譜面台の陰から





                            DVDを聴く


                       
 
 
2014年もあと二日を残すのみ・・・。

振り返ってみると一年はわけもなく、

あっという間に過ぎた気がします。

いろいろ思い返してみると、

たくさん思い出されることがある。

たくさんという量の重さのわりには、

一年は、紙風船を手のひらに乗せているほどの感覚だ。

何もしていないとこの紙風船の軽さだけで、

一年というのは過ぎてしまうのだという気がする。

ま、これはもちろん個人的な感覚のことでしかないのですが・・・。


 一年の終わりに来て、

ちょっとしたことが気持ちに引っかかった。

この教室では発表会とクリスマス会で、

DVDを希望者には製作して渡している。

発表会を始めたころはカセットテープだった。

それがビデオテープになり、

今ではDVDになったというわけだ。

40回も越えてやっていると、

こういうところにも時代を感じさせるものがある。

こういう演奏の記録というのは演奏者の手元に渡った後、

どういう運命になっているのだろう・・・。

あまり考えたこともなかったのだが、

最近になってほぼ誰も見直すことがないことが分かった。

全員が見ていないということでもないと思うが、

ほとんど目に触れることもなく、

タンスの奥へとが定位置になってしまってるらしいということが、

話を聞いていてわかった。

一回も見ることもなく、

なんで残していくのかと思ってしまうのだが、

それこそ個人の自由であるからとくにどうということもないのだが、

自分自身個人的に思うのは、

ただ残して何十年後かに見てなんになるのかということだ。

何十年もたてば今よりは若い自分がいるのは当たり前だが、

それを確認するために見るわけでもないと思う。

では、なぜだろうという疑問がわいてくる。

 こういう演奏の記録というのは、

直後に見るから価値があるのではないかと思う。

そういうと「とんでもない」と必ず言われる。

なぜとんでもないのかとなかなか気づけないでいた。

ようやく最近気づいたところでは、

自分が演奏してる状態を見聞きするのが、

恥ずかしい、怖いということらしい。

自分一人で見るのに恥ずかしいもないもんだと、

はこちらの勝手なお見込みなんだと思う。

しかし、少し見方を変えてみてほしいと思う。

自分の演奏というのは絶対に客席で直接聴くことはできない。

自分の顔が直で見られないのと同じだ。

実際にはどういう演奏をしていたのかは、

絶対に分かることはないということだ。

それを知るためにはDVDというのは非常に貴重な記録源だと思う。

一度演奏してしまったものはもう自分の手からは離れてしまっていて、

一人称からは外れたところにある。

DVDに写っている自分というのは、

実は全然関係のない人になってしまっている。

DVDに写っている自分が恥ずかしいと言っても、

もう実際には自分ではないということだ。

DVDから出てくる演奏を客観的に批評する対象でしかない。

要するにDVDから出てくる演奏も一人称で聴いても意味がないし、

失敗していようが成功していようが、

すでに自分とは関係ない演奏になってしまっているということだ。

要するに聴きながら批評できる位置に座っているということだ。

DVDに写っている自分の姿が、

実際にその時に客席から見えてる姿だとは思わないほうがいい。

実際に空気を通してみている立体的は形と、

DVDという機械で写している平面的な姿は一致していない。

DVDを何枚もダビングしていると、

実際に見えてるのとは全く違うと思う。

まして演奏となれば聴こえている演奏とは似ても似つかない。

よく、DVDの自分の演奏を聴いて、

あまりにひどいのでびっくりしたという話をよく聞く。

「えっ!そう・・・」と言葉を失うことが少なくない。

実際に聴いた感想からするとまったく一致していない一言だ。

やはり、DVDから出てくる演奏と実際に聴いた演奏とは、

あきらかにずれている。

DVDの演奏をもってして、

よかったか悪かったかは言えないといういことだ。

 フィギュアスケートの日本選手権をテレビで見ていた。

まあ、皆さん凄いね。

しかし、所詮テレビで見ているだけでは、

演技のホントの良し悪しは判断できない。

実際に見ていてはっきりわかるのは、

ジャンプでコケたくらいのことだ。

解説者がなにを言っていてもよくは分からない。

ただ言われたことを追認してるだけに過ぎない。

実際に会場の席に座ってその空気感の中でないと、

選手の熱気も力強さもジャンプのキレも何もわからない。

順位が付けばそうだなというやはり追認でしかない。

男子の場合は次元がすでに違うのでこれは別だろう・・・。

 話が別にいってしまった感じだが、

実はこれもよく似た現象だと思う。

DVDの演奏というのは、

実はその場の客席にいた演奏とはまるで違う。

その場の空気感までDVDは写し取っているわけでもない。

実際は演奏者と聴き手の間には距離があり、

DVDはその距離も全くパフォーマンスしてはいない。

ここまで書くとそんなもの必よないじゃないかということになる。

では、一番大事なことは何か・・・。

 DVDの演奏からわかることはまず「テンポ」

それと弾いた「本人にしかわからないミス」

「度忘れしたフレーズ」

「演奏姿勢」

「全体の統一感があるのかないのか・・・」

そのくらいのことは確実にわかる。

音色はまったく意味不明の状態でまったく分からない。

安ビデオカメラのマイクで音色まで録音できるわけがない。

音は聞こえてきても温色に関しては、

まったく論を持つことはできない。

ここまで読んでいただくと、

だいたいDVDの自分の演奏の聴き方は、

どうあるべきかが見えてくるのではないかと思う。

 DVDというのは後生大事に保管しておくべきものでは決してなく、

聴いた直後に客観的に分かることは、

前に書いた5つのこと。

これを客観的にチェックできるのは、

DVDの演奏を聴いてのみで、

この機会をスル―してしまうのはもったいない話だ。

たぶん顔の部分が写ってないと客観的に聴けるんだと思う。

でも、自分がそのまま写ってると思わないほうがいいことは確かだ。

そんなことはとりあえず無視して、

しっかり客観的にDVDから出てくる演奏をチェックすることが、

上達の早道であることは間違いない。

練習して曲のことを一番知っているのは自分で、

五つのことをしっかりチェックすれば、

一回のレッスンよりより大きな収穫が得られる。

参加費プラスアルファの収穫が間違いなく得られるということだ。

そこから得られたことをレッスンで俎上に乗せても、

より効果的な練習に結び付けられるのではないかと思う。

DVDを買う金額以上の意味があることを忘れてはならないと思う。

今使わなければ意味がないということも忘れてはならないと思う。

いい演奏だったか悪い演奏だったかを論じても、

全く意味がないということだだけ最後に言っておきたい。

自分のギターの演奏を上達させる最良のものであることには間違いはない。

 書いているうちに除夜の鐘まで、また一段と近づいてしまった・・・。




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