譜面台の陰から
>「守」「破」「離」<
一月がもう終わりですね。
正月もあれよあれよという間に過ぎましたが、
一月全体もあれよあれよという間に過ぎますね。
2月に入るとさらに加速してくるので怖いかぎりです。
年の初めは急行、2月に入って特急、徐々に速度を増して、
夏ごろまでには新幹線。
夏を過ぎれば新幹線ののぞみか・・・、
いやいや、リニアモーターカー的スピードに変わり、
2016年も終わりかと・・・。
今から先読みしても仕方ないのですが・・・ついつい。
一年が長いという感覚がなくなったのが寂しいかも・・・。
なんだかネガティブなところから今回は話題に突入です(*ノωノ)
歌舞伎の世阿弥の言葉だったと思いますが、
「守」「破」「離」という三文字があります。
これはすべてのお稽古ごとに共通すると思える三文字です。
「守」ということが何をさしているかというと、
まずは基本を徹底的に守るということです。
基本とは何かについて読むところにおいては、
まず方にこだわるということだ思います。
ここには感情は存在しません。
まあ、一言で言うならつまらない練習ということになります。
野球で言えばキャッチボールで相手の体の中心あるグラブにしっかり投げる。
そういうことかもしれないですね。
個性も技術も何もなくただ単純な練習です。
だいたいは嫌われ者といえる練習ですね。
ギターでいえば、姿勢であり、左右の手と指の形。
人それぞれに指の長さ、形、強さ、など千差万別なのですが、
そういうことはすべて無視して、
ひたすら基本の形を追求して練習です。
どういうことに注意するかはレッスンの時に言っているとおりです。
若干の調整はあるにしてもまず基本の形を完全なものとするために、
基本の練習になります。
世阿弥は最初の段階、つまり何も知らない時が最も重要だといってます。
要するにギターを持った、その時が最適な練習ということなんだと思います。
基本を徹底的に練習して身に着けたら、
今度は、「破」ということが待ってます。
自分に合わせて少しづつ変更を加えていくことになります。
すべての人を平均化した基本の形だけでは、
人ごとの違いがある以上指の押さえ方も変化しないと、
押さえられないと思います。
ここで基本を少しづつ破って自分に合わせていくことになります。
押さえ方、弾き方を自分の持っているものに修正していくことになります。
基本を徹底的に練習して身に着けていると、
最も合理的に押さえることができ、弾けるということだと思います。
基本がないところで押さえたり弾いたりすれば、
けっこうバラバラになりかねないというのがあります。
世阿弥の歌舞伎の世界だともっとシビアなのかもしれないですね。
最期に到達するのが、「離」ですね。
基本から離れて独自の世界観で演奏するということでしょうか・・・。
ここからは表現のための技術ということになります。
表現にはいろいろな要素が加わってくるので、
基本だけでは収めることはできなくなります。
ある意味、基本からは離れていくことになります。
単純に押さえ方、手の形だけにこだわってることはできないくなると思います。
基本の上に立って基本を破壊するとでもいうのでしょうか・・・。
もちろん手の形とかいうことだけではなく、
音楽は曲に取り組む時の基本もあります。
曲を仕上げていく過程で、
どこまで基本に忠実に練習できるかも重要な要素なんですね。
基本を無視して自己流で仕上げると、
後になってのつけが大きく膨らむというのはよくあることです。
まだ練習が小さい時に基本を守って練習するのと、
もう大きくなってしまうと修正というのはより困難になりますね。
歌舞伎の世界でも声の出し方という基本は決まってるといういことです。
しかし、人によって味わいは大きく異なってます。
基本から始まって味わいまでの過程を「守」「破」「離」、
という三文字で表現してると思います。
楽器の練習ということにおいて、
けっこう共通してるなと思える三文字です。
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