=イタリア記=
             (十四)

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アマルフィー海岸を移動していくうちに、
夕暮れとなっていった。
なかなかいい時間の流れという感じ・・・。




夕食を食べたレストラン。
こういう雰囲気は日本にあるイタリアレストランでも再現されてますね。
ただ決定的に違うのはっ空気感かな・・・。




翌日は早朝からバス移動。
朝はどこの国でも渋滞がありますね。
目の前にはベスヴィオス山が見えるののです。





ポンペイの街の入口広場に到着。
ここからベスヴィオス火山の大噴火で埋もれたポンペイの街に入るのです。
ここは非常に興味を持っていた場所なので、
ちょっとワクワクしてる感じ・・・。




ポンペイの入口。
「マリーナ門」と外壁。
ここは西から街へ入る門で、
ポンペイの七つの門の中では一番堂々した造りを誇ってます。
名前の由来は、ここから出る街道が海に向かっていたことからついたということです。
外壁は、モルタルと小石を混ぜて作ったセメントでできてます。
すごい技術があったんですね。




ポンペイのパトカー。
場所が狭いので軽自動車ですね。




視界の開けたところから見えるベスヴィオス火山。
こんな間近な山が大噴火すれば、
まあ、一つの街が灰に埋ってしまうのもわかりますね。




マリーナ門へ向かって歩いていく途中から撮影。
2000年前の技術とは思えないですね。
高度な文明があったことが分かります。




「ジュピターの神殿」の一部じゃないかと思います。




石畳の道路です。
石と石の間の白いものはなんだということになりますが、
これは蛍石なんですね。
なぜ埋め込まれているかというと、
夜、足元を明るく照らすためということです。
いわゆる足元照明ということですね。
ここまで考えられていたんですね。




ポンペイの「バジリカ」です。
BC、130~120年ころに建てられて、最初は市場として使われていましたが、
その後は裁判所として使われたようです。
建物が二階建てであったことが分かりますね。





「エウマキア館」
羊毛職人組合の所有で、
毛織物業で財を成した巫女エウマキアが、
ローマ初代皇帝アウグストゥスへの忠誠を誓うために献納したものだそうです。
石の柱の太さが凄い!!





この大きな三つ並んだ石はなんだ・・・。
これがまたよく考えられて、
道路が雨で水浸しになってしまった場合、
この石を伝って反対側へ渡るんだそうです。
ローマ時代のインフラは凄いですね!!
これが紀元前の事だというから驚き!!




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