譜面台の陰から
>演奏し終わった曲は…<
ギターを習っている皆さんは、
一度発表会などの本番で演奏した曲というのは、
どうしてるのだろう・・・。
気温のまた一気に下がった今日この頃、
フト考えてみたりしてるわけですが、
実際人前で演奏するとなれば相当な練習をしているわけで、
そのかける時間と気合と情熱はかなりのハイレベルなものだと思う。
やはりギターという楽器は、
譜面を見て弾くというのは基本的に難しい楽器で、
ある程度のレベルの曲を弾くとなると、
まず暗譜しなければならない。
それはそれでかなりいいトレーニングではあるわけですが、
そこまでして時間と労力をかけて暗譜し舞台で演奏した曲というのは、
どこにしまわれてしまうのだろうか・・・。
特に追跡調査をしたこともないので、
その後というのはほとんど謎のまま今に至るわけですが、
特に二度目の演奏というのはほとんど聞いたことがないので、
永遠の時間の彼方へ消えて行ってしまってるのではないかと思う。
そう考えてみるとなんだかもったいないような気がしないでもない。
本番の舞台で弾いた曲にかけた時間と気力と体力というのは、
人生の時間軸で計るとどのくらいのウエートを占めるのだろうか、
それほど短くもないのではないだろうか・・・。
しかし、一度演奏してしまうとその曲は埃にまみれ、カビが生えて、
最後にはまったく無の常態に戻ってしまう。
無というのは少し極端という気もするが、
ようやく形が分かるというところまで朽ちてしまうのではないだろうか。
そのような状態の曲が山積みされているというのが、
その後の実態なのかなと勝手に想像してみたりする・・・。
そうでない場合も多々あるとして一般的にという話だ。
一度本番で弾いた曲なら、
もう弾く興味もなくってしまうというのがあるのかもしれない。
とにかく全精力を傾けて舞台で演奏するわけだから、
それも仕方ないかという気はする。
人によっては曲にとっては可愛そうなのだが、
二度と見たくもないというふうに嫌われてしまうこともある。
手こずった曲だったりすると余計そういう気分になるのかもしれない。
つれなく捨てられてしまう運命というのもちょっと寂しい気はする。
この一度本番の舞台で演奏した曲の扱いをどうするのか・・・。
ある程度の曲であれば一回の舞台で完成させることのできない場合もあると思う。
そんな場合、出来れば繰り返し演奏するのが望ましいと思う。
繰り返しながら完成させるようということだ。
繰り返し完成させるために練習を少しづつでもつづけるということは、
演奏テクニックのレベルを上げていくことにもなる。
もちろんそうしている人もいるとは思う。
しかし、そのまま二度と顧みない人もいるのも事実。
次の曲に取り掛かってしまうと、
なかなか練習する時間が取れないということもあると思う。
それをそうだと言ってしまうと、
この話はそこで、ハイそれまでよ、ということで終わりになってしまう。
では、もう一度、
一度は終わった曲を引っ張り出すにはどうしたらいいだろうか・・・。
一番手っ取り早いのがもう一度人前で弾くことだ。
一度完成してる曲であれば、
それほど手間をかけずに弾くことはできると思う。
人前で弾くことを繰り返すほどたまは短縮されて、
完成度も上がってくる。
そこで初めて自分のものになるといえるようになると思う。
もう二度と見たくないというふうに嫌われてしまった曲は、
なんともはや哀れではある。
しかし、時間と気合と情熱をもって仕上げた曲であれば、
自分のものにしておいて悪かろうはずもない。
一度弾いた曲をそのまま忘れ去って、
何が悪いのかということもあると思う。
まったく悪いことはないと思う。
ただここで気をつけなくてはいけないこともある。
一度完成させた曲というのは、
弾くために繰り返し練習を重ねた、
テンポ、テクニック、暗譜・・・、
これすべて最終的に何もしなければ消えてなくなってしまうということだ。
いくら本番でしっかり弾きこなした曲でも、
半年も見向きもしないでいると、
まったく覚えていないことがほとんどだと思う。
この覚えていないということは、
楽譜を忘れたということにとどまらず、
指の動かし方、テンポの取り方すべてにおいて消えてしまってると思う。
大変な思いで習得したその曲に対する技術的な運動も消えてしまっていると思う。
酷いことになると初めて動かしたような状態になってる場合もあると思う。
要するに簡単に言ってしまうと、
この曲に対して得たすべてのことは忘れてしまったということだ。
これはどういうことを意味するかというと、
積み重ねるべきものがそこで失われてしまったということだ。
よく新曲になると、
まったく初めて指を動かすような状態になってるという経験があると思う。
前の曲とそれほどの差はないにもかかわらず、
まったく一から指を動かさなければならない、
ということに直面することがあると思う。
あれだけたくさん練習してきてるのなぜだろうと、
自分に不思議な感じを抱くこともあると思う。
それはなぜかというと、
前の曲を忘れると同時にその曲を弾きこなした技術的なことも、
忘れてしまうということが原因になってると思う。
要するに積み重なってないのだ・・・。
アマチュアであればなかなか複数演奏する機会を得るのは、
なかなか難しいことでもあると思う。
プレギタリストでもしょっちゅう本番で弾ける人というのはそうはいないと思う。
だからこそ複数本番の演奏機会を持てるということは貴重だと思う。
ギターという楽器を弾きこなす技術の積み重ねというのは、
一度弾いた曲の技術の積み重ねということになるから、
本番で一度弾いたらおしまいというのではなく、
繰り返し弾いていくという意識は持っていったほうがいいと思う。
なかなか社会人になると難しい面というのはあるとは思いますが、
意識があるということと初めからないということでは全く違うと思う。
これも一つ上達ということの範疇に入ってくるのだと思う。
上達というのは弾きこなす技術の積み重ねとイコールだと思う。
一つ弾きこなした技術を全く無しにしてしまうということは、
積み重ねということから考えるとどうだろうか・・・。
少しづつの積み重ねではあっても、
ゼロではできないことのために、
少しづつ積み重ねるというのがベストだと思う。
趣味という定義の範疇には少しづつというのも含まれると思う。
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