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Tokyo, 2000.7
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation by Kyoko Matsuda
translation by Shino Kobayashi

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ブリット・ポップ・ムーヴメントの波にのって颯爽とデビューしたのも束の間、それ以降の活動がどうにもうまくいかなくなってしまったエラスティカが、様々な紆余曲折を経た後、5年ぶりとなるセカンド・アルバムをどうにか完成させ、復活を果たしたのが2000年のこと。同年のフジロック・フェスティバルで最終日のグリーン・ステージに登場した時には、「大きなステージには慣れていない」という部分を差し引いても、ちょっと完全復活とは言い難い内容のライヴだったが、とにもかくにも再始動した彼女達のこれからの健闘を祈りたい……とか思っていたら、結局あえなく解散してしまいました……。残念無念。

「ドナが脱退した後、1人で地下にこもって曲作りを続けたの。そこで初めて音楽とい うものと1対1で会話できたし、なんで私が音楽を通して人々とコミュニケーション したいのかも思い出せたわ」

昨日、FUJIROCKでライヴを披露したわけですが、ああいう形でまた久々に日本公演をやってみてどんな感想を持ちましたか?

Justine:日本でプレイ出来たのは最高ね。でも野外でプレイする事はエラスティカにとっては不思議なことだったわ。私達の場合、夜中に屋内でパンキッシュな環境でプレイする方が合ってると思うの。だからああいう昼間にメインステージでプレイするのはすごく不思議な感じがした。でも皆が私達のことを憶えていてくれてすごく嬉しかった。戻ってこれて嬉しいわ。

ポール、あなたは初めての来日でしたが、どうでしたか?

Paul:うーん、シュールな感じだったね。まるでヨーロッパみたいな錯覚を起こしたよ。苗場の方はヨーロッパとかイギリス郊外に似ていたなぁ。

Justine:田舎の方のね。

Paul:うん、田舎。それから時差ボケもなかったんだ。苗場はスキー場だっていう話だけど、風景も良くてアルプスを思い出したな。うん、すごく良かったね。そして今日が東京初日なんだけど、こうやってインタビューをしてる(笑)。

さて、しばらく間を置いての2枚目のアルバム・リリースとなったわけですけど、その間いろいろとあったみたいですね。まず、彼がどのようにしてバンドに入ったのか、その経緯を簡単に説明してください。

Justine:基本的に98年の時点でバンドは解散の危機に直面していたの。まず最初は私とアニーがぶつかって……。

Paul:僕と会ったのも同じ日のライヴだったんじゃなかったっけ?。

Justine:あれ、同じライヴだった?

Paul:そうだよ、覚えてないの(笑)?

Justine:うっそ、そうだったんだ(笑)。

Paul:話もしたじゃん。

Justine:うん、でもあなた、今はバンドに入りたくないって言ってたわよ。

Paul:うん、まあね。ところでこれは会話形式なのかな、それともインタビューなのかな?

Justine:インタビューよ。

Paul:あ、そうなんだ。

Justine:うん、とにかく。あの晩に初めてポールがプレイする姿を見たの。私達の前にプレイしてたのよ。それを見て、彼はまるでグレアム・コクソンのように素晴らしいプレイヤーだと思ったの。でもポールの方がもっとエッジが立っていた。それからアニーと話したんだけど、『もう一度リハーサルをやってみましょう。今度は楽しんでやれるようにしよう』って事になったのよね。その後にポールに電話して、一緒にリハーサルをし始めたのよね。

Paul:うん、数カ月くらい続いたかな?

最初に会ったのはライヴ会場だったんですか?

Justine:ブラーのライヴよ。

じゃあ皆が見に来てたんだ。

Paul:うん、偶然だったんだけどね。ブライトンでのライヴだよ。

それが98年だったと。その時、一旦バンドが終わりになっちゃったと思ったのは、なんでそういう風に思えたんですか?

Justine:最初のアルバムが自分達が思ってた以上に商業的に成功したの。その時は7インチ・シングル2枚の契約しか取ってなかったのにね。それから1年間アメリカをツアーして廻り、その間にイギリスでチャートの1位を取って……そういう事が次から次へと起きていったの。その頃私達はバンドとして結成して間もなかったし、お互いをよく知ってるわけでもなかったから、共に成長していったわけじゃなかったの。ツアーや成功から来るプレッシャーによって、それぞれが孤独を感じるようになって、お互いの関係に亀裂が入ってしまったような気がするわ。ファーストとセカンドの間に5年間の期間があったけど、最初の2年はずーっとツアー生活が続いていて、まず最初にアニーが脱退したの。もうこれ以上やっていけないって言ってたわ。彼女が常に口にしてたのが、『私は無名のパンク・バンドでプレイしてたいの。商業的に成功してるバンドは私向きじゃないわ』っていうことだった。私もみんなに対してツアーを強制しすぎたような気がするし。私の中に他のビッグ・ネームのバンド達に対する競争心が芽生えてきてしまったのね。そういう競争心が私の中のクリエイティヴな部分を壊してしまったような気もしたし。それで、最終的には音楽業界のそういう競争からリタイアするべきだって思ったの。本来だったらアニーが脱退した時点で、シチュエーションを改善するためにしばらく休養すべきだったのよね。それまでを振り返って見る必要があったんだろうけど、実際はやらなかったの。その代わりに新しいベーシストを入れて、すごく高価なスタジオを借りて、大物プロデューサーを迎えてレコーディングをしようとしたのよ。でも納得できるものが出来なかった。そうしてる内にドナと私の関係がおかしくなっていって……それから2人の関係はどんどん悪化していって。97年の半ばにはもう一緒にはやっていけないという結論に達してたのよ。それからは1人で地下にこもって自分のための曲作りを続けていったんだけど、それは本当に楽しい経験だった。初めて音楽というものと1対1で会話できたような気がしたし、なんで私が音楽を通して人々とコミュニケーションしたいのかっていう事を思い出させてくれたの。フフフ、5年分だから長い説明になっちゃったわね(笑)。

そこでポールがやってきたわけですけど、ポールはエラスティカというバンドを復活させる事に関して、どういう可能性を見ていたんでしょう?

Paul:さぁ、エラスティカを復活させようとか、そういう大志を抱いていたわけじゃないからなぁ。その頃はすでにデイヴもバンドに参加していたしね……。

Justine:私としてもポールにエラスティカを復活させてもらおうとか、そういうプレッシャーを与えていたわけじゃないわ。これは誰にとっても大きすぎるプレッシャーだから。ただ『一緒にノイズを作っていこうよ』って感じに軽く声をかけただけよ。

なるほど。では、今名前が出たデイヴも含めて、他の2人のメンバーはどのようにして参加するようになったんですか?

Justine:デイヴは以前から関係があった人なの。アニーが脱退した後から入ったのよ。96年にドナと私が一緒に曲を作っている時、キーボードを多用した曲を作りたいって思ったことがあったの。ちょっとダークな感触がある曲を作りたくなって、それにはプログラミングも必要になってきたから彼に参加してもらったのよ。ミューは最後の最後になってから入ってきたわね。99年のレディング・フェスティヴァルに出演することを決めた時だったから……。それを目標とした時に、新しいヴォーカリストが必要だと思っていたの。ミューがヒーヴっていう他のバンドでプレイしていたのを見て、ステージ上の彼女が持つ素晴らしいエネルギーのことは知っていたのね。彼女とは前から友達だったし、とても良い印象を持っていたわ。彼女が音楽を愛してることも知ってたし、エラスティカの存在が彼女に新しい音楽を発見させる土壌になるんじゃないかなっていうふうにも思ったのよ。

レディングで初めて6人が揃ったんですか?

Justine:それ以前に3回くらいウォームアップとしてライヴをやったわ。とても小さなライヴをね。レディングは私達にとってすごく重要なライヴに思えたし、それと同時にすごくナーヴァスになっていたわ。始まる前とか、心臓発作で死んでしまうんじゃないかと思ったくらい。みんなも同じように青ざめていたし……。

Paul:うん、すっごい恐怖を感じた。

Justine:でもそうやってステージに戻るのは正しい選択だと思ったわ。だってそれまで2〜3年の間、ステージに立つことがなかったんだから。どういうリアクションが返ってくるかもよく分からない状況だったの。でも現実にその瞬間が来た時は、自分でも驚いたんだけどオーディエンスの反応も素晴らしくて、私自身バンドのことをとても誇りに思えたし、ステージ上では思った以上にリラックスして素のままの私としてプレイできたの。本来の私の姿を見せることが出来たわ。なんなのかしらね……私も少しは大人になったということなのかしら。

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