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by telephone, 2003.9.11
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation by Stanley George Bodman
translation by Shino Kobayashi

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02年のサマーソニックでも素晴らしいステージを披露してくれたライヴァル・スクールズ、そのギタリストだったイアン・ラヴが新たに結成した自身のバンドがカルディアだ。NYCハードコアの根っこに、レディオヘッドやジェフ・バックリーを継ぎ木して実をつけさせたようなその音楽性は、多くのリスナーにとって魅力的であるに違いない。ストロークス以降ポスト・パンク・リヴァイヴァルまで狂騒の続く現在のニューヨークで、ジェッツ・トゥ・ブラジルやレティソニックも含め、ハードコア・シーンの出身者が一方に新たな音楽領域を切り開き始めていることも知っておいた方がいいだろう。今のところメディア的には前者ほど目立ってはいないが、こちらの方がタフで奥行きの深い音楽性を育んでいるのではないかと個人的には考えている。おそらくイアンはそうした動きの中でも今後キーパーソンになっていくはずだ。日本では初めてとなるロング・インタビューで、その人となり(生まれついての音楽オタク!?)を知ることにより、確かな手応えを感じてもらえるのではないだろうか。

「雑誌やテレビを賑わせてるような音楽とは全く違う方向を模索したくなるのと同時に、オーソドックスな中に素晴らしいものが隠されているとも思う。そういう美しい音楽を、新しい手段を用いて表現したい」

今日はまず、あなたの生い立ちから質問させてください。どのような音楽環境で育ち、何がきっかけでミュージシャンを志したのですか?

Ian:まず最初のきっかけとして、家族の存在がある。僕の父さんはミュージック・ビジネスを手掛けていたんだ。バンドのマネージャーをしていたり、レコード・レーベルで働いていたり……。それから2人の叔父も音楽業界で働いていた。そういう環境で育ったから、幼い頃からクラブへ行ったり、奇抜なクラブで遊んでいたりしてたんだよ。そういう所でバンドがプレイするのも見ていた。だから自然と、僕も音楽をやっていきたいなぁって思うようになっていったね。それから僕が11〜12歳の頃だったかな? 父さんからギターを貰って、ギターを弾くようになったんだ。

じゃあ最初に手にした楽器はギターだったんですね?

Ian:うん、ギターだね。父さんがマネージャーをしていたバンドのメンバーと遊んでいた時代があって、そこのギター・プレイヤーから弾き方を教えてもらって、それがきっかけになったんだよ。

当時、夢中になって聴いていたレコードとかはありますか?

Ian:その頃はまだ自分でレコードを集めるっていう感覚はなかったけど、父さんのところのバンドの音楽は自然に耳に入ってきたね。彼は主にロック・バンドを手掛けていて、例えばエアロスミスなんかのマネージャーをしていたんだ。他にもメジャーなロック・バンドと仕事をしていた。そういう音を聴きながら幼少時代を送って、それからパンクやハードコアに移行していったんだ。バッド・ブレインズとか好きだったな。それからフガジとか……。そういう音は自分からレコードを買い求めて聴いてきたよ。

自分自身もミュージシャンとして身を立てていこうと思ったきっかけはどんなことでしたか?

Ian:ニューヨークシティにいた頃は、パンクやハードコアにのめり込んでるキッズだった。CBGBなんかにたむろしてて、そういった音楽のライヴを山のように見てた。おかげで同じような趣味を持つ友達がいっぱい出来て、15歳くらいから自分もバンドに参加してプレイするようになったんだ。で、そのバンドがアメリカ・ツアーをすることになったんだけど、なんせ僕は高校生だったんだよね……。でも、せっかくのチャンスだからと決心して、高校を中退してツアーに出たのさ。それが最初。学校も辞めちゃってもう後戻り出来ないから(笑)、その時に「よし、オレは音楽で生きていこう」って決めたんだ。結構早い時期にね。

あなたは、昨年にはライヴァル・スクールズのメンバーとして来日もしているわけですが、それ以前はどんな活動をしていたのですか?

Ian:THE BURNというバンドを辞めてからは、とにかく曲を書くことに集中していたね。幾つかバンドを結成してみたりもしたけど、特にコレといった事は起きなかったな。だんだん自分で歌い始めて、ベースをやり出したのもその頃だし、あと、3カ月間くらいヨーロッパに行ったりとかもしたよ。その後アメリカに戻ってきて、自分の音楽をさらに模索していった。そして何人かの人間とコラボレーションをしてから、ライヴァル・スクールズに加入したんだ。

じゃあ、ライヴァル・スクールズ加入以前からずっと「これがやりたい」という自分なりの明確な方向性を探っていたという事ですね?

Ian:ああ、そうだね。何年もの間、曲を書き続け、歌を歌い、あらゆる人々とプレイをし、幾つものバンドを結成していった。残念ながらローカルなバンドと単発でプレイする事以外に特筆すべき事は起こらなかったけどね。当時はプライベートな生活でも色々な問題が起きて、とても辛い日々だったよ。それが、ライヴァル・スクールズに加入したのと同時期に、突然あらゆる事にフォーカス出来るようになって、そこが出発点になったんだ。

なるほど。では、あなたが自分の進むべき道を確信した一番の出来事などあれば教えていただけますか? 例えば、一緒にやりたい人を見つけたとか。

Ian:ん〜、何だろう? ライヴァル・スクールズに入る前、ちょうど夏の間、あるバンドでプレイしていたんだ。僕が全部の曲を書いて、プレイして歌も歌ってて、楽しかったけど、そこからは何も起きなかった。で、その後に日本に行ったんだけど……これも夏の間かな。確か4年前になると思うんだけど……。

あなた1人で日本に来たんですか?

Ian:いや、シヴ(CIV)というバンドと一緒にね。彼らとは友達で、彼らの日本ツアーでは僕も何回かステージに上がって一緒にプレイしたよ。1回のライヴにつき1曲だけの友情出演って感じだったけどね。で、そのツアーが終わって、1人で東南アジアを旅して回ったんだ。それからアメリカに戻って、自分が本当にやりたいのは自分の曲を書くことなんだって心に決めたんだよ。ただ、その数カ月後に、古くからの友人だったライヴァル・スクールズのメンバーから「うちのバンドにギター・プレイヤーが必要なんだけど」って誘われて。それはそれで興味を持てたけど、やっぱり自分自身の音楽をやりたいっていう思いが沸き上がっていたんだね。だから、ライヴァル・スクールズでキャリアを積む間も、プライベートな時間には自分のための曲を書き続けてたんだ。そしてライヴァル・スクールズがオフの間にカルディアのメンバーを募って、レコーディングをして、レコーディングが終わって出来たものを聴き直してみた時、「これはもう絶対にやり続けるしかない」っていう手応えを感じたんだよ。すごくハッピーだった。他の人達からも歓迎されるサウンドだと確信したし。それがきっかけでライヴァル・スクールズを脱退する決心をしたんだ。自分の音楽を作り続けようって決めたんだよ。

なるほど。では、カルディアの他のメンバー、アンディ・アクションやヴラッド・ヴァンダーアークにはどのような経緯で出会ったんですか?

Ian:ん〜、本当に偶然の出会いって感じだったね。カルディアの最初のギター・プレイヤーとは、あるバンドのツアー・マネージャー兼ギター・テックをしていた時に出会ったんけど、僕が「自分の書いた曲をレコーディングしたい」って話したら、そのギタリストが「自分のルームメイトが腕のいいドラマーだから、そいつにドラム・パートをプレイしてもらったらどう?」って提案してきた。で、そのドラマーがアンディだったってわけ。彼に会わせてもらって、曲を聴かせて、その日のうちにレコーディングしたんだけど、本当に素晴らしいドラマーだったから、そのまま一緒にプレイするようになったんだよ。こうしてアンディに出会ったのが最初で、それから1人また1人とメンバーが増えていった。ヴラッドは、また別の人を通じて知り合ったんだけど、彼に自分の曲を聴かせた時、それをすごく気に入ってくれて、じゃあ一緒にやろうよって話になったんだ。

いちばん新しいメンバーのジェフ・ボッタは?

Ian:ジェフは僕がライヴァル・スクールズに加入する以前にいたバンドのメンバーだったんだ。途切れ途切れではあったけど、トータルで1年くらい一緒にプレイしてたかな。彼とはライヴァル・スクールズのシンガーであるウォルター(・シュレイフェルズ)を通じて出会ったんだ。ウォルターとジェフは昔からの友達でね。カルディアの初代ギタリストが抜けて、新しいプレイヤーを探してた時、ふと「ジェフとは楽しくやれてたよなぁ」って思い出したんだ。で、彼を招いてプレイしたんだけど、なんと彼はたった2日でレコード全曲をマスターしちゃったんだよ。すごいだろ? そして彼が入ったことにより、バンドは以前にも増して良くなっていった。今のラインナップは最高だよ。

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