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Tokyo, 2003.9.25
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation by Stanley George Bodman
translation by Shizu Kawata


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大充実作『トランスアトランティシズム』のリリースに合わせ、03年9月に待望の初来日を果たしたデス・キャブ・フォー・キューティ。一夜限りの公演だったということもあり、チケットは即日で完全ソールド・アウト。ぎゅうぎゅうづめの原宿アストロホールは、彼らの生演奏を待ち望んでいたファンの熱気で満ちあふれ、それに応えるかのようにバンドも気合いの入ったプレイを見せてくれた。シアトルの小さなインディー・レーベル=バースクに所属する彼らが、現在のアメリカン・インディー・ロック界において特筆すべき存在であることを示すには、申し分のないステージだったと言えるだろう。ライヴ翌日にメンバー全員にインタビューを行なった。

「俺たちは今バンドとして素晴らしい位置に立っていると思う。探求したいアイディアがまだまだたくさんあるし、これからも可能な限り最高のレコードを作り出していきたい」

初めてインタビューさせていただくので、まずそれぞれ育った音楽環境とミュージシャンになろうと思ったきっかけなどを一人ずつ聞かせてもらえますか?

Ben:子供の頃にピアノから入って、その後ギターを始めたんだ。ミュージシャンになったきっかけは……とにかく音楽を演りたいって思い続けてたから。こうして活動することができるようになってほんとに幸運だと思ってるよ。

Jason:ドラムを始めてもうかれこれ17年間になるね。最初はチューバを吹いてたんだけど唇が腫れるのが嫌になって辞めたんだ。それからドラム演ってたヤツと友達になって、一緒にドラムを叩くようになった。以来ずっとドラマーだよ。

Chris:僕は5歳くらいの頃、毎日毎日両親のステレオにヘッドフォンを繋いで音楽を聴いてたんだよね。それから10歳でピアノ、14歳頃にギターを始めたんだ。

Nick:ベースを弾くようになって約7年になるけど、音楽を始めたのはそれよりもっと前。ティアーズ・フォー・フィアーズの“シャウト”を初めて聴いた時からずっとミュージシャンになろうと思ってたんだよ。あの曲の中盤にソロが入ってるんだけど、どうしてもそのパートを弾けるようになりたいと思った。自分もああいう音を出してみたいって。実際はキーボードなんだけど、その時はフルートだと思ってたから、次の日速攻で音楽の先生にフルートを習いたいって話してさ(笑)。そしたら「フルートを吹くのは女の子だけ。でもクラリネット担当がいないからクラリネットなら」って言われたんだ。クラリネットも女の子の楽器だったって知ったのはその後で。まあ、先生にも何か考えがあってのことだったんだろうな。それでクラリネットを吹いてたんだけど、もうちょっと野郎らしい楽器も演りたくなって(笑)ギターを始めて、でもこれが全く聴けたもんじゃなかった。で、自分はギターに向いてないと気付いてベースに転向したんだ。

ちなみにニックは5歳まで日本で育ったそうですが?

Nick:そう、4年間住んでたんだ。ベンもね。

Ben:それぞれ別々に。

Nick:俺は1年間相模原に住んで、それから幼稚園〜小学1年生まで日本で育ったんだ。

当時、日本の音楽で興味を持ったりしたものはありますか?

Ben:うちの父親がよく7インチ・レコード、日本の45回転盤を買ってて、「トーキーオ」ってサビの曲は覚えてるよ(※沢田研二の“TOKIO”らしい)。それからヒゲがトレードマークのバンドも覚えてる。すごく濃い付けヒゲだったな。で、7インチ盤にはおまけとしてヒゲがついてて、買った人も遊べるようになってたんだ。衣装は白いタキシードと黒の蝶ネクタイだったよ(※加藤茶と志村けんの“ヒゲのテーマ”らしい)。

Nick:俺はまだ子供の頃で、夏になるとよくボンオドリに行ってた。ドラムっぽい音楽がかかってて。

Ben:「タイコ」だな。

Nick:そう、タイコ。子供の頃の思い出として強く印象に残ってる日本文化は、カブキなのかノウなのか分からないけど……ミエを切るのってどっちだっけ? 劇中のクライマックスで役者がものすごい顔をして大声で叫ぶやつ。思い出せないけどとにかく子供の頃にそれを観に行って、あんなに怖い経験をしたのは生まれて初めてだった(笑)。そういう記憶は多々あるんだけど、日本のバンドは覚えてないんだ。すごく有名な歌なら覚えてるよ。「サークーラーサークーラー♪」って。詳しくはないけどね。

なるほど。さて、ジェイソンは今から1年くらい前にバンドに加入したわけですが、その経緯を教えてもらえますか? あと、実際にメンバーとなってアルバム制作やツアーを経験した感想も聞かせてください。

Jason:もっと前からこうなるべきだった(笑)。こいつらとは知り合って6年以上になるんだ。俺とニックは以前にも同じバンドにいたことがあるし、ベンは俺が入る前にそのバンドでドラムを叩いてたり、何年もの間そうした行き違いをしてた。バンドには周期みたいなものがあって……転換期ってのかな、何か新しいことをしようとかって考える時期があるんだ。そしてこのバンドがメンバーチェンジをしようとしていた頃、ちょうど俺も何か別のことをしようと模索していた時期だった。いつも冗談で話すんだけど、俺たちはずっとお互いに夢中だったんだよ。で、漸く一緒にレコーディングしてみよう、様子を見てみよう、って話になったんだ。そして今の俺たちが作りうる最高のアルバムを完成させた。それが1年前の話。メンバー全員とは長い付き合いだし、バンドに入る前からずっと仲の良い友達だったから、いたってスムースに溶け込めたよ。心の底から楽しいね。今後どうなっていくか本当に楽しみなんだ。

ありがとう。それでは、昨夜に行なわれた初来日公演についての感想を聞かせてくれますか?

Ben:最高だったよ。ものすごく楽しかったな。

Jason:歓迎してくれてるのが伝わってきた。ほんとに素晴らしかったよ。

Nick:会場もかなり気に入ったね。いちばん驚いたのは、日本は煙草を吸う人が多いのにフロアが禁煙だったことで、なかなか変わってんなあと思ったよ。煙草を吸わない俺たちにとってはありがたかったけどね。狭い会場だと煙がこもり過ぎることもあるから、あれは嬉しかった。オーディエンスは……とにかくライヴ全体に関して言えるのは、クリエイティヴマンも会場のスタッフも、大勢の人達がライヴを成功させようと頑張ってくれたし、俺たちが到着した時には、すでに楽器がセットアップされてたり、現場の雰囲気もとてもリラックスしていて、だから俺たちも気持ちを楽にできたんだよね。おかげで良いライヴが出来たんじゃないかな。みんなに言ってるんだけど、俺は日本でライヴをするのが夢で、それが遂に叶っちゃったんだよ。このメンバー以上に一緒に演りたい奴らなんていないし、そんなバンドで日本での初ライヴを達成できたんだから、もうこれほどのことはないね。感謝の気持ちでいっぱいだ。

Chris:信じられないくらい楽しんでるよ。また来日してツアーするのが待ち切れないんだ。

本番では機材の調整に少々手こずっていたような場面も見えましたが?

Chris:いつもあんな感じなんだよね。リバーヴのスイッチを入れたりとか、いろいろ様子をみる感じで。リード・ギターを担当してる曲もあれば、カポをつけなくちゃならない曲もあるから。

Ben:あれよりヒドい時もあったしな。自分の機材に慣れていたとしても、たまに別の機材を使ったり環境が変わったりすることもあるから。特に海外でライヴ前日に現地到着ともなると、機材から体内時計まで全部変わるからね。少し調整する必要が出てくるわけだけど、でも全体的には今回の旅は最高のものになってるよ。

クリスがアンコール前に思わずギターを壊しそうになってたのは、やっぱりエキサイトしてたからでしょうか?

Chris:(笑)。さあ、どうだろう。壊しちゃえばよかったかな。そういうことってたまにあるんだよ。

(笑)あと、ジェイソンがドラムを素手で叩いたのにも盛り上がったんですが、あれはどのようにして身につけた技なんでしょう? シンバルまで手で叩くと痛かったりはしませんか?

Jason:いや。ジョン・ボーナムが、スティックより手で叩くほうが大きな音を出せるってことで、手で叩いてた時期があったよね。それだけにインスパイアされたわけじゃないけど、スティックやブラシでは出せない音が欲しくなることがたまにあるんだよ。手で叩くほうがよりパーカッションっぽい音を出せるし、見た目にもダイナミックだから観てる人も楽しめる。実はあれを試したのは2度目で、最初にやったのはオーストラリアでのライヴ最終日だったんだ。ベンにまたやってみようって言われてね。音響的にも効果が出るから今後も手で叩くことはあると思うよ。

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