譜面台の陰から


                  >「練習曲について(2)」<


 前回も練習曲についてでしたが、

今回も練習曲について・・・なのです。

練習曲といっても演奏会用の練習曲もあります。

ソルの20のエチュードなんかそれにあたりますし、

ショパンの練習曲もコンサートで取り上げられる曲が多いですよね。

技術的にも大変難しい曲が多いです。

メロディーも引き付けるものがありますよね。

ま、カルカッシとかカルリのエチュードを、

コンサートに取り上げるというのはまずないですね。

それはそれでなかなかそうなんだろうと思います。

 カルカッシの練習曲にはいろいろなことが隠されていて、

今は、ブローウェルの練習曲など多岐にわたるものもあります。

しかし、一番注目して練習しなければいけないなと思うのは、

実は、カルカッシなんですね。

まず一番抵抗感を呼ぶのがメロディーのつまらなさ・・・、

っていう声が圧倒的多数です。

 人気のあるメロディーを聴いてみると、

ドーパミンという安定した気分を引きだすホルモンを刺激するんですね。

だからというのか気分のいいメロディーに惹かれるのは当然なんですが、

こう言うとちょっと語弊があるのですが、

カルカッシの練習曲のメロディーというのは、

今の人たちの耳には、

ドーパミンを引き出すなんてことはないんですね。

なんのいい刺激ももたらさないというか、

そんな感じにとらえられてるんですよね。

しかし、人間というのはどんなつまらないもの、ことでも、

いったんそこに意味を見出すことができれば興味がわいてくるんですね。

これは音楽に限らず面白くもおかしくもなかったことに、

ちょっとした刺激を見つければ、

そこから面白くなったりするんですよね。

人間の気分というのは常に流動的にできてるんですよね。

気分が一日で変化するなんてことは、

よく経験することじゃないかと思います。

 初心者用からけっこうな中級用へと変化していく、

カルカッシの練習曲というのはよくできてるなとは思います。

ただそこまで興味をつないでいくのは結構大変ですね。

中盤以降はとにかく早く終わりたい…この気分一色になったりします。

早く終わりたいの気分一色になったら、

そこで終わりにしてもいいんですよね。

そこで何を練習するのか、何を知っていくのか、

ただ弾くことだけではなく、

そこでその練習曲を練習する意味を考えてみると、

いろいろ発見があるんですよね。

メロディーにとらわれることなくその曲を見ることができれば、

かなり新しい発見がありますし、

その曲に対する知識と見識を増やすことができるんですよね。

カルカッシの練習曲は、

あまりぐちゃぐちゃ小難しいことは含まれてないです。

かなり分かり易いです。

この場合、ドーパミンのホルモンを刺激するかどうかは別です。

一歩引いて第三者的に見ることができれば、

かなり得ることは多いと思います。

また一度終わって通過した曲も振り返ってみてみると、

大きな意味があり、

始めた当初は分からなかったことの理解度が深まるんですね。

メロディーに対するドーパミンでけではなく、

新たな角度から新しいドーパミンを引き出していく、

つまらなかった練習曲が一つの新たなドーパミンを引き出す糧になれば、

感性の広がりにもなるんですよね。

どの楽器の世界でも練習曲というのは存在していて、

結構練習してる人は多いんですね。

ギターでも同じことです。

人間というのは必ず苦手な指の動きというのが、

曲の中にはあるんですね。

そういう動きを難しい曲の中で練習するのは大変。

練習曲の中で練習できれば一番効率は良いですよね。

ただ難しいと言ってるだけではなく、

練習の仕方も考えればかなりのバリエーションがありますよね。

練習曲を祖の練習の仕方の中に加えて、

考えていくのは重要なことですね。

もう一度練習曲を探ってみるのもいいことなのかもしれないですね。

だいぶ気候も良くなってきたので、

猛暑の中ではとても頭を使う気にもならなかったことに、

目を向けてもいいのかもしれないです

新たなドーパミンの引き出しを増やしていくことができそうですね。

とにかくまずは知ることですね。


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