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Tokyo, 2006. 11. 28
text by Yoshiyuki Suzuki
translation by Katsushige Ichihashi


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自らがナビゲーター役として出演した映画『クロッシング・ザ・ブリッジ』のプロモーションのために、奥方のダニエレ・ピチョットを連れて来日したアレキサンダー・ハッケへのインタビュー。現在、彼の所属するバンド=アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンは、中間にレコード・レーベルを介さず、インターネットを利用して直接アーティストとリスナーを結び付ける「サポーター・システム」をもとに活動している。結成から四半世紀を超えたアヴァンギャルド・ノイズ集団の動向を今後も興味深く見守っていきたい。

「サポーター・システムのおかげでバンドの製作ペースも非常に規律正しいものになったね」

あなたがナビゲーター役として出演している映画『クロッシング・ザ・ブリッジ』を拝見しました。この作品の中では、伝統的なものからモダンなものまで、実に様々な種類の音楽が登場しますが、数多くの現地のアーティスト達を紹介するにあたって、どんなことに気をつけましたか?

Alexander:実際、それこそシリーズ化できるほど大量の映像を撮影したし、さらに撮影することも可能だったけれど、まず第一に「80分」という映画のフォーマットが絶対条件としてあった。その中で、各アーティストをどう紹介していくかについてはかなり考えたよ。普通に考えると、古い伝統的なトルコ音楽をプレゼンテーションするなら時代に沿って過去から現代へ、という手法が妥当だろうね。しかし、僕と監督は、まず最初に映画を見る人のバリア(障壁)を崩してから、この映画のテーマへと入っていきたかったので、まずはパンクやロックを出発点とするような手法をとることにしたんだ。それに、新しいものも伝統的なものも同等に扱って並列する方が、伝統に対しても、より敬意のこもった接し方ではないかと思うしね。単純に時系列で並べてしまうと、まるで「はい、これは昔の音楽。あの頃は良かったけれど、今では時代も変わったし、もう重要じゃないんです。こっちに現在の音楽がありますよ」と言ってしまうようなことになりかねないだろ。

確かにすごくたくさんあって紹介しきれない感じは映画を見ましても伝わってきました。例えば、最初の方でババズーラというバンドとあなたが船上でセッションを繰り広げるシーンがありますが、すぐに次の場面に移ってしまいますよね。もう少しまとめてその演奏を見たい、聴きたいという風にも思ったのですが、あの時の音源や映像を今後また別の形で公開するような予定はないですか?

Alexander:日本版ではどうなるか僕はまだ知らないけれど、ヨーロッパ版のDVDには"UNDER THE BRIDGE"と題された、かなり長時間のエクストラ・パートが収録されているよ。そこでは、映画に登場したアーティスト達をもう少しじっくりと見てもらえるよ。あと、ドイツのEDELという出版社が、映画と同じタイトルの写真集を出していて、そこには映画に収まりきらなかった音源をもとにして、僕も編集に携わったCDが4枚付いているんだ。それにもちろん、各アーティストは自分達自身の作品も発表しているので、アマゾンなどのオンラインサイトでも購入することができる。僕達はあくまで、この映画によってみんなの興味を呼び起こしたかったのであって、この映画だけでトルコ音楽に対する欲求を満たしてしまうわけにはいかなかったということなんだ(笑)。

なるほど。この映画のポイントとして「西と東の文化が混ざり合う」ということがありますが、思い起こしてみるとあなたの祖国もかつて西と東に分かれていて、その壁が崩壊して異文化が混ざり合う、というのを間近で経験したと思います。やはり「分断されていたものが混ざり合って何か新しいエネルギーを生み出す」という感覚に何か特別な刺激を感じるのでしょうか。

Alexander:そうだね。それは僕自身の活動を通じて、常に追い求めているコンセプトなんだ。できるだけ違ったジャンルや、違った起源のものを組み合わせて、そしてお互いを衝突させる(※ドイツ語では「互いを殴り合わさせる」、つまり2つのものを衝突させる、近づける主体者が力を加えるのではなく、二つのものが自然と互いに影響しあう〜ぶつかったりして相手に対して力を加えるという絶妙な表現)その間に生じる摩擦の中にこそ新しいものが生まれる。決して共生や混成ではなく、差異こそが新しいものを生み出すんだよ。そして今思ったんだけど、差異とか「違い」とかの多くは、政府や権威が僕達に強制して出来たものなんだよね。僕達の間には、さも様々な違いがあるように教え込んで、自ら望む以上に僕達を孤立させようとしている。だから人間同士の間には、本当は違いよりも共通点の方が多いってことを思い出すことがとても重要なんじゃないかな。敵対構造というのは常に、僕達自身ではなく、政府が人々を互いに争わせようと利用しているものなんだ。僕にとって、この映画の最も大事なメッセージは、ここで紹介しているトルコの音楽文化が、ある特定の国のものではなく「世界文化」であるということをわかってほしいってこと。僕達は「世界市民」であって、必然的にトルコの文化は「僕達の文化」でもある。だから君の文化でもあり、僕の文化でもあるし、そうであるからこそ文化は文化たりえるんだ。

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