譜面台の陰から



                    >なにを練習するのか<



 3月があっという間に過ぎたらもう連休・・・。

なんだか早い早いと書いてるせいかなんだか毎日が早い。

1月がなんだかいやに遠く感じるから恐ろしい。

なんだか次の正月がすぐきそうなんて書くと、

鬼も菩薩もみんなで笑いそう・・・。


 ギターを練習するというと、

曲を練習するというのは当然。

ギターで演奏するために練習をするのです。

しかし、なにを練習しているか考えたことがあるだろうか。

なにと言われれば曲を練習している・・・。

まあ、引き続き書いていくと禅問答のようになってくる。

ギターの曲を練習するというのは特に考える必要もなく、

楽譜に書かれている音符をつなげてメロディーにしていくのです。

メロディーにしていくための練習です。

音符が流れるようにつながらなければ曲にならないのです。

当然技術的なことがまず練習課題になる。

技術的に今一息であればそこで曲の流れは止まってしまう。

ある程度の曲になると大体一か所二か所は、

技術的に困難な個所というのはあるのが普通だ。

そこが練習課題となる。

ある程度克服すると一曲が完成する。

 少し前にクラシックギターの大会があり、

いろんな演奏が次々出てきた。

やはりこういう場所に出てくる人というのは上手いなと思った。

隅々まで練習してるのが分かって面白かった。

凄い難曲もあったりで曲の難易度もバラエティーに富んだものだった。

一番後ろから数えたほうが早いくらいの席で聴いていた。

ずっと聴いていてだんだん飽きてきてしまった。

居眠りタイムの誘惑が襲ってきたりする頃あいだ。

若干居眠りが出てしまったわけですが、

別に演奏が下手でということで居眠りが出たわけではない。

それならしっかり最後まで聴いていろといって怒られそうだが、

そのへんはいやはやどうも・・・。

 けっこう後ろの席で聴いてると指の動きもなにも見えない。

弾き手によって音量があったりなかったくらいしかわからない。

演奏される曲のテンポもぎょっとするくらい早いならともかく、

大体普通という感じで演奏されていた。

特に下手でもない演奏が続くとなんだか違いというのが分からない。

曲が違うと言われればそうなのだが、

特に目新しい曲が飛び出すわけでもないので、

それほど新鮮味もない・・・。

目新しすぎてなんだかわからない曲でも出てくれば、

面白いかというとそうでもない。

分からなさすぎるとやはり退屈なのだ。

中にオットという感じで少しニュアンスを感じさせる演奏があった。

これがなんというか印象に残った。

後ろの席に座って聞いてると指の動きとか顔の表情とかはどうでもいい感じだ。

なにしろ見えないわけだから・・・。

そこで感じたのは後ろの席でも感性に届くニュアンスのある演奏というのは、

けっこう聴いてて面白いということだ。

後ろの席だと指の動きが早くてもなんでも見えない。

曲だけしか届いてこないのだ。

そうなると同じ感じで次々演奏されるとなんとも飽きてきてしまうのだ。

知らない曲だとさらに居眠りにつながってしまう。

人間というのは感性というのがある。

山を歩いていると刻々と変わる景色に感動する。

景色という具体的なものに感動するとともに、

感性が刺激されて普段では感じない気分が表出されて、

強く後々まで印象が尾を引いて残る。

楽器の演奏というのは山の世界とは違って、

見た目、自分とはそれほど変わらない人間が演奏する。

ものすごい美女美男でも後ろの席だと大して意味はないかも・・・。

やはり演奏で感性に響くものがなければつまらないのだ。

ここからポイントになるなにを練習するか・・・だ。

 楽器の演奏はまず曲の難所を克服するための練習をする。

難所を克服しないと曲の流れが作られないからだ。

ま、当然といえば当然です。

そして難所がある程度克服されると大体そこで終わりとなる。

いっちょあがりというわけです。

しかし、実は練習の本格的な意味というのはここからです。

曲が通して弾けるようになった段階は終着駅ではないのです。

曲が通して弾けるようになったらなにを練習しなければならないのか。

実はその曲に隠されているニュアンスを練習するのです。

曲のニュアンスというのは自分でこうしようとして練習すると、

そこにニュアンスが生まれるのです。

人によって感じ方というのは様々なわけだから、

一曲の中に隠されているニュアンスはものすごい数あるわけです。

そういうニュアンスの違いというのは、

感覚を刺激するものだと思います。

非常な難曲を練習して弾けるようになるというのは凄いことです。

しかし、ニュアンスが表現されていることとは別です。

ニュアンスを表現する練習というのは、

実は曲を通せるようになってある程度完成してからなのです。

曲の難易度が結構高いと、

そんなこかまってはいられないというのもあります。

ニュアンスを出そうとする場合、

技術的に少し難易度を落として、

ニュアンスの練習ができる曲を選ぶというのも一つって気がします。

難しい曲にチャレンジというのもわかるのですが、

ニュアンスを出せるような曲にチャレンジもありかなとは思います。

ニュアンスを出すには、強弱、音色の変化など、

ギターは結構いろいろできる幅が広いという気がします。

強弱を弾き分けるというのは意外なほど難しい、

ギターは音量が少ないので強弱を出すのはかなり練習を要しますね。

音色を変えるというのも結構苦痛を伴う練習かもしれないです。

こういうニュアンスというのは感覚的なものを発揮しないとできないので、

まあ、結構大変かも・・・。

技術練習以上に結構大変な気もします。

なかなか地味な練習の繰り返しになるので、

けっこうな我慢を強いられるという感じがあるかもしれないですね。

技術的に難しい曲だと体育会系の練習だけで終わりってことですよね。

それも一つ達成感はあると思うのですが、

一歩、二歩引いてニュアンスのある曲作りというのも、

ある意味楽器を練習する楽しみではあるんですよね。

ニュアンスのある演奏というのは確実に印象に残ります。

ギターのソロ演奏というのは弾くだけでも難しさというのはあるのですが、

技術的難易度を少し下げて、

ニュアンスを出せる演奏もいいのかなとは思います。

曲の難易度を上げたり下げたりしながら練習するのも、

ギター演奏の楽しみであるとは思います。

ある程度の曲が演奏できるようになったら、

演奏というのを一方向からだけで見るのではなく、

いろんな方向から見ていくのも楽しみの一つだとは思います。

これから演奏機会も出てくるので、

こんなことを考えるのもいいのかもしれないですね。



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