=イタリア記=
             (十四)

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ここは「バール」という居酒屋です。
浴場を出て喉を潤すために立ち寄ったのでしょうか。
居酒屋と言っても酒類だけでなく、
いろんな飲み物を提供していたようです。
料理なども提供されていて、
ランチを摂る人もいたようです。
かなりの賑わいだったようです。
この時代の居酒屋は女人禁制で、
男の天国だったようです。




少し離れて撮影してみました。
椅子はなく立っておしゃべりしながら飲んだりしてたんですね。
情報交換の場でもあったわけですね。




街角にある共同水飲み場。
蛇口はもちろん現代になって取り付けたものですが、
今でも蛇口を回せば水が出てくるそうです。
ただ今飲料だったかどうかは不明のようです。
当時はここに溜まった水を飲んだり生活用水に使ったり、
あふれ出た水は下に水たまりとなり馬やロバの飲料となりました。
当時の運搬手段はロバや馬だったので非常に重要なオアシスだったようです。




「モデスト」のパン工場。
立派なパンを焼くかまどですね。
古代ローマの人たちに欠かせないのはパンです。
パン屋は重要な位置を占めてました。
パンとサーカスという言葉があるくらいですからね。
食の安定はローマ帝国の根幹をなすものでした。
イタリアというとパスタというイメージがありますが、
それは中世以降の話です。
ポンペイ時代の主食はパンだったのです。




「大きな石臼」
左右に空いてる穴に棒を差し込んで、
人力または動物が回して挽いたようです。
ポンペイには34件のパン屋があったそうです。




ポンペイの町の路地ですが、
すべて石畳で舗装されてました。
高度な文明を感じさせますよね。
道路に沿って家が立ち並んでるわけですが、
中流以上の家って感じがしますね。




街の中央のフォロに戻ってきました。
ここもかなり広いスペースですね。
何かあると市民がここに集まって議論したりしたようですよ。




この像がなかなか印象的なんですね。




ちょっとうつむき加減に立ってるのですが、
物思いにふけってるように見えますね。




住宅密集地かな。




出口から東側を見た風景です。
ここは発掘されたままで復元はされてないようです。
溶岩が流れた後がわかりますね。




南側に見えるのはちょっと城塞っぽい建物です。
ここも出口から見た風景です。
ここをさらに下って外に出ます。
ポンペイ観光もここまでで終わりです。




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