譜面台の陰から





                          >限界と可能性<





 限界と可能性という相反する言葉を内包していいるのが、

楽器を演奏するという世界だと思う。

他の世界よりはっきりとして見えるものだと思う。

この二つの言葉はどういうときに現れて、

どういう作用を及ぼしていくのだろう・・・。

この言葉の現れ方というのは実に個人差が大きい。

しかし、楽器の演奏を学んでいる過程で出てくるこの言葉というのは、

まず的を射てはいないことが多い。

だいたい線引きが曖昧なまま使っていることがほとんどだ。


 限界という言葉が当てはまらない過程の途中で、

結構簡単にこの言葉を使っている場合がほとんどで、

まあ、自分に枠をはめたがる人間の特性通りという気がしないでもない。

自分で枠をはめて逃げ道を作るというのかな・・・。

しかし、演奏法を学んでいる過程で枠をはめてしまうのは、

実際どうかとも思う。

そこは音なのの人間であれば、

限界を試しながら進もうということだと思う。

限界点を作っていくと楽ということは確かにあると思う。

子供にはこの限界点という感覚はないから、

親が作っていくことになる・・・。

それが良いか悪いかはまた別の話になるとは思うが・・・。


 このように子供の時から枠を作ることを教えられていけば、

当然大人になって枠を自分で作るようになる。

歳とともに自分の立っている位置と、

この限界点との距離が縮まってくるのも人間の特徴だと思う。

ある程度の年齢なるとよく「歳をとりたくないね」という言葉を聞くが、

この言葉こそ限界点と自分との距離が縮まったことを現している言葉はない・・・。


 この限界という言葉を可能性という言葉に代えられないだろうか・・・。

もっと踏み込んで限界を可能性に変えられないだろうか・・・。

これはかなり難しいことの一つだとは思う。

どんな人間にもどこかには限界点というものがあり、

最終的な限界点というものは超えることができない。

一番はっきりしているのは人類共通の限界点である死だ。

これは誰も超えることはできない・・・。

そこまでの話をしてもこれまたまったく意味がない。

もう少し身近なところで限界を可能性に変えられないかということだ。

ものすごく狭めて楽器を学んでいる過程でのところに絞ってみたい。

当然ながら人間の生き死にのところでの限界論を書いても意味がない・・・。


 楽器を演奏していて限界を感じる時というのはどういうときだろう。

指が思っているほど速く移動できない。

ある一定の押さえ方ができない。

このへんはごく初歩的な限界点といえるかもしれない。

もっと進んでくるとセゴビアやジョン・ウィリアムスのように演奏できない。

これが限界点として出てくることもある。

これはこちらがびっくりするほどの限界論ではあるが・・・。


 ギターを演奏していくうえでの限界論を可能性に変えていくには、

どうしたらいいだろうかまたどう考えていったらいいのだろうか・・・。

楽器演奏の難しさというのはほとんどの場合解決方法というのはあると思う。

完全無欠な演奏を想定していればそれは無理な話だ。

素手で完全無欠な円を描くのと同じでまず不可能だろう。

 曲を演奏するということは、

単純に一方方向から見るのではなく、

多方面から見て出来上がっていくものだと思う。

ここが音楽の不思議なところで、

完全無欠なコンピューター演奏が何も感じさせないというのがまずある。

コンピューターで演奏させれば音の長さもリズムも完璧に演奏するだろう。

しかし、こういう演奏こそ「だからなんだ」、

ということになる演奏の典型だと思う。

そんなものでは感性の世界にある音楽は成立しない。

ということはいろんな見方考え方の集合体が、

感性の中の音楽といいうことになる。

要するに凸凹状態だということだ。


 こう考えていくと、

限界が可能性に変化することは何ら不思議なことではないと思う。

一つの方向から見てダメだということになれば別の角度から見れば、

また新たな可能性となって見えてくると思う。

限界を迎えた方向性から見る角度を変えて可能性を作り出す。

曲というのはすべからくそれが可能だということだ。

完全無欠が理想というのであれば、

コンピューターで演奏させればすべては終わりだ。

人間が演奏するということはすべては終わりにならないということだ。

一つの限界に突き当たれば次の道筋の可能性が生まれる。

これが曲を演奏することの醍醐味であり面白さだと思う。

限界という枠を作って後ろ向きになるのではなく、

後ろ向きになるのではなくて、

少し角度を変えてみてほしい・・・。

必ず新たな可能性が見えてくるはずだ。

こう見てくるとどんな曲にも限界はないし、

常に凸凹状態であることが分かると思う。

この凸凹が面白いということになるのだと思う。

ただし音楽には基本的なルールがある。

このルールから逸脱しては本末転倒となりかねないから注意だ。


 限界が見えた時に次の可能性が見えてくるとなると、

それだけでも楽器を演奏するというのは、

面白いと思えるのではないだろうか・・・。

 人間というのは、こういう世界では一つの方向性に凝り固まりやすい。

そういう状態こそ限界点という限界の枠を作り出す、

最大の原因ではないかと思う。




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