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『夢現』
ザ・ストラングラーズ

Epic Records (ESCA-7749)

 本作『夢現(ドリームタイム)』は、ストラングラーズ9枚目のオリジナル・アルバムであり、86年10月に発表された。今回の国内再発にあたって、オリジナル・リリース時には完全に無視されていた(*アナログ盤のフィルムを縮小使用しているため、原文すら判読不能の状態だった。LPからCDへの移行期には、こういうこともあったのだ)アボリジナル・スクリプトの対訳をあらためてきちんと掲載できたのは、私個人の中では大いに意義深いことだ。表題曲“ドリームタイム”にインスピレーションを与えた、オーストラリア原住民アボリジニの思想哲学について書かれた一節には、このアルバムに向き合うにあたってぜひ1度は目を通していただきたい。そして、ひとりでも多くの人が興味を持ち、独自に詳しい内容を調べるキッカケになってくれれば、とも思う。
 「夢」というモチーフは、前々作『黒豹』の冒頭に収録された“真夏の夜の夢”の延長にあるものだと言える。ただ、それ以前にもストラングラーズは、ずいぶん初期の頃から――例えば4thアルバム『レイヴン』に収録され、続く5thアルバム『メニンブラック』(この言葉がスピルバーグ制作のエンターテイメント映画のタイトルになった時には正直驚いたものだ)で全面展開される“メニンブラック”のコンセプトなどでも、現実の世界を唯一絶対のものとする西洋的な思想への挑戦を見せており、このアボリジナル・スクリプトも、そうした彼らの哲学が突き詰められた結果として登場してきたものなのだ。かつてジャン・ジャック・バーネルにインタビューした時、「バンドとして身を立て、世界中を回る機会を持ったことで、俺たちは各地の様々な物の見方/考え方を学ぶことができた。『レイヴン』あたりからは、そうした新しい思想を歌詞の中に表現するようになっていったんだ」と語っていたのだが、周囲への反抗というパンク・ロックの大命題を、ここまで風呂敷を広げて考え詰めたバンドは他にいないだろう。そして、当初はあまりに現実の世界に対して突き放したスタンスをとっていたがために、いやがおうでも冷酷無比なものにならざるをえなかった彼らの思想は、この“ドリームタイム”において、その先にかすかな希望をついに見出したような気もする。アボリジナル・スクリプトの最後の文章「誇りと強さを持って、私たちは生き延びていくつもりだ」には、それまでの悲壮感は薄れ、確かなポジティヴィティーが感じられるのだ。
 そんなタイトル・ナンバーの性質を反映してか、冒頭に収められた“オールウェイズ・ザ・サン”をはじめ、本作は全体的に、独特の浮遊感を持ったサウンドに包まれている。こうしたムードは、確かに『ラ・フォリー』以降ストラングラーズがずっと追求してきた持ち味ではあるが、『黒豹』や『オーラル・スカルプチャー』がどちらかといえば色彩的にモノトーンな印象を与えるのに対して、『夢現』は同じ幻想的な世界ではあっても、もっとカラフルなイメージを聴き手に喚起させる。これには、ジャケット写真とか“マヤン・スカイズ”の歌詞などからくる先入観もあるのかもしれないが、何よりも収録された各曲が、いっそうバラエティに富んだものになっているのが第一の理由だろう。“ユール・オールウェイズ・リープ・ホワット・ユー・ソウ”では、心地よい響きのペダル・スティール・ギターを聴くことができるし、やや長尺の曲を久々にやったという感じのする本編最終曲“トゥー・プレシャス”で展開される音の一大パノラマは、聴いていて目眩がしそうなほど素晴らしい。“シェイキン・ライク・ア・リーフ”は、ジャズ・テイストを強く打ち出した特に異色なナンバーだが、この要素は次作『10』へと引き継がれることになる。さらに、“ゴースト・トレイン”や“ビッグ・イン・アメリカ”、そしてジャン・ジャックが歌う“ワズ・イット・ユー”などは社会風刺的な歌詞を持った曲で、ストラングラーズが過激なパンク・バンドだったことを一瞬思い起こさせたりもする。また、“ナイス・イン・ニース”と“ビッグ・イン・アメリカ”のビデオ・クリップは、前作の“ノー・マーシー”同様ユーモラスな演出が施されており、これも彼らの新しい側面を世間にアピールすることになった。
 前作『オーラル・スカルプチャー』で、ローリー・レイサムをプロデューサーに起用し、当時最先端のサウンド・プロダクションを習得したストラングラーズは、もはやそれに関しては自分たち自身の力で達成できる、と主張するかのごとく、本作では再びセルフ・プロデュース体制に戻っている。もちろん、いつものように優秀なエンジニア/ミキサーはバッチリ押さえていて、共同プロデューサー格のマイク・ケンプを頭に、テッド・ヘイトン、オーウェン・モリスの3人がクレジットされている。本作がリリースされた時点では、まだ見習い風情だったモリスが、後にオアシスを手がけたことで大出世を果たすことになろうとは、まさに神のみぞ知ることだった。ちなみに、80年代的なサウンド・プロダクションが最も古くさく聞こえる現在においても、『オーラル・スカルプチャー』と本作が少しもそう感じさせないことについては前作の解説にも書いたが、『夢現』の2年後にリリースされたヒュー・コーンウェルのソロ・アルバム『ウルフ』に関しては、今聴くとけっこう恥ずかしい、モロに80年代なサウンドになっている。ただ、その『ウルフ』のレコーディング・スタッフに目をやると、クライブ・ランガーとアラン・ウィンスタンレーに加え、なんとクリス・シェルダンやアンディ・ウォラス、マイケル・ハッチンソンまでがクレジットされているのだ。ランガー&ウィンスタンレーは、エルヴィス・コステロなどを筆頭に80年代のUKシーンで大活躍した名コンビだが、最近になってからもブッシュのアルバムなどをプロデュースしているし、クリス・シェルダンはセラピー?やフー・ファイターズやアンスラックス、アンディ・ウォラスはニルヴァーナやジェフ・バックリー、その他数多くのバンドを手がけており、みな90年代のオルタナティブ・ロックを陰で支えてきたと言っても言い過ぎではないほどの偉大な裏方ばかりなのだ。
 ついでにもう一人、本作に関わったスタッフの中から有名になった人物がいるので紹介しておきたい。本作では『オーラル・スカルプチャー』よりも、さらに大々的にホーンセクションが導入されているが、そのうちサックスを吹いているアレックス・ギフォードは、ジャン・ジャックとデイヴが始めたバンド外プロジェクト=パープル・ヘルメッツでシンガーをつとめたり、ヒューが93年に出した通算2枚目のソロ『ワイヤード』ではベースを弾いたりと、実にマルチ・タレントなミュージシャンなのだが、98年になって、彼が自身のプロジェクトであるプロペラへッズとして、“バング・オン”の大ヒットを飛ばしたことは、まだ多くの人々の記憶に新しいはずだ。

『黒豹』→『オーラル・スカルプチャー』と優秀なポップ・サウンド作りに邁進してきたストラングラーズは、この『夢現』において、大きく翼を広げたかのような、バンド史上でも最ものびのびと自由な空気を吹き込んだ表現を獲得したように見える。現に、この後の彼らはライヴ・アルバムを発表し、カヴァー・ナンバーによるヒット・シングルを飛ばすという、まるで自らのキャリアに区切りをつけるかのような行動に出るのだ。そしてさらに、それぞれのソロ活動(*前述したように、ヒューはソロ・アルバム『ウルフ』、ジャン・ジャックとデイヴはパープル・ヘルメッツとしての作品リリースなど)を経て再び90年に集った彼らが、『10』という記念すべき10枚目のオリジナル作品を完成させた時点で、「ストラングラーズとしてやるべきことは全てやり尽くした」という考えに至ったヒューが衝撃の脱退表明をした事実は、当時の私にとっては納得のいかないことだったのだが、今にして思えばまた必然だったような気もしてくるのである。

1999年1月 鈴木喜之


※本稿は、国内盤アルバムのライナーノーツとして書かれた原稿に、一部手を加えたものです。

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