譜面台の陰から
>感性を開拓する<
楽器の音色に魅せられるのはなぜだろう・・・。
ギターを弾くというのはギターの音に魅力を感じるから・・・。
当然のことを当然に書くというのもどうもいまいちだ。
なぜギターの音色に魅力を感じるのだろうか・・・。
連休初めにあまり意味のないことを考えてみた。
いかにも連休中というぽやんとした感じの一文になりそうだ・・・。
人間にはあらゆるものに対しての感性が備わっていると思う。
そうしないとあらゆる危険から種を守って、
現在にいたるまで人類は残らなかっただろう。
動物の鳴き声の変化で危険が迫ってることを察知する。
空気感の変化で天候の変化を察知する。
ありとあらゆるものに対する感性が備わっていて、
それらが脳の判断に有機的に結びついて、
刻々と出現する状況を判断してるんだと思う。
楽器の音に対する感性というのはなぜ必要だったのだろうか・・・。
たぶん原始の昔、人間は狩りをするにも何をするにも、
個の力ではどうにもならない生き物だったと思う。
集団で動いて初めて大きな力を生み出すことが出来たんだと思う。
その集団の力をより強固なものとしていくために、
音楽が必要だったんだと思う。
集団で出てくる音に合わせて踊ったりして、
結束を常に保つ必要があったんだと思う。
音に対する感性というのは時代が進んでも、
常に人類にとって不可欠な状態からは変化をしなかった。
どんなに生活状態が変わっても失われることなく受け継がれてきている。
しかし、人類の発達とともに、
音に対する感性というのも研究されていて、
どういう音でどういう反応が出るのかということが分かってきている。
気分が悪くなる音色、怒りたくなる音色、二度と聞きたくない音色。
気分が落ち着く音色。
楽器の音に人間が求めるのは、
気分を穏やかにしてくれる音色だろう。
どういう音に気分を良くしてくれる効果があるかはそれこそ千差万別。
どれがどうだとはだれも言えない。
ギターの音に気分を良くしてくれるという効果を感じる人は、
ギターの曲を弾くべく教室に通うのだろうと思う。
ギターの音に反応する感性というのは、
その音を聞くことによって脳内モルヒネが分泌されるということだろう。
下手をするとギターの音だけ聞いてればよしということになりかねない。
それがいい悪いということではないが、
ギターの音に対して感性が発揮されるのであれば、
その感性をもう少し広げてみたらどうかと思う。
ギター以外はつまらないというふうに凝り固まっても悪いわけではないが、
せっかく楽器の音に関しての感性を持っているのであれば、
それを広げてみようという試みを自分に対して持ってもいいのではないだろうか・・・。
何事も範囲を狭めて安住しようとする人間の一部にあるのは分かるが、
外海たいしてすぐに出ていけなくても、
繰り返し外海に出ていく試みを試すことによって、
新たな感性を得ることにつながるかもしれない・・・。
感性の楽しみというのは、
本来無限に広がっていくものだと思う。
その無限の可能性を小さな入り江に閉じ込めてしまうというのは、
短い人生の中ではもったいない気がする。
自分の感性に対するニューフロンティアというのはあってもいいと思う。
人間年とともに物事に対する楽しみというのは減っていくものだが、
感性という楽しみは衰えることはない。
ただ感性の世界も開拓しないといずれは消えてしまうものだと思う。
そういう思いもあって室内楽という分野を続けてるわけですが、
ギターを弾く人を対象に開催してるというのがミソです。
楽器の分野というのは、
ある楽器に携わるとその世界だけにとどまり続けようとしてしまう。
ひとつの感性がある楽器の音とマッチすると、
もうそこから出ようとはしなくなってしまう。
どの楽器にしても大体同じような傾向だと思う。
それでも特に問題はないわけだが、
そこで自分の感性に対して、
フロンティア精神を発揮してほかの楽器の音に、
感性を広げて見てもいいのではないか・・・。
なんとなく一方的な提案って気もしないわけでもないが、
新たな感性の開拓に一役かっているつもりではある。
楽器というのはどれでも楽々弾くということはできないが、
音を楽しんでいけるという感性は広げていくことはできる。
少し興味を広げてみるというのも悪くないと思うが・・・。
体力系の世界は限界はあるが、
感性の世界には限界というのはない。
いろんな楽しみ方のできる世界だと思う。
今回は連休中でもあり少し短めに終了・・・。
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