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Tokyo, 2005. 7. 27
text by Yoshiyuki Suzuki
translation by Satomi Kataoka

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 まさか再結成ギャング・オブ・フォーがここまで物凄いものになるとは、コーチェラで実際に目にするまで信じられなかった。で、フジロック05で来日した時に他の媒体がとったアンディ・ギルのインタビューなどを読むと、案の定あんまり面白いことは言ってない。自分はたまたま他のメンバーより早く来日していた(※鎌倉に行ったそうです)ジョン・キングに話を聞く機会を得たわけだが、溢れかえるフォロワーのおかげでギター・カッティングにばかり再評価のポイントが集中している現状は実は少し本質とズレていて、この殺人者の目つきでステージを飛び回り、電子レンジを金属バットで粉砕するブチ切れたリード・シンガーこそが、ギャング・オブ・フォーの今回のリユニオンをここまでのレベルに持ってきたキーパーソンなのではないかと思えてきた。オフでのジョンは、とても感じのいい英国紳士だったが、そこかしこに飛び出す不遜な発言は十分に刺激的だ。
 ちなみに、セルフ・カバー盤で“アイ・ファウンド・ザット・エッセンス・レア”をとりあげなかった理由は、「それなりに人気のあるナンバーだってことは知ってるけど、ポップな構造の曲で、俺達自身にとってはそんなに面白いもんじゃないから」だそうです。


「ギャング・オブ・フォーの音楽が今まで生き残ってきた理由は、ポップ・ミュージックじゃなかったからさ。ラディカル・ミュージックだったからこそ、生き残ったんだ」

91年と95年にも、あなたとアンディ・ギルとでギャング・オブ・フォーとしてアルバムを作っていますが、今回のリユニオンはその時と違って、オリジナル・メンバー4人が全員揃っているけれども逆に新曲は作らず、まずライヴをやって自分たちのオリジナル曲を再レコーディングしたアルバムを出す、という形になっていますね。今回の再結成はどういう経緯で決まったのかについて教えてください。

Jon:以前のプロジェクトは、本当の意味での“再結成”じゃないんだよ。アンディと俺は、84年以降もずっと一緒に曲を書いたりしていたし――つまり、どういうことかというと、確かに91年と95年には新作を出してコンサートもやったけれど、それは“再結成”ってわけじゃなくて当時2人でやってたことの延長でしかなかったんだ。たとえば85年には俺とアンディで『ベスト・キッド』のサントラを手がけたし、他にも2人でいろんな映画の音楽を作ってる。去年公開されたジョナサン・デミ監督の『クライシス・オブ・アメリカ』もそうだよ。つまりアンディと俺の2人は当時もずっと、いろんな活動をやってたんだ。だから91年と95年にレコードを出したのは、俺もアンディも再結成というふうには捉えていなかったね。で、今回のプロジェクトこそがまさに本当の意味での“再結成”になるんだ。前の2回とは違うんだよ。

では今回、最初に声を上げたメンバーというのは、誰だったんですか?

Jon:えーと……俺じゃないのは確かさ!

(笑)。

Jon:俺はもう10年も音楽をやってなかったからね。95年を境に、音楽をやりたくなくなったんだ。たぶん今回のプロジェクトを後押ししたのは、アンディ・ギルのマネジャーであり、スノウ・パトロールやフューチャーヘッズのマネージャーもやってる、ジャズ・サマーズだと思うよ。ジャズがアンディに「そろそろ一緒に何かやったらどうだ」と言ったんだ。俺はアンディとはもう10年も会ってなかったし、ヒューゴとも12年、デイヴ・アレンに至っては20年も会ってなかったんだがね。住んでる場所も、アンディはロンドン、デイヴはアメリカの西海岸、ヒューゴはアメリカの東海岸で、お互い本当に離れたところに暮らしてたわけ。だから、4人がまた集まるにはある種の外交手腕が必要だったんだよ――ジャズが「やらないか?」とひとりひとりに聞いて回る必要があったんだ。それまでの俺は、どんな依頼にもいつも「ノー」と答えてた。インタヴューもテレビ出演もラジオ取材も、一切受けなかったんだ。なのに、このプロジェクトには「イエス」と答えてしまった。自分でも理由が何故なのかよく分かんないんだよね、アハハハ(笑)。

とにかく、こうして再結成が実現し、何ヵ所かで既にライヴも行なったし、スタジオに入って昔の曲を録り直したアルバムも作られたわけですけど、実際に再結成をしてみてどうですか?

Jon:すごく楽しいよ。スタジオに入った時は――アンディが所有してるスタジオなんだけど、最初はツアーに向けてそれぞれのパートを思い出すために入っただけで、録音し始めた時もアルバムを作るつもりは全然なくて、何年も前の自分たちのコンディションを取り戻すためのものだったんだ。でもまたこうしてプレイできて、すごくエキサイティングだよ。

先にコーチェラ・フェスティヴァルであなたたちのライヴを観たんですが、大勢の観客の前でステージに立ってみて、どんな気持ちでしたか?

Jon:コーチェラは、俺にとって凄く面白いフェスティヴァルだったよ。というのも、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーが、ギャング・オブ・フォーの大ファンで、しかもニュー・オーダーは昔、俺たちのサポート・バンドだったこともあるんだよね。ステージの脇にはレッド・ホット・チリ・ペッパーズの連中が観に来てくれてたんだけど、あいつらも大のギャング・オブ・フォー・ファンだし、事実アンディはチリ・ペッパーズのファースト・アルバムをプロデュースしてるだろ。つまりあのフェスでの俺たちは、ミュージシャンの仲間たちに囲まれてたわけだよ。フェス自体も最高だった。あのくらいの規模のフェスには前にも出たことがあったから、大きさに戸惑うってことは全くなかったね。一番重要なのは、ちゃんとオーディエンスに届くように音楽を発信することだったし。

ええ。

Jon:それに、例えば26年前にトーキング・ヘッズ、ポリス、ラモーンズ、B-52'sなんかと一緒に出たUSフェスティヴァルなんて、観客数が25万人でコーチェラよりずっと規模が大きかったよ。でもコーチェラがとても重要なフェスだったことは確かだね。あと、ちゃんとした音を鳴らしたいっていう思いがどんどん強まると、オーディエンスの人数のことなんて知らない間に忘れちゃうもんなんだ。

コーチェラのステージでも、あなたは電子レンジを金属の棒で叩き壊すパフォーマンスをしていましたが、あの音ってどうやってあれだけ響かせているのか、仕組みを教えてもらえますか?

Jon:単純に、マイクで拾ってるだけさ。

レンジの中に仕込んであるんですか?

Jon:いやいや、マイク・スタンドのマイクだよ。別に巧妙な仕掛けがあるわけでも何でもない。ただ、そうやって電子レンジを使いたいと思っても、たまにコンサートのプロモーターがレンジを用意できないことがあってね。しばらく前にベルギーでショウをやった時は、プロモーターが電子レンジを見つけられなくて、俺も頭にきて、本番まであと30分しかないから「何でもいいんで探して来てくれ!」って。そしたら代わりにフルサイズの大型冷蔵庫が運ばれてきたんだ。仕方なくそれを叩いたよ。

(笑)。ちなみに、新潟で使うレンジはもう用意してありますか?

Jon:ああ、契約の添え書きにちゃんと「バックステージにはワイン4本とオレンジ・ジュースとコカ・コーラ、そして電子レンジを用意すること」って書いてあるよ。それに、フェスのバックステージには大抵レンジが置いてあるし、みんな自分の出番が終わると捨てていっちゃうんだよね。だからアメリカなんかでは、会場に着くとまずクルーにリサイクルごみ置き場に行かせて、捨てられた電子レンジを持ってこさせるようにしてるんだ、アハハハハ(笑)。

そもそも、この電子レンジ破壊パフォーマンスを始めたきっかけは、どんなことだったんでしょう?

Jon:レコードで最も大事なことは、とにかくサウンドに尽きる。でも、ライヴをやる時には、それだけじゃなくて視覚的/演劇的な要素っていうのが必要になってくるんだよ。もともとは金属の椅子を叩いてたんだけど、あのメタリックなサウンドが好きで、あと見た目的にもカッコいいと思うんだよね。で、特に電子レンジを叩くとなると、すごく芝居がかってて面白いのと同時に、レンジ=消費者製品の典型っていうところで僕らの歌詞に共通するものも感じられるしさ。あと、叩いた際の壊れ方もナイスなんだ。粉々に飛び散るから観客も大喜びする。それにこういうのって、ポピュラー音楽の伝統のひとつでもあるだろ。50年代のロックンロール・ミュージシャンはよくピアノを壊してたし、そういう意味でもいろんなものと共通点を持った行為なんだよ。

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