譜面台の陰から



                   


                           >基本について<






 ここのところ全くギターを持ったことも、
楽譜に触れた経験もごくわずかだったという、
生徒のみなさんの弾く曲の難度が、
かなり上がってきたことに驚いている。

 レッスンを始めた時には大丈夫かなと思わせる生徒の曲の難度も、
なんと高等科の曲を練習している。
一人などという人数ではなくて、
教室の規模からしたら驚くほどの人数に至っている。
こうした予想外の上達というのはどこから来るのだろうか・・・。
本人の努力も当然ながらそれだけでは絶対にない・・・。
では、なにが本人のレベルを引上げ、
滞ることもなく難度の高い曲に挑戦できるのだろうか・・・。

 レッスンの一番最初の「ちょうちょ」を、
レッスン一コマの時間を全部を使わないと弾けなかった生徒が、
F・ソルの曲もこなすようになる・・・。
そしてまだまだ上を目指せる余裕がある。
レッスンをしていてもなんとも驚くばかりだ。
これはどこに秘訣があるのだろうか・・・。
やはりここで一番強く感じるのは基本力の充実だと思う。

 ギターという楽器は左手4本の指でフレットを押さえて音を出す、
という簡単に言うとこれだけの仕組みだ。
フレットを押さえれば誰でも簡単に音を出すことができる。
右手も爪があるなしにかかわらず弦をひっかけば簡単に音が出る。
言ってみれば一番簡単な仕組みかもしれない・・・。

 しかし、簡単な仕組みにもかかわらず、
なかなか思うようには弾けるようにはならない。
演奏している人を見ると、
いとも簡単に演奏しているようにも見える。
実際音を出すことも簡単にできる。
しかし、曲を弾こうとするとまず思うようにはならない。
コードを弾こうとしてもまず音は出せない・・・。

 なぜ簡単に押さえて音が出せる楽器が、
こうも思うようにならないのだろうか・・・。
不思議に感じる人も多いいと思う。

 やはりそこには弾くことに必要な基本的な動きがあるようだ。
そこを無視したのでは音を出せても、
つなげて弾くことはできないということだ。

 そんなに難しいことなのだろうか・・・。
ある程度の指の動きをマスターして弾けば、
ある程度の曲はつなげて弾くことができる。
しかし、ある程度の指の動きのレベルによって、
弾ける曲の難度は決まってくる。

 同じ曲を押さえて弾く指に、
はたしてどんな違いがあるのだろうか・・・。
なぜ、そこまでとそれより先という差ができるのだろうか・・・。

 そこで一番肝心なことは押さえる指と、
弾く指は一本一本違うということだ。
左手の小指と人差し指が同じであることは完璧にない。
左手の親指と人差し指が同じであるということも完璧にない。
このそれぞれ正確に違う指が、
フレットをそれこそ共同作業で押さえて曲を作り出すのだ。

 この一本一本違う指を統一した動きにまとめるのが、
演奏するための基本の練習となる。

 ただ出たとこ勝負で無理やり押さえていてはだめだということだ。
意外とこの単純な基本的な練習というのが忘れられていることが多い。
無理やり押さえて弦を弾いても楽器というのは、
そこそこは演奏できるものだと思う。

 では、なぜ上達するしないが生まれてくるのだろうか・・・。
ここで先に書いた、
指は一本一本違うということを思い出していただきたい・・・。
一本一本違う指を統一的に制御していければ、
より高度なところへ登ることができるのではないか・・・。

 結局、この一本一本違う指の統一した制御を可能にするのが、
基本練習だということができる。

 以前、体操王国だったころのソ連の選手が、
どんなすごい練習をしているのだろうと、
見学に行ったコーチが、
そのあまりに単純な練習の繰り返しに、
驚嘆したという話を聞いたことがある。

 ジュニアの選手にいたっては足のつま先を伸ばして、
回るだけという練習をしているそうだ。
しかし、選手としてオリンピックに出てくると、
皆素晴らしい演技をする。
そのコーチの考え方は180度変わったということだ。

 ということはギターに置き換えれば、
いくら難しい曲を無理やり弾こうとしても、
なかなか難しいということだ。
たはり同じように単純な基本練習の積み重ねが、
より可能性を広げていくということだろう。

 基本の完成度によってその後の上達は決まる。
「ちょうちょ」を30分かけて演奏していた生徒の方の上達を押し上げたのも、
まさしくこの基本の上達に正比例していると思う。

 基本というのはまず単純なことの繰り返しだと思う。
だいたいは積極的にやりたいと思うような練習ではないものだ。
一番簡単にできるのはそれが習慣化された時だろう。
そう考えるとやはり最初に取り組む時の状況というのは、
かなり大事だということがわかる。

 しかし、これもすべての人に当てはまるとも限らない。
なぜならA・セゴヴィアは独学の天才であることを考えると、
すべての人がこれに当てはまるものではないということがわかる。
人間というのはまさに多様性を持った動物だということができる。
人間ほど形の定めにくい動物はいないのではないだろうか・・・。
だから基本という形に収めようとするのだろうが、
そもそもそれもすべての人が当てはまることではない、
ということがことを難しくする。


基本というのはシンプルなほど効果が高い。

練習を休んで最初に忘れるのが基本だと思う・・・。

教訓的な覚書でこの稿は幕・・・。



 
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