譜面台の陰から



                   


                           >演奏について<





 「いい演奏だった…。」
「いまいちだった」
演奏を聴いた後によく聞かれる言葉だ。
この対象となる演奏はいったいどういう演奏を言うのだろうか。
これは範囲を広げてしまうと際限がない話でもある。
クラッシックギター界の帝王たる、
ジョン・ウィリアムスの演奏を聴いて、
あれは良かったこれはいまいちだった・・・。
これはほとんど一個人の好みの問題の話だと思う。
まあ、コンサートに行って、
あーでもないこーでもないというのはすべてこの範疇だろう。

 では、もっと身近のアマチュアの世界での話はどうだろうか、
もちろんここでも好みの範疇というのは存在してて、
それはもう千差万別となる。

 もっと範囲を狭めてみたらどうだろうか。
好みという情緒的な部分をちょっと枠外に置いて、
演奏として「よかった」「いまいちだった」
というところまで範囲を狭めてみたらどうだろうか。
これは比較的統一した見解で語れる範囲だと思う。
あんまり外れた意見というのは出にくいと思う・・・。

 では、具体的によかった演奏というのは、
大体どのへんを聞いて判断できるのだろうか。

 一つに音がしっかり出ていた演奏。
これは音量ということでは決してない。
アマチュアの場合練習する場所が限られているわけだから、
必ずしも大音量で練習できるとは限らない。
音量はそこそこということで、
音量についてははずれてもらおう・・・。

 音がシッカリ出ていたかどうかは、
楽譜に書かれている音が、
その演奏から全部聞こえてきただろうかということだ。
これは比較的善し悪しの判断はつけやすいことだと思う。

 たとえば一曲に100の音符あるとして、
40パーセントしか音が出ていないとしたら、
これはギターが演奏できない人がきいても、
いま一に聞こえる演奏だろう。

 60パーセントだとどうだろう。
力なくまあまあという答えられる範囲。

 70パーセントを超えてくると、
聴き終わったあと惜しいという感想が出てくる。
あと一息じゃないかという話になる状況だ。

 80パーセントを超えてしっかり聞こえてくると、
「よかったよかった」という反応になってくる。

 90パーセントを超えてしっかり弾けていれば、
これは大成功と言える演奏になる。

 かなり細かく分けてみたが、
実際はこれだけで判断されるものでもないから、
そこだけ気にしても仕方がないともいえるわけだが・・・。

 では次に、音が出た状態で、
何がプラスされるとよりよくなるだろう。

 やはりここで大きくクローズアップされるのがリズムだ。
リズムが曖昧になるということは、
音符の長さが決められた長さを逸脱して弾かれてることになる。
これもわずかな何か所単位だと、
なんとか曲の形を崩すまではいかないが、
全体的に曖昧になると、
聴いてる側になんとなく不快感を生じさせてしまう。
なんとなくモヤモヤしてしまっていて、
はっきりとした曲の輪郭聞こえてこない。
これはいまいちだと感じさせる大きな原因の一つだ。

 リズムを正確にはっきりさせるということは、
書かれている音符の長さの種類を正確に弾き分けるということだ。
その長さを正確に繋げることによって、
その曲が何を言おうとしているかを、
明確にするということがある。
何を言おうとしているのか曖昧だと、
なんとなくイライラ感というのが出るものだ。
これはもう間違いなくいまいち感のある演奏結果となってしまう。

 あともうひとつ。
以前にも書いたことがあるのだが、
やはりテンポが重要ということになる。
演奏者本人の持っている技術を上回る速さで曲が弾かれると、
どういうことが起こるだろうか。
まず真っ先に考えつくことが正確に音が出せない。
右手と左手のタイミングが合わないと音は正確には出てこない。
持てる技術以上の速さで弾かれるということは、
結局、右手と左手のタイミングが合わなくなる、
ということと間違いなくイコールだ。
そしてそのことによって、
音は出てこない、リズムは崩れる・・・。
なんというかいけない演奏の三冠王的な演奏になってしまう。

 いい演奏とはというと、
どうやら範囲を狭めた状態で言えるのは、

 音が全部出せる(可能な限り)
リズムが正確に刻まれている。
テンポが演奏者持っている技量にとって適切である。

 この三つがそろうと、
情緒的な部分を除いては高得点が稼げそうだ。
いい演奏の三冠王的な演奏になりそうだ。

 これにさらに聴いている聴衆の情緒的な部分を、
刺激できる表現力があれば、
さらにいい演奏となるのは確実だ。

 しかし、この情緒的な部分を表現するのは、
なかなか難しい一面を持っている。
貴重な演奏の機会を得ているところで、
実力よりやさしい曲を練習するというのは、
どこかにやる気をそぐ抵抗感が生まれてしまう。

 人間というのは、
目標を高い所に置いて、
気分を高揚させて充実感を覚える生き物だから、
持てる力全体の60パーセントの力しか出さないという状況では、
充実感といういうのは持ちにくい。
結果、少し実力より上を目指そうということになる。
これが悪いということを言うつもりは全くない。
自己の向上をはかって練習していることを考えれば、
少しでも上を目指そうとするのは当然だ。

 しかし、これは情緒面の表出ということを考えると、
いきなり難しい状況を作り出してしまうことも確かだ。
自己の持てる技術のいっぱいいっぱいな曲で、
情緒の部分の表現をするのは不可能だからだ。

 情緒部分の表現とというのは、
非常に繊細なタッチと動きが要求される。
ダイナミズムの変化をつけることも重要な要素だ。

 しかし、そこで指の動きが意識の大部分を占めてしまうと、
そこに意識のすべてが向かってしまい、
感情の流れというのを、
自分自身で感じることができなくなってしまう。
これではそもそも情緒的な演奏というのは難しい・・・。
技術的な向上を目指そうとする意識とは結局相反する。
この辺は簡単には解決できない難しさがあると思う。

 しかし、これもすべてのレベルの人を対象にはできない。
ギターを始めて間もない人にとっては情緒もなにもない、
とりあえず一曲を弾きとおす技術力をあげることが先決だ。

 情緒的な部分の問題というのは、
少なくとも中級以上の演奏者ということができる。
中級と言ってもかなり上うにいる人からが対象となる。

まず情緒的な部分をプラスする前に、

音を全部出す。
リズムを正確に弾く。
適切なテンポで演奏する。

 この三つをしっかり追求することが大事だと思う。
それがしっかり演奏に現わすことが出来て、、
初めてプラス情緒面について語れると思う。

 まず、この三つがいい演奏と言える基本のようだ。
この基本を踏まえてこそ、
次の段階に進む権利を得るということだろうか・・・。





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