譜面台の陰から



                       >1の哲学<


 2018年も残すところあと数日・・・。

前回は、あと残り一か月と書いてフーという感じでしたが、

2019年も残り数日となると、フーという感じはもうなくて、

いよいよ終わりか・・・というなんとも言えない諦めって感じ。

以前は新しい年はどんな年かということに興味があったのだが、

このコーナーも今年で十年過ぎました。

だんだん歳を経るごとに、

単純に無事だといいな・・・くらいにしか思えなくなってきた。

まあ、これは、普通の成り行きらしい。

前回、11月では一年の締めくくりのようなことを書いてしまったので、

なんだか書くのをやめようかなとも思ったのですが、

一年の最後のところで休みというのもなんだかいまいちということで、

今年気になったところを書き留めておこうかなと・・・。

「1の哲学」タイトルは結構大げさな感じ・・・。

まあ、タイトルくらいは大げさにしておこうかなと・・・、

内容がない分だけ大ぶろしきを広げてみようというところ。

大ぶろしきなんて、小ぶろしきだろうという気もしますが・・・。

1というのはすべての始まりということですが、

考えてみると人間生まれたときはこの世に踏み出したほんとの一歩。

人類みな平等ってどこかで聞いたことのあるようなセリフですが、

まあ、そうだろうとは思います。

生まれてきて第一歩を踏み出すわけですが、

そこからは人間それぞれになるわけです。

なぜかなぁ‥と思うのですが、

結局、次々に目の前に現れる扉を開けていく中で、

それぞれ一人一人開けるドアによって違いが出てくるのだと思います。

ほとんど同時に生まれてくる二子ちゃん三つ子ちゃん・・・、

でも、その後は同じにはならないですよね。

けっこう一歩が同時であるのに、

片方の一人にはずいぶん理不尽な状況になったりしますよね。

やはり最初の一歩が同じでも、

その後、どのドアを開けていくかで、

違いが出てくるのだなと思います。


目の前に出現する複数のドアのどれを開けて、

そこから一歩を踏み出すのか、

選んだドアを開けて、そこから一歩を踏み出すわけですが、

その後どうするのかは、

一人一人極めて大きなインパクトがあると思います。

そこのドアいかにも闇の世界つづいてると判断したら、

すぐに引き返せる勇気・・・。

引き返したことが凶と出る場合もありますが、

暗闇の中を歩いてドボンよりまあいいでしょうね。

けっこう薬物などワイドショーをにぎわす芸能人がいますが、

やはりドアを開けて暗闇なのに、

二歩目を踏み出してしまうパターンですね。

人間生きてる限り目の前にはドアが出現するんですね。

ドアを開けた途端ドボンで、

下手するとこの世ともお別れなんてこともありそうですが、

人間というのはドアの前でとどまることは許されないんですね。

とどまってしまうと早速ボケるようにできてるのかな・・・。

そこはよく分かりませんが・・・。

生まれてこの方ドアを開けることによって刺激を受けて、

人間というのは成長するようにできてるんですね。

言換えれば歳を取るようにというか・・・。

 ドアの前でとどまってしまうと刺激もなくなってしまうわけですよ。

波乱もないですけど刺激もなくなるんですね。

せっかく一歩を踏み出す力を持って生まれてきてるのに、

そのエネルギーを使うこともなくとどまってしまうのは、

なんだか損するような気がしないでもない。

損得ではないかもしれないですが、

人間、損得で動くこともあるじゃないですか・・・。

生まれたときから自然にタダで与えられてる力を、

発揮しないのはなんだかもったいないですね。

体は食べるもので成長しますが、

知識、人間性、考え方、精神性などなど・・・。

この辺の人間が得られるものというのは、

やはり勇気を出してドアを開けていくことで成長できるのですね。

目の前のドアを開けるかどうかは、

本人の判断にゆだねられてるわけですね。

ドアを開ける選択、開けない選択どちらもオーケーというわけです。

一番残念だなと思えることは、

せっかくエネルギーを費やしてドアを開けたにもかかわらず、

開けただけで、なんと二歩目を出せずにとどまってしまってることですね。

せっかくドアを開けて一歩目を踏み出したのに、

二歩目はドアの内側に戻ってしまってしまう・・・。

さらに一度開けたドアを閉めてしまう。

一度締めたドアというのは、

二度目に開けるのは一度目以上のエネルギーが必要です。

ま、大体そこで終わってしまうわけですね。

より楽なドアを探して開けては閉めてを繰り返すわけです。

その過程でエネルギーは消費されてしまって、

狭い世界に座り込んでしまう自分がいるわけですよね。

なんだかあまり面白くもない人生という感じはします。

 人間持ってる時間というの有限ですから、

一歩目を踏み出して二歩目を踏み出さないと、

本来得られるべきことが失われてしまうんですね。

良薬口に苦しとは昔の人はいいことを言うもんだなと思いますが、

だいたい自身の為になるドアの二歩目って、

結構つらかったり大変だったりするんですよね。

だから刺激となってプラスに働くということなんですね。

逆風でヨットを前に進めるというのはなかなか大変ってことですね。

逆風でも前に進まないと、

ヨットも元のヨットハーバーに戻ってしまうんですね。

凪るのを待ってから出航ということもありますが、

待っている間に時は過ぎて、

もうヨットにも乗れなくなってしまうかもしれない。

大変ではなかったけど、なんでもなかったということですかね・・・。

すべての始まりは、1からですが、

二歩、三歩と歩いていろいろなものを得て成長する。

ギターを演奏するということも結局同じですね。

ギター教室のドアを開けて一歩踏み出して、

そこから二歩目、三歩目と踏み出していけるかどうか・・・。

踏み出さなければいけないということでもないですが、

一歩目があったら、

二歩目があってもいいのではないかなと思いますけどね。

2019年、もうすぐ始まろうとしてます。

ここはギター教室なので、

ギターについて新しいドアを開けて一歩もいいのかなと思っています。

1の哲学っていうほどのこともない地味な一文で今年は終了・・・(*´▽`*)

また来年よろしく!


                メニューへ


                 topへ