譜面台の陰から
>アンサンブルについて<
発表会がもうすぐのところまで来て、
今年のアンサンブルの練習がはじまった。
去年は2つのグループでアンサンブル演奏が行われたが、
今年は一つ増えて3つのアンサンブルのグループが出来た。
これはこれで楽しみが3つになったと素直に喜びたい。
アンサンブルの重要性というのは以前にも書いたことがあるが、
かいつまんで3つ・・・。
ギターの特徴の一つ、
複数で合わせることが出来る。
テンポを自分のテンポから離れて演奏する。
リズムを自分なりからもう一歩踏み込んで修正できる。
こも3つはアンサンブルをやるうえで最も重要ともわれる部分だ。
後はみんなで弾けば怖くないという側面もあって、
それはそれでギターを楽しむことが出来る。
ギターをよく言われるように独奏楽器としての面が強く、
それが強みでもあり弱みでもあるという両面を持った楽器だと思う。
メロディーに盤祖を自前で付けられるというのは、
ギターという楽器の最も誇れる特徴の一つだと思う。
やはりメロディーにハーモニーがついてくるというのは、
人間の感性にとって非常に心地よいものだと思う。
しかし、その一台で独奏曲が弾けてしまうというのは、
便利でいて大きな落とし穴があることも確かだ。
いわゆるリズムとテンポと音符の長さが、
無意識のうちにないがしろにされやすくなるという落とし穴だ。
これは目に見えるものではないから、
誰でも同じ時間的長さで区切ることが出来ない・・・。
そこでどうなっていくかというと、
いわゆる大体のところで、が普通になってしまう。
この大体のところで、が全部の弾き手で実行されれば、
百花繚乱・・・、
ひとつの同じ曲がすべて違った曲になって出現するのもありうるということだ。
これを芸術ということにあてはめればそれでもOKになるのだろうが、
同じ曲はやはり統一感を持って聞こえてほしいというのが、
聴き手の偽らず要望だろう。
しかし、この目に見えないものを、
感覚で判断しなければならないとなると、
その方法論になってくると思う。
方法論となるとまず浮かぶのが、
アンサンブルするということだろう。
アンサンブルにも種類があって、
ひとつのパートを2〜3人で弾くスタイル。
ひとつのパートを一人で担当するスタイル。
当然ながら一人で一つのパートを受け持つ方が高度になってくる。
テンポ、リズムをまず考えるのであれば、
ひとつのパートを複数で弾いてみるのが一番わかりやすいと思う。
隣で弾いてるのと自分の弾いてるのがズレれば、
どちらかが間違って弾いたことになる。
要するにこの場合、鏡で自分を見てるようなものになると思う。
鏡に映ってる自分が実際の自分とは違った動きをすれば、
オヤッということになるだろう。
おやっと思うと同時に動きを合わせにかかると思う。
やはり動きが違うというのはかなり違和感があるからだ。
アンサンブルも同じことで、
相手がそもそもは同じ動きでなければならないのに、
違っていれば合わせようとすると思う。
もっともどちらが違ってるかを見るには、
やはり中立であるメトロノームということになるが・・・。
そこでしっかりとしたリズムテンポをマスターすれば、
複数の自分は同じ動きで統一できると思う。
その時点で独りよがり的なテンポリズムは修正されたことになる。
アンサンブルをするということは、
指の動きとかそういう目で見えるテクニックとは、
別の視点での上達が可能になってくると思う。
指の動きだけを上達の目安にすると、
非常に厳しい状態の音楽が出来上がってくると思う。
もちろん目で見える部分の練習も重要だとは思うが、
それだけでは総合的な上達は難しい・・・。
目では見えない感覚的なものの練習を抜きにしてはいけないと思う。
音符の高さは目で測れても長さは目で測れない・・・。
この感覚的な部分が音楽には多く含まれている。
その部分の練習にはアンサンブルが一番適してるのではないかと思う。
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