譜面台の陰から
>行き詰まり<
令和元年、終わりが目の前ですね。
令和元年は始まりが遅かったから少し短いのかな。
自然災害が強烈だった年。
12月になっても凄い気温変化でした。
最高が18度くらいまでいきましたよね。
後半になって少し冬らしい気温が出てきましたが、
それでも上げ下げがすごかったです。
まあ、厳しいさ倍増って気もしないでもない・・・。
12月半ばになっても2000メートルを超えるような山も雪もなし・・・。
連休の時のような山容でこれはびっくり状況です。
温暖化が進んでるのかな・・・。
スキー場はほんと大変!!
ここにきてようやく滑れるようになったらしい・・・。
令和二年はどんなかな???、
つい考えてしまいますね。
行き詰まり・・・。
なんだかあまり陥りたくない気分ですね。
しかし、よく聞く言葉であり万人共通のよく起こる状態ですよね。
この状態はどんな状態なのかなと、
思い返すに、なんだか前に進まなくなった状態なのかな。
単純に一言では言えない幅のある状態ではありますが、
まあ、一般的なところで考えてもいいのかな・・・。
人間生きてると必ず感じる状態であり、
歳とともになんだかダークな感じが強くなっていくような気がしますね。
生きていく上にはこのゆきずまりを乗り越えて前進していくんですよね。
この行き詰まりというのは、けっこう逃げることもできない状況なんですね。
これは生活、お稽古事どんなことにも出現する状態であり、
ギターを練習しててもよく聞く言葉ではあります。
人間、稽古を続けているからには、
成果を求めるのは当然なんですが、
それがなかなか一本調子にいかないのが難しいところ・・・。
少し前まで30分練習すると、
階段を一段上がった感触を得られていたものが、
なぜか同じ時間練習してもそのままの階段にとどまっている。
あれ?ということで時間を伸ばしてみる・・・。
まあ、あまり変わり映えがしないことがあるんですね。
一段づつ上がっていた過去の状況があるから、
なんだかブルーな空気に囲まれる気分ですよね。
だいたいこういう状況に陥る原因というのは、
練習するステップが上がった。
どうも自分の指の動きにマッチしない動きがある。
後は、体調が今一つの状態になっている。
いろんな要素が絡んでくるので簡単には言えないのですが、
この三つは結構大きなウェートを占めますね。
行き詰まり三要素・・・。
仕事などで寝不足が続いたりすると、
体の動きがそもそも重くなる。
指の動きも悪くなるんですね。
今までよかったのになんで?
という状態ですね。
ステップが上がって同じ時間の練習では追い付かなくなった時も、
あれ?という気分に襲われますね。
単純に時間を延ばせば解決するあというと、
そうでもないんですね。
こうなった時感じるのが典型的な、行き詰まり・・・。
仕事をしてるうえでも結構起こることじゃないですかね。
以前は楽に解決できたことが今回は解決できなかったり・・・。
人間というのは刻々と状態が変わっていく生きもんなんですね。
昨日の状態が今日も同じなんてことはないんです。
こんな状態が人間の強さであり弱さなんだと思いますね。
下手をすると一晩どんちゃん騒ぎをしたら、
次の日に、あれっ?て感じで状態が変わっていたりしますよね。
お稽古ごとの練習でも同じようなことがあります。
なんだかうまくいかなかった演奏が、
一回舞台で演奏した後、
なんだか指が軽くなったという経験があると思います。
行き詰まりをよく感じる人とというのは、
結構、自分を枠にはめてる人が多いいです。
枠外の要素が入ってくるといきなり行き詰まりを感じる。
外から見てるととなんで?
と、思うことがあるのはこのせいなんですね。
自分の枠の外というのは大体気分に沿わないことが多いんですよね。
そういう枠外のことが自分の枠の中に入り込んでくれば、
いい気分でいられるわけがない・・・。
まあ、嫌な気分にさせられますよね。
そういう状態になると自分の枠内でいい気分でいたのが、
一気にブルーですね。
なんだかいろんなことがうまくいかない気分になるんですよね。
外から見ていて、
え!そんなことで・・・と思うのは、
その人が自分の枠内のことでブルーな状態に陥ってるときなんですね。
話を聞いていて「なにそれ…」と思うことがあると思います。
行き詰まりというのは、ほぼ自分の枠外のことに、
対処しなければならなくなったときに起こるんですね。
意外なほど簡単に自分の枠外のことを取り入れて同化できる人と、
なかなかできない人とがいるんですね。
わりと簡単に同化できる人というのは、
自分の中に入り込んできた枠外のことに対処するのに、
今まで簡単に開けていたドア以外のドアを、
開けることができる人なんじゃないですかね。
開け慣れたドア以外のドアを開けるってなんだか嫌じゃないですか。
できれば開け慣れたドアを開けることで対処したんですよね。
誰でもそうだと思うのですが、
ところがなかなかそれだけでは対処しきれない状態というのは、
どこかの過程で必ず起こりますね。
誰でも自分の枠という中で普段は生活してるわけだから、
そのままでいたいんですよ。
こう書きながら自分もそうだなと思う次第なんですが・・・。
でも、まずそうはいかないですね。
こういう状態に強い人って、
常に自分の枠外が入り込んできたとき、
気分を切り替えていくことのできる人なんですね。
そして開けたくないドアをさっと開けられる人なんですよ。
下手をすると開けたくないドアの存在も気が付かない人もいますからね。
まあ、これはかなりよろしくない状態です。
自分の枠外のことが流れ込んできてもじっとして動けない・・・。
そんな状態を続けていくとろくな結果にならなかったりしますよね。
引きこもりの一つの要素ともいえるのかも・・・。
そういう同化力を鍛えてくれるのが趣味の世界かなと考えます。
あまり実害のないところで鍛え学べるっていいですよね。
楽器であれば、忙しければどう練習時間を作ろうか、
苦手な動きが出てきたらどう解決しようか、
発表会などで見事にコケた時にどう対処していこうか。
人間の全生活世界の中では小さいことであるかも知れないですが、
この小さなあまり気分のいいものでもない枠外のことが入ってきたときに、
これをどう解決していくか。
これは結構いいトレーニングになりえますね。
ステージ演奏というのは絶対に常に成功はしません。
このプラスマイナスは重要です。
プラスの時は自分の枠の範囲なので特に何もないですよね。
スイスイいってしまうのですね。
マイナスの状態になった時に知恵を絞り考えて、
次のドアを開けられるかどうかですね。
第二のドアを開けることによって新たな展開もあるわけです。
それによって人間は変わっていくんですね。
要するに人間に奥行きが生まれていくんだろうと思う。
趣味というのは、生活、生命にかかわるような大きなことではないので、
だいたいみな無事に次のドアを開けて前進しますね。
みな次のドアを開けられると信じたい・・・。
次のドア、その次のドアを開けていく、
この小さなトレーニングは結構重要だと思う。
こういうことを繰り返しながら行き詰まりを解決していくのが、
趣味の持つ力ですよね。
こんなところが趣味と遊びの違いでもあるわけです。
令和元年の終わりがどんどん迫ってきます。
令和二年、
この次のドアを開けていくということを意識していってもいいのかなと思いますね。
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