譜面台の陰から



                     >いつでも何度でも<



 こういう若干ミーハー的なタイトルは、

いかがなもんかという気がしないでもない。

しかし、「いつも何度でも」というと木村弓・・・。

「いつ
も何度でも」

そうです、この「
」が入ってるのです。

ここが非常に大事なところで、

ミーハーと真面目の境目の一時です。

今年もアンサンブルでは神奈川ギターフェスティバルから始まって、

コンサート、発表会と演奏する機会は結構あったと思います。

コンサートというのはほんとに一部の方の出演ではありますが、

かなりハードに演奏していると思います。

発表会ではさらに多くの方が演奏しています。

なかなか完璧とはいかないのが演奏です。

ギターで完璧というのはかなり難しいことで、

そうそう経験はできないという気がします。

発表会などで弾く曲というのは、

まず間違いなく実力よりレベルの高い曲を課題として演奏してます。

実力よりレベルの高い曲を演奏してるわけですから、

そうそう完璧な演奏はないと思った方が正解です。

どうしても完璧な演奏ということであれば、

曲選びの段階で実力より一段レベルの低い曲を選びます。

そもそもそうなれば実力の範囲内となるわけですから、

完璧に弾ける確率はより高くなると思います。

実力の範囲内の曲ということであれば気持ちに余裕ができるんですね。

この余裕が出たところでで演奏すると、

そこそこミスなく弾けるものです。

走り高跳びで1メートルを飛ぶのと2メートル飛ぶことを考えれば、

気持ちの余裕の幅がどちらが広いかわかると思います。

気持ちの余裕のある一メートルでは、

まず足を引っかけることはないと思います。

しかし、2メートルになると若干気持ちの余裕が狭くなると思います。

足を引っかける確率はその段階でグンとあがるものです。

この走り高跳の飛ぶ高さの問題は、

曲を弾く時の難易度によく似てますね。

本人の実力よりも難易度の高い曲を発表会などでは弾いてます。

これにはいろんな意味があります、

今よりも技術を上げること。

練習への真剣度を高めること。

読譜力を高めること。

細かく言えばまだまだあります。

こういう意味をたくさん抱えて演奏するわけだから、

そもそも完璧な演奏というのは難しいのです。

だからいくらでもミスをしていいわけではありませんが・・・。

完璧を目指すのであれば実力より易しい曲を演奏すれば完璧度は上がります。

しかし、あまり練習自体面白くないし充実度も低くなります。

ま、最後まで続かないということがよくあります。

人間というのはなかなかこの辺は複雑にできてるんですね。

そこで出てくるのが「いつでも何度でも」という言葉です。

実力より難易度の高い曲というのは一回ですべて満足な演奏というの難しい。

というよりまず無理。

難しい分練習は熱心にすると思います。

しかし、結果は必ずしも練習の度合いとは一致はしません。

では、どうするのかです。

だから「いつでも何度でも」なのです。

要するに一度で結果が出ないのが普通と考えて、

いつでも何度でも演奏するのです。

教室での演奏の機会も結構あると思う。

新年の弾き初め会から始まって、

人前に出ての演奏は少なくはない。

演奏の機会に弾く弾かないは、

自分の目指す演奏に近づけようとするかしないかの違いだと思う。

いさぎよく引いてしまうは日本人の一つの美学だが、

アートの世界ではまず通用しない。

ある程度実力より上の曲だから難しい。

だから非常によく練習をする。

でも結果はまずもってうまくいかない。

それはそれでその場では受け入れて、

次また弾けばいいと思う。

要するに何度でも自分の納得するところまで繰り返し演奏すれば、

結果はならずついてくるもんだと思います。

発表の度に嘆くのはいいのですが、

そこで終わりにしないで、

極端な話としてですが、

うまくいくまで何度でも何度でも挑戦すればいいのです。

うまくいった時の達成感といいうのは、

非常に大きなものではないでしょうか。

「いつでも何度でも」これを実行できるかどうかの差だと思います。

その時難しくても何度でも人前で演奏していけば、

ある一定の達成感というのはついてくるものです。

2018年、ぜひ一つの演奏を完成させていきましょう。

2017年はこれで〆<(_ _)>


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