特徴

特徴としては、自分が何者なのかよくわからない見捨てられる不安が強い自己像がよい自分と悪い自分の二つに分裂する他者を過大に評価し理想視していたかと思うと、急にこきおろしたり激しい攻撃性を向けたり、自分の思うままに操ろうとして、他者と安定した関係が保てない感情が不安定で変化しやすい価値観や人生観が変化しやすい他人の欺瞞を鋭く見抜いて非難する、虚言が多い、キレやすい転職を繰り返す自殺未遂を繰り返す、薬物中毒、行きずりのセックスを繰り返す、などがあります。

こうした症状がおさまっているときは、一見周囲によく適応していたり明るかったり優しかったり冷静で人一倍論理的に話すことができたり魅力的に見えたりすることさえあり、健常者と見分けがつかなかったりします

しかし多くは周囲のちょっとした状況の変化などによってこの安定は脆くも崩れ去ります。また抱えている不安感の反動として、自己の誇大感を増大させることもあり、これが自己愛性人格障害となったりします。

 

私の中で苦しんでいる部分

◆見捨てられる不安が強いこと◆激しい攻撃性◆他者との安定した関係が保てない◆感情の不安定さ◆転職を繰り返す◆自殺未遂を繰り返すところ。

症状が治まっているときは明るく優しく笑顔が絶えません。ついでに魅力的だとさえ言われます。そしてその場にもうまく適応できていると思います。そのためか『君はどこもおかしくない』とほとんどの人に言われます。でも、その言葉は私にとって追いつめるもの以外の何ものでもなく一体どうしたらよいのかまますます見えなくなってしまいます。

 


 

様々な名称と「境界」について

人によって人格障害をパーソナリティー障害という場合もあります。

境界性人格障害と同じように使われている言葉で「境界例 Borderline Case」という言葉があります。厳密に言えば症状の含み方や範囲の点で差異があるらしく、また使われていた時期が古いということで今では境界性(型)人格障害と呼ばれることが多いそうです。

「境界例」という言葉が使われていた頃、境界性人格障害とは神経症精神病、とくに統合失調症(旧名:精神分裂病)との境界領域のことを指していました。

しかし、むしろ最近では「うつ病」をはじめとした気分障害(感情障害)との関わりのほうが強いのではないかといわれ始めました。いずれにしてもこの三疾患の境界領域のことを指しています。

 


 

考えられる原因

「境界性人格障害」の症状は心の発育過程の障害、とくに乳幼児期の分離不安を引きずっていることが原因で、著しい性格の歪みを生じ、その結果 、問題行動を繰り返すのだというのがこれまでの有力な説です。

また幼児期になんらかの精神的、身体的、性的虐待を受けているケースもよくあります。そのため、最近ではPTSD(外傷後ストレス障害)の一種ではないかともいわれています。

とくに何らかの虐待を過去に受けていた場合、「解離性同一障害」や「健忘」(全生活史健忘を含む)といった症状、つまり自分の行動や経験のある部分を切り離して忘れてしまったりといった症状を併発することもあります。

しかしこうした発達要因に関する実証的研究は極めて乏しく、むしろ「遺伝的要因」(とくに気質的な側面など)「生物学的要因」(とくに脳生理学的な側面など)が与える影響が大きいことも次第にわかってきています。

 

思い当たること

大学時代急遽お世話になった精神科の先生が君は循環気質という持って生まれたものをもっているみたいだから感情の波が激しいのはしょうがないんだよと言われた。遺伝的要因もありそう。

乳幼児期の記憶はないので(当たり前か)明言はできないが、母が嫁姑問題で悩み、「子育てどころじゃなかった」「あなたのこと愛していなかったかも」とのこと。ガーン。ま、その時は今の私より年下だったんだからしょうがないか。

また母と私の確執は私が20歳すぎるまで続いた。最近ではお互い疲れるからやめようという感じ。

しかし、私が母と衝突した場合必ずといっていいほど自殺衝動にかられる。そのため物理的な距離を置こうと思っているが今まで、成功したためしがない。

 


 

症状

症状としてときに抑うつ、一過性の精神病状態を呈することもあり、症状が定まらず多様化しているのが実状のようです。一般的には、自分の起こした衝動的な行動などを後悔し、抑うつ症状を示すことがとても多く、若い女性などでは拒食症(または過食症)を併発するケースも多いようです。また、分裂病の場合のような妄想や幻覚というものはあまり見られず、オカルトや宗教、特定のアイドルなどを盲信するなどのケースも比較的多いという報告があります。

境界性人格障害が一つの臨床単位となったのはごく最近のことなので、精神医療の現場でも、まだこれといった定まった治療法もなく、暗中模索の状況で、経過や予後に関してもまだまとまった見解が得られず試行錯誤の研究段階のようです。

ただ、米国の最新の研究では、脳内神経伝達物質であるセロトニンの代謝となんらかの関係かあるらしいということがわかってきています。

 

経験した症状  うつ状態・そう状態・被害妄想・・・その他忘れました。

 


 

治療後の展望

なお、アメリカでの追跡調査では、最終的には症状が治まって健全に社会復帰しているケースが数多くあることも報告されています。(10年以上の経過研究で約3分の2の患者が比較的良好な社会適応をしている, McGlashan,T.H.)

ちなみに、他人のこころに敏感な人が多いので、心理職や福祉職に就く人も多いという報告があります。心理的治療(主にカウンセリング)としては、精神分析療法などによる幼児期や過去のトラウマの解消や自我の再構築(育て直し)などのほか、批判と拒絶に慣れる行動療法や認知療法、家族療法などによっても治療成果を上げてきているようです。

しかし、行動化が著しい場合や不安が激しい場合などは、必要に応じて入院治療が必要なケースもあります。多くは本人も周囲も悩んで精神科への通院治療が開始されますが、本人に病識がない場合や治療を拒むケースもあり、この場合、通院、入院ともに来院させるまでの導入が難航しがちです。

また、「人格障害」という言葉に抵抗を持つ患者や医師も多く、患者への配慮などからあえて「○○人格障害」という診断(名)を医師が避ける場合もあるようです。こうした場合、医師の良心からの判断だと捉え、病名にあまりこだわらずに、症状の改善にのみ専念するのが賢明です。

ただ医療関係者のなかには、境界例の患者は治療者を巻き込んだり振り回すので扱いづらい困った人たち、という認識がある場合もあり、治療関係を結ぶことに意欲的でないこともあるのが現実のようです。これは、ある場合は事実であっても偏見や先入観であることも多分にあります。可能であれば、BPDの治療に意欲的な医療環境で治療することが望まれますが、むやみに主治医を変えるべきではありません。自分の要求を適切な言葉で正しく理解してもらうという努力やその過程自体が、BPD治療にはとても大切なことが多いからです。患者自身の努力としては、他者との葛藤や愛憎関係を相手の立場や気持ちになって、その人のいろいろな側面、自分自身の理想と現実、好ましい部分と好ましくない部分、などいろいろな側面を自覚、認識し、受け入れ、抱きかかえ、乗り越えていくこと、辛いこと、苦しいことに耐えることを学んでいくことが重要です。

つまり噛み砕いて言えば、自他共に対して思いやりと愛情を持てるようになることが回復の目標です。

また周囲の患者への対応としては、患者の欲求や一人になることへの不安に対して共感的理解を示す一方で、明確な限界を設定し(例えば夜何時以降は電話しない、ここまでは許せるけどこれ以上は許せない行為だ、など)、一貫性のあるはっきりとした態度を維持することがよいとされています。また知らず知らずのうちに周囲が患者を依存的にさせ、要求などをエスカレートさせてしまうケ−スもあるので、適切な距離感を保つことが重要です。

なお著明な人物では、太宰治、ヘルマン・ヘッセ、マリリン・モンロー、ダイアナ妃などが境界性人格障害であったと言われています。

 

私の目標 

自分で生きていけるようになること。

自分を傷つけないこと。

自分の要求を適切な言葉で正しく理解してもらうという努力を続ける。

 


 

人格障害の分類

なお、人格障害は米国精神医学会の精神障害の診断・統計マニュアル<DSM-IV >では下記の10のタイプに分類されています。

しかし、人間のパーソナリティ(性格、人格)には個人個人に偏りがあって当然で、正常と障害を区別するのは極めて難しいものです。

ボーダーラインスケールなどの手軽なテストもありますが、自己判断ではなく、精神科医などの専門家によって客観的視点から多面的に観察してもらい、診断を受けるべきです。


★精神病に近いA群(奇妙で風変わりな群)遺伝的に分裂病気質を持っていることが多く、自閉的で妄想を持ちやすく、奇妙で風変わりな傾向があり、対人関係がうまくいかないことがある。ストレスが重大に関係することは少ないが、対人関係のストレスには影響を受ける。

妄想性人格障害:他人の動機を悪意のあるものと解釈するといった不信と疑い深さの様式

分裂病質人格障害:社会的関係からの遊離および感情表現の範囲の限定の様式

分裂病型人格障害:親密な関係で急に不快になること、認知的または知覚的歪曲、および行動の奇妙さの様式

★その中間のB群(演技的、感情的でうつろいやすい群)感情的な混乱の激しい人格障害。演劇的で、情緒的で、うつり気に見えることが多い。ストレスにかなり弱い傾向がある。

反社会性人格障害:他人の権利を無視しそれを侵害する様式

境界性人格障害:対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の様式

演技性人格障害:過度な情動性と人の注意を引こうとする様式

自己愛性人格障害:誇大性、賞賛されたいという欲求、および共感性の欠如の様式

★神経症に近いC群(不安や恐怖を感じやすい群)不安や恐怖感が非常に強い人格障害。まわりに対する評価や視線などが非常にストレスになり引きこもりがちな傾向がある。

回避性人格障害:社会的制止、不適切感、および否定的評価に対する過敏性の様式

依存性人格障害:世話をされたいという全般的で過剰な欲求のために従属的でしがみつく行動を取る様式

強迫性人格障害:秩序、完全主義、および統制にとらわれている様式


境界性人格障害の特徴

■年齢および性別に関する特徴:(1)自我同一性の問題を抱えた青年は、一時的に境界性人格障害 (以下BPD)であるかのような過った印象を与えることがある。(2)明らかに女性に多い(約75%)

■有病率:一般人口の約2%、精神科外来患者の約10%、精神科入院患者の約20%と推定されている。人格障害をもつ患者の30%から60%はBPDである。

■経過:BPDの経過はかなり多様である。最も一般に、青年期から成人期早期までは慢性的な不安定さが続くが、この疾患による障害と自殺による危険性は成人でも若い時期に高く、加齢とともに低くなっていく。そしてこの障害をもつ患者の大部分は、30歳代や40歳代になれば、対人関係も職業面の機能もはるかに安定してゆく。

■家族表現様式:BPDの患者の第一度親族には、一般人口に比して、この疾患が約5倍多くみられる。また、物質関連障害、反社会性人格障害、および気分障害の家族的危険性も増加する。

 


 

現代を生きる境界性パーソナリティ障害

境界性パーソナリティ障害の患者は、時代の要請に応えようとして破綻しています。

彼らは自他の境界が不鮮明な世界に生きています。

それは容易に周囲に浸透すると同時に、周囲からも浸透される世界です。

かれらは自然と対人関係に曖昧さを嫌い、直接的な結びつきを求めます。

そこでの彼らは強い親近感や一体感、逆に疎隔感や違和感を抱いたり、極端な理想化や愛着、憎悪や忌避といった対人関係の激しい動揺を示します。

同時に鋭敏に周囲の心の動きを察知し、一種特有の感受性の鋭さや、優しさ(borderline empathy)を見せます。

こうして彼らは自分自身を激しく変化させると同時に周囲に強い影響を与えるのです。

 

彼らは確かな現実感を抱くことができず、一つの現実の中に留まることができません。

彼らの現実は現実性の欠けた、いわば仮想的なものとして体験されています。

彼らは異邦人であり、アウトサイダーですが、そのような対抗的同一性に安住することも許されていません。

彼らの自己のあり方には定式がなく、それは拡散、断片化の危機につきまとわれています。

彼らはその時々の部分部分の現実に浸り込んでおり、現実の体験を統合し結びつけて、全体として受け止めることができないでいます。

これらの特性は、現代の若い世代を中心に広く共有されています。

優しさや細やかな共感の通い合いに彩られた直接的な関わりを求める感性が特徴的です。

また、氾濫するマスメディアの中には、わざとらしい奇矯さや人々を驚かせるためだけの過剰な刺激が満ちています。

人々はその刺激によって境界性パーソナリティ障害の患者と同じように日常生活の単調さ、虚しさから抜け出し、自己の感覚を取り戻すことができます。

このようにして過剰な刺激によって不安から抜け出すパターンはごく一般的なものになっています。

現実の体験を全体的にでなく部分として受け止める特性も、現代人ではやはり一般的です。

これによって我々は受け止めきれない過酷な現実に直面して絶望の淵に沈むかわりに、それを切り離して別の領域での活動を開始することができます。

生まれながらにして数々の不条理にからめとられ、自己断片化の危機にある現代人の「悲劇」を、生真面目に受け止めるなら、我々は虚無主義に追いやられてしまう。

そのような危うい基盤の上にでも、それを切り離すことによって、生活を組み立てていくことは一つの適応努力であるといえます。

境界性パーソナリティ障害の患者はそうして生きています。

彼らは生育環境でも、生育史でも、自他の境界を定め、自らの統合を図ろうとする動きは希薄です。

彼らは無構造な状況で混沌としたままでいきていくことを選んでいます。

 

また、彼らには彼ら独自の活動の豊かさがあり、サブカルチュア的コミュニティやサークルで新奇な活動を開始したりします。

 

実存主義が暴いた存在の基盤の不安定さの悲劇の中で、人間は「悲劇」としてことさらに重みをもって捉えられるのではなく、そのものとして生きていくことが要請されています。

時代は我々にある程度統合された人格機能を要求する一方で、一つのあり方に固執せずに変化することを求めています。

 


 

境界性人格障害だとわかって

自分が境界性人格障害だとわかって2週間。

今は自分の心の癖が今までよりずっと理解できるようになったと思う。「分からない」ということは私にとって本当に不安なことだったから。

気をつけること、心がけること、そういうことが漠然としすぎていると何をしたら自分をコントロールできるのか、どうすれば波が小さい穏やかな状態を保てるのか、分からなくなる。そして不安になる。

今の私はこれを自分の癖だと思っている。そして視点を変えれば長所にもできる要素が多いとも。

私は風変わりなことが大好きで、でもそれをやっていくには家族や社会に対して波風を起こすこともありその結果疲れてしまうのだけど、自分の興味を持ったことに対して動かないと気がすまない性格だから、我慢しても私らしい生き方ではなくそのうち爆発してしまう。

今、こうして落ち着いた状態で「生き生きと生きている時は何をしていますか?」というカウンセラーさんからの質問を考えてみると、「好きなことをやっている」「自由」「自立」この3つがクリアなビジョンとしてはっきりと思い浮かぶ。

これからまずその一歩として花卉農家での住み込みボラバイトに挑戦。

いったいどんな出会いと経験が待っているのだろう。心が躍る。

2002年8月31日