譜面台の陰から
>一に戻る<
2015年も残すところあと二日。
過ぎてしまうと早いと思うのですが、
いろいろ思い返してみると、
やはりそれほど短くはなかったんだろうな・・・と、
いきなり曖昧な気分になってみたり・・・。
年齢のことを考えると、
やたら早く感じることはたしかで、
2016年も歳だけは早くとるんだろうなと、
無駄な抵抗は諦めて来年のことをいろいろ考えるのです。
気合です・・・。
この譜面台の陰からもだいぶ長いせいか、
最近よく続くもんだというご指摘がありました。
確かにいろいろなテーマで書いてきてかなり積み重ねてきてます。
それでもまだ終了が見えてるわけではありません。
結局それだけギターの世界というのは奥が深いということでしょうか・・・。
ギターに限らず楽器の送って深いんじゃないかと思います。
そこで、あーでもないこーでもないということがあって、
面白さがあるのではないかと思います。
両手で数えられるくらいのことしかなければ、
ギターという楽器そのものが早々と消えているんじゃないですかね。
未解決な楽器なんですよね。
そこで今回のテーマを考えてみたいのですが、
一は、短い横線ではなくて「いち」ですよ。
要するに一に戻ってみたら何が見えるかってことです。
とくにレベルを特定するわけではないですが、
一定のキャリアとレベルに達してきたら、
また基本に戻ってみたらどうだろうということです。
すべての人はまったくギターという楽器を、
弾けないところからスタートしてると思います。
いきなり持ったらもう弾けてしまった、
という人はそうはいないと思います。
セゴビアにしても最初ギターを持った時は弾けなかったようです。
弾けない状態から積み重ねて、
一から十くらいまできたのだと思います。
一のレベルは特定できますが、
十のレベルを特定することはできません。
人によって大きく違うからです。
まあ、二〜三年のキャリアではないことだけはたしかです。
一のレベルの時は簡単な練習曲から始まって、
曲を積み重ねてると思います。
かなりのレベルの曲も弾いているかもしれない・・・。
そこまで一のレベルを振り返るということはまずないですね。
しかし、例えば十のレベルになって一を振り返ってみると、
十から一までの景色がすべて見えます。
もちろん曲を積み重ねてきた風景が見えてると思います。
しかし、普通は十まで来て一を振り返るというのはまずないですね。
一の時どうだったかということは無関心になってるのです。
一の時のことは忘れてしまってるんですね。
でも、もし一まで振り返ることが出来れば、
一から十までの風景をしっかり見ることが出来る。
見てどうするんだということもありますが、
一にいた時は見えなかった風景。
十にたどり着いてから一を見る風景というのは、
実はまったく違うものだと思います。
違った風景にしていかなければならないと思います。
一に戻って違う風景を見ながら歩いて見ると、
それまで十にいて見えなかった風景が見えると思います。
そこにまた進歩の糸口が待っていたりすると思います。
人間の進歩というのはどういったところで限界があります。
一方向の景色だけを追いかけてもまずだめですね。
しかし、同じ場所にとどまっているだけでは、
景色は変わらないのです。
やみくもにあっちこっち方向を定めずに歩けば、
ドツボにはまるだけです。
一番安全で確実なのは、
一の場所に戻って十を見てみることです。
もとの一の場所から同じ道筋で登っても、
景色は同じで飽きるだけです。
道筋を変えて登ってみることです。
道筋を変えれば景色は違ってくるのです。
人間というのは同じ景色が続くとまず飽きてしまって、
それこそ「おやすみなさい」で寝てしまいます。
そんなことでは戻る意味がないです。
一から十までの道筋というのは実はたくさんあります。
最初から一から十まで登る道筋というのは、
たくさんある道筋の一つにすぎません。
たくさんある中の道筋のたった一本の道でしかないのです。
その一本の道筋だけの景色しか見てないのです。
「基本に戻れ」という言葉があります。
これこそまさに一に戻って登る道を変えてまた十まで登ってみろ・・・、
ということに相違ありません。
それまで見えてなかった景色を見て十の場所を考えれば、
また違った切り口を見い出すことが出来る。
そこに新たな進歩の芽があると思います。
もちろん同じ景色を確認しながらもう一度というのも悪くはないです。
一に戻ってみてみるということは、
いろいろな道筋を見てどこを登っていくのか・・・。
戻る度に違った道筋を見ていくことが出来れば、
新たな進歩を生み出すことが出来ると思います。
実はここのところが基本に戻れということの大事なへそって気がしますね。
では、皆様良いお年を!。
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