譜面台の陰から
>「練習曲について」<
9月の後半からコロナ感染者がぐっと減ってきましたね。
休日の検査数が少ないということもあるらしいですが、
ワクチンの普及も大きい要素だそうです。
そういえば周りを見渡しても二回接種した人がほとんどで、
接種してない人が珍しいくらいになってます。
接種率もアメリカを追い抜いてるみたいですね。
なんとなくホッとしてる気分がありますね。
今日のお題は練習曲です。
練習曲でおなじみなのが「カルカッシ」ですよね。
以前は、練習曲を弾く人ってほとんどいなかったのですが、
最近は結構な人数の方が練習するようになってきました。
非常にいい傾向ではあるのですが、
この練習曲を弾くということがどういうことなのか、
少し考えてもいいのかな・・・。
演奏の基本的なことを知っていくということがまずあります。
まったく知らない曲を一から音符を読んで練習していく、
これは読譜力を強化するという意味もありますよね。
メロディーを知ってるような曲というのは意外と音符は読んで、
頭に流れる旋律を追ってるだけなんてこともあるんですよね。
音符はほぼ半読み状態です。
基本的に音符を読む力ということにおいては、
弱い部分があるんですね。
この状況はあまり珍しくもなく経験してるのですが、
曲自体はなかなかのレベルの曲を演奏してるのですが、
まったく知らない曲を課題に出したりすると、
びっくりするほど難航するんですね。
音符を一つ一つ拾っていく作業が全く苦手になってるんです。
まあ、指自体は動かせるので難航していく段階でその曲はカット。
メロディーのわかる曲に変更です。
こうなると弾く曲の世界はかなり狭まるんですね。
ここらあたりで、
練習曲を地道に練習してきたかどうかが分かるわけですが、
練習曲というのはだいたい面白くない曲が並んでるんですね。
しかもなんともメロディー自体が面白くない。
一回弾き通すのも難儀という感じじゃないですか・・・。
大体途中で挫折のパターンがほとんどです。
強制もできないので挫折したところで練習曲は終わりです。
カルカッシの教則本も、
そこで楽譜の一番奥に追いやられるんですよね。
今までそのパターンがいかに多かったかということです。
さして面白くもない曲が並んでるのが練習曲です。
まあ、一曲筒練習して行くわけですが、
まあ、我慢力の見本市のようになりますね。
練習曲を練習してる人としてない人の違いというのは、
少し高いところで見てると違いは歴然とあるんですよね。
やはり大きいのが読譜力の差ですね。
あと基本的な指の使い方。
また技術的なところもありますね。
かなりのレベルの曲を演奏する人でも、
スラーとかトリルの音を出せないという人って結構いますからね。
練習曲段階でどのくらい出来るようになってるのかが分かります。
練習曲でトレーニングをしてなければそもそも無理ですよね。
テンポ感をトレーニングするのも練習曲は最適です。
短い練習曲でもそもそもメロディーを知らない曲なので、
指都合でテンポが変わってしまうんですね。
指使いの難易度でテンポが変わらないように、
というのも練習できるんですよね。
カルカッシの教則本でも最初はなんとも短い曲から始まるのですが、
最後の曲になってくると長大な長さになるんですね。
ここでそれまで練習してきたいろいろなことが発揮されるわけですが、
テンポというのは結構な課題になりますね。
この長い練習曲をまとめ上げるのも実力ということになってきます。
ギターの場合、指使いでテンポが変わるというのは非常に多い現象です。
いわゆる易しい指使いのところは早く、
難しいところでは遅く・・・。
これが一曲の中で起こるわけです。
テンポというのは目に見えない部分なので、
なかなか修正することが難しですね。
テンポがぎくしゃくする演奏でうまくいったという演奏は、
今まで聴いたことがありません。
練習曲を一冊終わらせた段階で、
一からやり直すということがあります。
まだそういうことに遭遇したことはありませんが、
練習曲というのは一冊終わってやり直してみると、
最初はじめたころには見えなかったことが、
見えてくるというのも事実です。
最初に戻るということはそれだけ深堀するということです。
指の動きも断然違ってますから、
最初見えなかったことがより理解度を深めるということですね。
これは今までのところ一人もいません・・・。
面白くないと感じた曲をもう一回というのは結構厳しそうですよね。
しかし、目的を持って取り組むと、
二回目でも見え方は全く違ってきます。
練習響について語るときりがないので今回はここまでかな・・・。
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