譜面台の陰から





                            >思い込み<




猛暑の夏。

今年の夏は特にひどい高温になった。

気象台観測以来最高になったらしい・・・。

8月のお盆の時期としてはということですが・・・。

それにしても今世紀最大の高温になったことは確からしい。

日本の気候もどんどん厳しくなっていきますね。


 ギターに限らずなにか創造するという作業をしていると、

最初はともかくも次第に情報量というのは増えていくものだと思う。

それ自体悪いことではなく、

むしろ歓迎するべきことではありますが、

良い部分と悪い部分との両方の性質を持っているのが、

この情報というものではないかと思う。

 最初ギターを持った時というのは何も知識もなく、

単純に弾けるようになってみたいな、

というほとんど白紙の状態で弾きはじめると思う。

この状態の時にあまり置かれている状況とかけ離れた情報が入ってくると、

なにやら飛躍的な思考となってしまってだいたいうまくいかないことが多い。

ほとんど白紙の状態の時に入ってくる情報というのは、

極めて慎重でなければならない。

しかし、この白紙の状態がそのまま続くということもまずない。

次第にいろんな方向からいろんな情報が入ってくるようになると思う。

その情報の質が良ければそれはそれで大きなプラスになると思う。

しかし、逆にあれっ?と思うような情報が入ってきて、

それに飲み込まれるとだいたいおかしな方向へ舵を切ってしまう・・・。

一番大きなマイナスとなるのは、

演奏に関する情報によっておこるいわゆる思い込みだ。

音楽というのが厄介なところは、

絵画などと違って具体的に形が見えるわけではないということだ。

具体的な形として見えるものであれば、

言葉で説明すればだいたいどういう状況にいるかということがわかると思う。

しかし、形として見えないものを言葉で形を説明しても、

なかなか全体は伝わりにくい。

もちろん表現方法が適切であれば、

かなりのところまでは伝えることができるとは思う。

しかし、楽器を弾く人というのは、

なかなか小説など書く人とは違って、

言葉のボキャブラリーが豊富というわけにもいかない。

そこで起こってくるのが思い込みという思考状態だと思う。

たとえば非常に簡単な例でいうと、

ジョン・ウィリアム氏の演奏が素晴らしい。

ジョン・ウィリアムス氏の演奏を御手本にして曲を仕上げよう。

これ自体は特に思い込みということにはならないと思う。

しかし、練習段階でジョン・ウィリアム氏と、

同じ曲を練習していたりすると、

ジョン・ウィリアムスと同じ高さの位置まで、

弾けないとダメなのではないかということが出てくると、

ここからは思い込みということになる。

ジョン・ウィリアムス氏と同じような演奏というのはまず無理。

しかし、ここが思い込みの怖いところで、

同じように弾けないから駄目だという結論を、

へたすると出してしまいかねない。

こうなるともう最悪というしかない。

自分という個人と向き合うことができなくなってしまい、

異次元の方向でものを考えてしまう・・・。

これは単純なたとえばの例で、

もっといろんなことで思い込みというのは存在すると思う。

 今一番影響を受けやすいのはyou tubeだ。

そこから得る情報というのは絶大で、

すぐに影響されてその演奏を目指そうとしてしまう。

形として目に見えないものの怖さだと思う。

耳から入ってくる情報を自分の演奏する曲の輪郭と解釈してしまう。

ジョン・ウィリアムス氏のyou tubeでの演奏は素晴らしいし、

そこの高みで演奏できればと考えるのは当然だと思う。

ほとんど憧れということだ。

憧れているところで弾きたいと思うのはある意味当然ではあると思う。

しかし、普通の人がその次元までいくのはまず不可能だ。

相手は世紀を代表するような天才だ。

そこと同じ位置でというのはやはり無理がある。

言われてみれば確かにそうだということでも、

いったん思い込みの世界に入ってしまうと、

簡単になかなか抜け出せない・・・。

あまりいいたとえでもないが、

音楽における洗脳状態になってしまうと言えるかもしれない。

この思い込みから脱するというのは意外と難しくて、

大人になるほど難しい・・・。

子供はそもそもそんな理想とするものは持ってないから、

思い込みはほとんどない。

自分の世界でできる範囲を目指している。

子供がミスなく演奏できるのはこのことが大きな理由になる。


 この演奏ということに関しての思い込みというのを外すには、

どうしたらいいのだろうか・・・。

you tubeを見るなと思っても曲を知ろうとすれば、

必然的に見てしまうということがある。

ジョン・ウィリアムス氏の演奏は演奏。

天才の演奏であり自分とは全く関係がないとまず割り切らないとダメだ。

とりあえずyou tubeで曲を知ったら、

自分の技量としっかり向き合って、

まず適切なテンポを導き出すことが大事だと思う。

you tubeを見て最も多くが間違えるのがテンポだ。

ジョン・ウィリアムス氏のような天才のテンポは参考にはならない。

曲を知ったうえで一から創っていくという覚悟を決めて取り組まないと、

なかなかその人にとってのいい結果は出にくい。

やみくもに練習しても曲というのは、

いい出来上がりというのはあまり期待出来ない。

その曲の持っているレベルと状況をよく判断して、

一つ一つを吟味して、

そのうえで、自分の演奏する曲というのを作り上げていくことが一番大事だと思う。

同じ富士山の絵でも人によって異なる。

これは当然だとすぐわかる。

葛飾北斎の絵とたま子の書いた富士山の絵はまったく違う。

似ても似つかない・・・。

それでも評価はいずれも高い。

それは曲に関しても言えて、

たとえばジョン・ウィリアムスとは全く違う切り口で演奏したとしても、

それはそれで価値は高いと思う。

ギターを演奏する人はとにかくテンポを目指すようなところがあるのは、

一種の思い込みのなせる業だという気がする。

一人一人持っているものが違ういじょう、

百人いたら百通りの演奏が存在しても当然という気がする。

これから芸術の秋。

猛暑でふやけた脳みそを引き締めて練習していくのもいいかも・・・。


 猛暑の中ということで乱筆乱文をご容赦を・・・。





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