譜面台の陰から
>頑固!<
今年は10月終わりになっても気温が高いままですね。
若干寒さを感じる日もありますが、
朝と晩だけで日中はなんだか暑い。
楽器を演奏するために指を動かすには楽ですが、
季節感が失われるのはどうなんだろう・・・。
いまだにサンマが店にほとんど出てこない。
気候変動の影響だという解説があった。
いやはやなんともって感じかな・・・。
年末恒例のクリスマス会も迫ってきましたね。
8月が終わって次々と行事が迫ってきます。
芸術の秋だから芸術の関連することはいいことですよね。
もうちょっと気温が低めになったほうがいいのかな。
人間を表現する言葉に「頑固」というのがありますね。
子供のころ「隣の頑固爺」とかいうのをよく聞いたことがある。
おっかない響きがあったんですね。
この頑固という言葉。
良い意味でもあまりよろしくない意味でもよくつかわれますね。
いい意味では一つのことを粘り強く頑張りぬく。
あまりいい意味で使われないのが単純に融通が利かず、
人の言うことに全く耳を傾けない。
この「頑固」という言葉ほど良くも悪くもを、
行ったり来たりする言葉も少ないかも・・・。
ただ残念だなと思うのは、
自分の信念を強調するあまり、
がっちりとバリアを張ってしまって、
人の言葉の侵入を自ら遮断してしまうこと。
ギターに限らず芸術という分野ではこれはほとんど敵。
頑固一徹を通すのも悪くはないですが、
少しバリアを開けて人の言うことを聞いて受け入れれば、
違った方法論、方向論が出てくると思う。
自分のいる世界をしっかりと守るというのは、
ある意味楽なんですね。
たとえば本番のステージでちょっと予想外のミスをしたしまう。
それ自体は仕方のないことだと思うのですが、
ミスしても自分がよろしければ問題なしとしてしまうと、
これはもう一歩も前進しないですよね。
この状態を常に推し進めていくと聞いてるほうも新鮮味がなくなって、
結果どうでもいいということになるんですね。
頑固のバリアで自分を囲って他を寄せ付けない。
この状態はそこにいる自分は楽なんですよね。
人間というのは、自分が能動的に動いたことによって、
人がどう反応するかを感じて前進するんですよね。
まったく反応のない世界で前進することはないですね。
離れ小島で自分ひとりいくら平和であっても、
そこでなにかを進歩することは難しいのではないかな・・・。
しかし、それを良しとしてしまうのも人間の特性なんですね。
子供のころは常にそばに親がいて、
いろんなことを刺激として与えてくれます。
生きていく上で必要なことをいろんな角度から教えてくれるんですよね。
成長するににつれて、そこが居心地がいいと、
バリアをしっかり張って一歩も外に出ようとしなくなる。
何事もなく決まった時間軸の中にいれば楽なんですよ人間は。
なぜ音楽とか絵画とか、書道とか・・・。
こういう芸術的なことが存在するのかってことですね。
戦いの前に歌ったり踊ったりが原始の昔にありましたよね。
なぜそんな音楽が存在したのか。
戦いの前に精神を鼓舞するというのがあったと思いますが、
やはり刺激を与えないとだめってことだったんだと思う。
人間というのは長ずるに及んで、
刺激はなるべく避けたいということになるんですが、
これはもう刺激によるんですね。
芸術的な刺激というのは、
ある一部分精神には特化しないんですね。
ステージに立って楽器を演奏するというのは、
闘争心があると思います。
自分の演奏から何かを感じてもらえないかなという欲求。
自分に対しての意欲。
いろいろな刺激が少しづつ詰まってるんですね。
ライフル銃を持ってという危険なものは全くない。
自分が動いた音によって人の関心が動く。
これは非常に大事なことであって、
第三者が自分の発した刺激に反応することによって、
人間というのは前進するんですね。
第三者の反応なない世界に身を置き続けると、
非常に憶病になってしまって、
自分のバリアの外へは出られなくなるんですね。
いわゆる頑固な人間が出来上がるわけですよ。
これはガチガチの堅い「頑固」。
対して「頑固」ではあるけど、
外の刺激もある意味素直に受け入れて、
必要なものは自分の中に取り入れていく。
硬い「頑固」、と柔らかい「頑固」
人間、長ずるに及んでは、
柔らかい「頑固」でいたいという気がする。
外からの刺激を断ち切らないように、
練習し演奏していきたいですね。
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