譜面台の陰から



                    >冒険者たち<



 
梅雨明け一日目からの猛暑の到来。

お盆が終わりまだ続くかと思われていた猛暑も、

なんとなく風に秋の肌触りが出てきましたね。

天気も曇りのち時々雨みたいなすっきりしない天気が続くようです。


秋雨前線が出てきたんですね。

こういう天気図になってくると秋が見えてくるんですよ。

秋が見えてくると今年の終わりも見えてくるから怖いけど・・・。

 猛暑の中でいまいち気合が入らなかった練習にも、

徐々なる気合が出てくるんですね。

「タイトルの冒険者たちってなんなの?」

という疑問がぶつけられそうです。

 発表会が終わって新たな曲にチャレンジしてる行くわけですけど、

いつも思うのは新曲に向かうときというのは、

「なんだこれ?」

という気分が少なからずあると思う。

たとえ知ってる曲でも音符を追ってみないと、

どういうことなのか全くわからない。

すべては未知なる世界への入り口に立つわけですね。

メロディーを知ってる曲であっても楽譜によって全然違います。

メロディーを知ってるということは、

道筋を知っているってことですね。

ただその道筋にどんな困難が待ってるかまではわからないわけです。

新しい曲にチャレンジするということは、

一つ冒険をしていくことと同じですね。

冒険というと南極大陸の極点を目指すとか、

植村直己を思い起こすと思いますが、

そこまでいくと話がでかすぎ・・・。

それでも一曲全くわからない曲を曲にしていく旅というのは、

いろいろなところで困難にぶつかったり、

どツボにはまったり、先行き不明になったり、

けっこう大変な思いをしながらなんですね。

だいたいギターという楽器をもって、

この教室の門をたたいた時から冒険は始まってるんですね。

まったく見えないところに一歩踏み出すって結構な冒険だと思います。

椅子に座って待ち構えてる案内人も、

なんだか得たいが知れないじゃないですか。

この案内人があけるドアに飛び込まされるわけですね。

そこから道に迷ったり石にけつまづいたりしながら、

自分の一本の道筋を作るわけです。

同じ曲にトライしても一人一人違う結果になるのは、

どんな冒険をしながら目標に到達したかで違ってくるわけです。

会社という組織にいて同じ目標を持って歩いても、

結果が一人一人違ったものになるのと似てますね。

これは一人一人冒険する道筋が違ってるからなんですね。

人間は生まれて歳をとるまで冒険の連続です。

危険な状態からドボンということもあるし、

描いていたものとは全然違うものが見えてしまったり、

ま、あ然とさせられながら一人の人間になってるわけですが、

ギターの世界に飛び込んだとたんに、

曲を完成させるという冒険に出発です。

冒険である以上途中で倒れるというkとは常にあるんですね。

ま、極端な言い方をすると屍累々の中突破して、

目標に到達していくわけです。

屍累々というと大げさに思うかもしれないですが、

実際です。

冒険を達成するというのはなかなか大変なことなんですね。

植村直己もついに帰ってはこなかった・・・。

新しい曲に向かい合うというのは、

未知なる世界へ冒険の旅に出る。

けっこうハードな旅路ではあっても、

いくつも積み重ねてくれば自分だけの達成感というのは、

自然に出てくるものだと思います。

倒れて起き上がらなければそれまでです。

曲が難しくなればなるほど、

冒険する度合いは厳しさを増すんですね。

富士山登山よりエベレスト登山のほうが厳しいのと一緒です。

山登りの最初からエベレストは無理ですね。

これは冒険とは言わずに無謀という言葉でくくられます。

最初は高尾山を登るところからから冒険を始めて、

けっこうな高さの山に登るような冒険はできるようになるんですね。

ちょうちょから冒険の旅を始めた人も、

ついにはより大きな冒険に出ることができるんですね。

新たな曲にチャレンジすることはどういうことなのか、

これから後半に向かって練習していくとき、

曲に対して未知なる冒険の道筋をたどっていると思うと、

なんだかせせこましいような楽譜の世界から、

より大きな可能性をイメージすることができると思う。

一枚の紙からより途方もない大きな世界を見せてくれる人って、

子供とか男女とかかかわらず凄い冒険者だと思う。

冒険者というと三浦雄一郎とか植村直己をイメージしますが、

もっとずっと身近なんですよね。



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