対する情熱は相当なものだった。僕の家族は、他の家族が宗教を重んじるように、音楽が生活の中心だったんだ。音楽が皆の共通話題だったし、すごくシリアスに捉えていたよ。で、僕らの作品を聴いて「◎◎の影響を受けてますね」って指摘する人がいるけど、実際はそうじゃない事の方が多い。でもまあ、そういうコメントを受けても気にしないよ。君が指摘したバンドはそれぞれ悪くないと思ってるし。でも、影響を受けたかって訊かれたら、それは違うとしか答えようがないね。

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