譜面台の陰から


                    >先生!<


 先生!、なんて言うと、

昭和世代だと森昌子を思い浮かべるのかな・・・。

まあ、古い話になりますが、

結構印象的な歌でしたよね。

今となっては何世代も前って感じかな・・・。

 そんなことは、まあ置いといて。

今、練習してる曲の先生というのは誰ですか?

教室の先生に決まってると言われれば、

そうだということではあります。

しかし、一曲に向かい合って練習を始めて、

もっとも先生らしい先生になるのは練習してる本人なんですね。

教室の先生というのは基本的には、

基本を言っているに過ぎない存在なんですね。

この音符の長さはどうしたとか、

休符はどうしたとか・・・。

まあ、もちろんこれだけではないわけですが、

それほど練習してる本人の内側まで踏み込んでるわけじゃないんですね。

練習についてかかわってるのは、

ほんとに一部じゃないかと思います。

ほんとの先生というのは、

練習してる本人の中に存在してると思うんですね。

ようするに、曲を練習してる自分とそれを管理してる自分・・・。

レッスンの時に横に座ってる先生というのは、

単なるアドバイザーに過ぎないんですね。

もちろんそこにはかなり有益なことも含まれてるのですが、

ほんとに演奏してる本人に向かい合ってる先生というのは、

まさに自分の中にいるんですよね。

この曲のテンポはどうする・・・。

ここの部分はどう演奏する・・・。

演奏していて間違ってるところはないのか・・・。

これ全部、自分の中の先生が決めていくことなんですね。

曲の出来上がりというのは、

この自分の中の先生が決めてるんですよね。

隣りにいる先生が決めてると思ったら大間違いだって。

今の時代、スマホで簡単に自分の演奏を録音できる。

録音した演奏をすぐに自分でチェックすることができる。

録音されている演奏する自分を客観的に聴いて、

あうだこうだ判断するのは聴いてる自分の中の先生。

その先生にいろいろ判断する材料を言ってるのが隣の先生。

隣りの先生の言ってることは、

曲の基本的なことを言ってるに過ぎないので、

最終的に判断するのは自分の中の先生ということになります。

自分の中の先生がこれでいいよってことになれば、

その演奏なんですよ。

もう少しその演奏に自分の中の先生が課題を見つけて、

指摘していけば、指摘したうえでの演奏になるんですよ。

その指摘がどのくらい厳しいのか甘いのかで、

演奏って決まってくるんですよね。

自分の名あの先生が、あまり過大なことを演奏者に求めても、

それは演奏自体が厳しくなる一方ですかね。

その匙加減をどう持っていくのかというのも、

自分の中の先生が決めていくことになるんですね。

ただ自分の中の先生も大甘になったりやたら厳しくなったりするので、

そこの大きなかじ取りは隣の先生の役目ではあるんですが、

最終的にどういう姿で演奏するかは、

自分の中の先生しだいになりますね。

自分の演奏をどうしていくかは、

結局自分の中の先生しだいになります。

どう演奏したらどうなるか・・・。

初心者の方はなかなか難しいですが、

ある程度キャリアを積んでくれば、

どういう場所だから取り組んでる曲をどう演奏するか、

自分の中の先生が判断していくことになりますね。

自分の練習してる時の演奏を録音してじっくり聴けば、

いろいろな状況が見えてくると思うのですね。

そこから自分の中の先生との協議になるわけです。

そこで導き出された答えが、

実際の本番での演奏になるんですね。

実際、人前での演奏というのは、

偶然というのは、ほぼないですから、

練習していく上での自分の中の先生とのディスカッションというのは、

きわめて重要なことだと思います。

これから緊張感のある演奏会、発表会に向かっていくわけですが、

自分の中の先生というのは、

どんどん重要度が増してくるんじゃないですかね。


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