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Tokyo, 2002.8
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation by Stanley George Bodman
translation by Shino Kobayashi

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ボストン近郊の小さな町で、ハードコア/デスメタル・バンドとして結成されたこのバンドが、やがてこれほどの存在感を持った堂々たるロック・バンドになると当時どれほどの人が予想しただろう? 2002年度のサマーソニックに参加するために初来日を果たし(※東京では1日だけ単独公演も行なわれた)、期待以上に素晴らしいライヴを見せてくれたケイヴ・イン。間違いなく、現在進行形の「ロック」を担うに相応しいバンドのひとつだと言っていい。この時には、彼らの音楽の強固な土台となっているリズム隊の2人、ベースのカレブとドラムスのJRにインタビューした。

「僕らは限界点を持ちたくないんだ。どこまでも行けるところまで突き進んでやろうっていう気持ちで、その先に何があるのか自分の目で確かめていきたい」

まず最初に、サマーソニックのステージで、アダムが「買い物中に車にはねられた」って言ってましたが、大丈夫だったのでしょうか?

Caleb:ハハハ。大丈夫だよ。日本の右側通行に慣れていなかったから、アダムとマネージャーは右側を……いや反対か、左側だけを確認して道路を渡ったら、車にはねられちゃったんだ。2人とも大事には至らなかったけどね。

とりあえず昨夜のライヴ(原宿アストロホール)を見た限りでは元気そうだったので良かったと思いました。ちなみにカレブの立ち位置が、サマーソニックで見た時と昨日の晩とではアダムと入れ代わってましたけど、それには何か理由があるのですか?

Caleb:昨日はステージに上がったら、すでにああいう風に機材がセットアップされていたんだ。アダムも、『まあ、どっちでもいいさ。気にしてない』って言ってた。スティーヴが中心である限り、あとのセットはどうにでもなるんだ。僕もアダムもどっち側でプレイしても構わないって思ってるし。

いつもはどちら側にいるのですか?

Caleb:さぁ……最近になってスティーヴを真ん中に据えてプレイするようになったんだけど、アダムと僕との位置はまだ定着してないんだよね。僕自身はステージの左側にいる方が落ち着くな。

JR:うん、僕もそう思う。

Caleb:なぜか左にいる方が落ち着くんだよね。

なるほど。ところでサマーソニックでは、スティーヴがライバル・スクールズのTシャツを着てましたよね。今回のイベントでは出演日が別だから(※ケイヴ・インは東京1日目、ライバル・スクールズは2日目にそれぞれ出演)会えなかったかと思うんですけど、彼らとは交友関係があるのでしょうか?

Caleb:スティーヴとウォルターが友達らしいよ。以前、彼がニューヨークでの僕らのステージを見にきてくれて、その時にスティーヴと話したみたい。でも、それ以上に僕らはみんなクイックサンドの大ファンなんだ(笑)。だから彼らとはそれほど深い関係があるわけではないかな。

今回参加したサマーソニックというイベントで、誰か他の出演者のライヴは見れましたか?

JR:麻波25のステージを半分くらい見たけど、なかなか良かったよ。オーディエンスを引っ張っていく力もあるし、みんなすごくエキサイトしていた。プレイも良かった。なかなかいいバンドだと思ったね。僕個人としては、ああいうジャンルの音楽にはあまり興味はないんだけど、彼らはいいステージを見せていたと思う。それからカレブ達はフレイミング・リップスも見たし、あとガンズ&ローゼズも見た。あれは……まぁまぁだったかな(笑)。

Caleb:(笑)あと大阪ではアンドリュー・W.K.がやってる時、僕らもステージに上がったんだ。彼らはすごいエンターテイナーだよね。

知り合いなんですか?

Caleb:アンドリュー・W.K.のバック・バンドをやってるジミーとは特に。

JR:うん、彼はすごくクールなヤツさ。でも他に知り合いはいなかったかな。

Caleb:1年ほど前にイカルス・ラインとツアーをしてて、彼らの事は知ってるけど……でも他には特に知り合いっていう感じのバンドはいないなぁ。

わかりました。では、ここで話は変わりまして、あなた達のそれぞれの音楽的なバックグラウンドについて訊かせてもらいたいんだけど、小さい頃はどんな環境に育ったのかをそれぞれ訊かせて下さい。

JR:僕が最初にシリアスに音楽に熱中するようになったきっかけはモトリー・クルーだった。トミー・リーを見て自分でもドラムをやりたいと思うようになったんだ。次にガンズ&ローゼズにもハマッたね。その後は、時代を遡ったりもして、ラッシュとかレッド・ツェッペリンとか聴きつつ、メタリカを聴いたりしてた。そして、ニルヴァーナやサウンドガーデンといったバンドに出会って、それからはハードコアなバンドにのめり込んでいくようになったんだ。時代とともに聴く音楽も変わっていったけど、最高だと思うバンドは時代を超えて、何度でも繰り返し聴きまくっている。でも、影響を受けたバンドは膨大すぎて、具体的に名前を挙げるていくのは難しいな。

とりあえず、ティーンエイジャーの頃、最初に夢中になったのはモトリー・クルーだったと。

JR:うん、中学1年から2年くらいにかけて。

じゃあやっぱり、いつかトミー・リーのようにドラムセットごと回転したいとか思ったりしてる?

JR:ハハハハ! そういう趣味は持ってないなぁ!

Caleb:(笑)。

JR:かっこいいかもしれないけど、あんな事やってたら、ライヴ終了後には病気になっちゃいそうだよ(笑)。

(笑)じゃあ、カレブは?

Caleb:僕の場合、幼い頃から音楽を聴いてはきたけれど、本当の意味で音楽ファンになったのはグランジが出てきてからだと思う。グランジが始まった頃、ニルヴァーナに夢中になったんだ。最初のヴィデオを見た時の事を今でも鮮明に思い出せるよ。「うわぁ、すっげえクール!」って感動したな。それからサウンドガーデン、アリス・イン・チェインズ、ヘルメットといったグランジ・シーンのバンドにハマっていった。それ以降はもっとヘヴィな音を追い掛けるようになって、ハードコア・シーンに興味を持つようになったんだ。高校時代はハードコアに夢中だったなぁ。でも、ケイヴ・インに入ったことでもっと様々な音楽を知るようになったね。以前には聴かなかったような音楽も聴くようになった。以前はハードコアが音楽の最終兵器だと思ってたけど、今はもっと古い音楽も聴くようになって、そういう中にも素晴らしいものが沢山あるって事を学んでるよ。

それぞれ、当時プレイヤーとしてもっとも影響を受けたミュージシャンは誰ですか?

JR:今になって思い返すと、やっぱりジョン・ボーナムからは一番大きな影響を受けたのかなぁって気がする。彼は確実に神がかり的な存在だったと思うよ。

Caleb:僕の場合は……う〜ん、よく分からないな。ベースを弾くきっかけになった人物やバンドっていうのは特になくて、気がついてたらベースをやってたって感じ。あえて影響といえば、憧れてた従兄弟がベーシストだったっていう事かな。それから親友と自分達のバンドを結成した時、友達がギターを担当して、僕はドラムをやろうとしたんだけど、ドラムって高価だろ? ドラム・セットに大金を注ぎ込む気はなかったから、ベースにしようって思ったって感じでさ。

では次に、ケイヴ・インが出てきた地元のシーンについての話を訊いていきたいんですけど、ボストン近郊にあるあなた達の地元にはどんなシーンがあったのでしょう?

Caleb:ん〜、今のボストンには特にこれといった音楽シーンはないね。いいバンドはいるけど、何かのシーンに属してるっていう感覚はないんだ。以前にはハードコア・シーンがすごく勢いを持っていた時代もあったけど、今となっては数組のバンドしか残ってない。アイシズみたいなバンドはすでに非常にオリジナルな音楽をやってるしね。

JR:今のボストンには、シーンっていうものはないって感じてる。バンドの数も少ないしね。今ボストンで大きな波になってるのはクラブ系なんだ。クラビング人口は多いんだよ。でもバンドのシーンはないね。

なるほど。今、名前が出たアイシズをはじめ、前作『ジュピター』の内ジャケットにはディリンジャー・エスケイプ・プランとか、色々なバンドの名前が書いてありましたが、ボストンという地域よりもむしろ、こういうハードコア・シーンこそ自分達の出身地であるという意識があったりしますか?

JR:その通りだよ。ボストンという小さな地域に特定せず、アメリカ全体のあるシーンに属してるって意識を持っているんだ。そこでは、いいバンドは特定の地域からだけじゃなくて、あらゆる土地から出てくるんだ。みんな出身地はバラバラだよ。

ケイヴ・インとしても、そういったシーンの一端を担っていると感じていますか?

JR:もちろん。

Caleb:友達もいっぱいいるしね。ツアーを通じて色々な人と出会ってきたし、最高のバンド達と知り合いになってきた。僕らは大きなコミュニティの一部だと感じてるよ。

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