譜面台の陰から
>伸びしろ<
令和二年、一月も終わりが目の前ですね。
令和二年も終わってみれば早かったの感想がありそうです。
一月も終わりに来て18.5℃という気温・・・。
なんだかすごいを通り越して恐ろしいですね。
オリンピックの時の天気ってどうなんだろう。
テレビで見る派を決め込んでるので、
影響はないんですが・・・。
最近ちょっとした会話の中に「伸びしろ」という一言が出てきた。
伸びしろ・・・???
なんだか相当当分の間聞くことのない言葉だった。
若いスポーツ選手を語るときにはよく聞く言葉です。
彼は投手としてまだ伸びしろがある。
また、内野手としてまだまだ伸びしろがある。
スポーツ関係の開設者なんかがよく使う言葉だ。
ある程度の年齢を過ぎるとほぼ使われない言葉でもある。
でも、この伸びしろという言葉は考えてみると面白いなと思う。
若い時は言われても当然という感じで受け止めていて、
さして気に留める言葉でもなかったかもしれない。
励ましの言葉ぐらいには受け止めていたが・・・。
しかし、今ある程度年齢を重ねてきて聞くと、
これがまた新鮮な言葉となりそうだ。
仕事の上ではある程度の年齢になれば、
それほど大きく広がることはないかもしれない。
体力的とかいろいろな要素を見ても伸びしろという言葉は苦しい。
経験値を展開することはできそうですが・・・。
いろいろ詰めて考えていくと「伸びしろ」という言葉が出てくると、
それがどこにあるんだということを考えてしまう。
しかし、音楽でも絵画でも感性の世界というのは、
年齢はあまり関係がない。
運動系というのは年齢とともに、
「伸びしろ」なんて言葉はどんどん遠くなる。
しかし、人間のもう一つの柱である感性というのは、
人間を形作るうえで体力とはそれほど関係がない。
歩いてる時間軸の中で開けるドアによって、
新しい感覚的情報が広がり、
それを取り込むことによって新しい世界を広げることができる。
感性の世界には、
それこそ死ぬまで「伸びしろ」があるってことですね。
その感性の発露として楽器演奏があり、
絵を描くということがあるんですね。
そのほかにも芸術活動というのはいろいろありますよね。
音楽の世界というのは形のない世界ですね。
演奏というのは形が具体的に見えるわけでもないので、
発信する側も受け取る側も100%フリーハンドですね。
10人でも100人でも発信する側も受け取る側も自由です。
この自由というのを思いっきり生かして、
より感性を広げられたらより面白く楽しめるのかな。
ひとつ発信されたものを、
いろんな感性を持って受け止められたら、
より楽しいかもしれない。
発信された音楽も俳句も楽しめたら・・・、
俳句のコーナーがあるから言うわけでもありませんが・・・(#^.^#)
ピカソが楽しめてルネッサンス絵画が楽しめたら、
面白いですよね。
好き嫌いが語れればより面白いのかな・・・。
感性の世界には年齢とは関係なく「伸びしろ」が常にある。
「伸びしろ」に蓋をしてしまって閉じこもってしまうのは、
一人の人間が持つ時間が限られてるとすれば、
なんだかもったいない話ですよね。
ある程度の年齢になれば、
恥も外聞も取っ払ってしまえるわけだから、
ちょっと怖いかなというドアを開けてみてもいいのかもしれない。
興味のなさそうなドアを開けてみてもいいのかもしれない。
開けることによって新しい感性が生まれて、
演奏する音楽にも新しい感性が生まれるかもしれない。
マジシャンの、マギーシローが、
「無料ですよぉ。もったいない!」
というテレビコマーシャルがありますが、
感性のどのドアを開けるのも無料です。
無料ですよぉ・・・ただ閉めておくのはもったいない。
人間その生命活動を終えるまで、
感性の世界での「伸びしろ」というのは、
追及していけるし広げていけるんですよね。
恥も外聞もだいぶなくなってきたときほど、
大きな「伸びしろ」があるんじゃないですかね。
若いうちは恥も外聞もあるだけ、
「次」という時間も与えられてるんですね。
若い時の「次」があるという感覚にとらわれてると、
気が付けば終了ということになりかねない。
「伸びしろ」というのは、
人間に与えられた最大のものかもしれないですね。
令和二年は「伸びしろ」がキーワードかな・・・。
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